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「うーん、やっぱり陣取りの賭けで負けちまったとは言え、あの丘を取られたのは痛いよなあ」



 鷲獅子戦の舞台が着々と整えられ始めているグロンダーズ平原、その中央にある丘を遠目に眺めながら、クロードくんはぼやく様に呟いた。口調とは裏腹にその表情や声音は楽しげで、ヒルダちゃんが「もー、そういうときこそ得意のいかさまじゃないの?」と眉を寄せる。



「おいおいお前は本当に人聞きの悪い奴だなヒルダ」

「……まあ、あそこを取れているのといないのとでは大分違いますよね」



 リシテアちゃんが腕を組み、じっと件の丘を見据える。弓砲台の設置された丘を押さえたのは、そこから南西に広がる陣地を得たアドラークラッセだ。丘の北部にある川の対岸に兵を敷くのは、ベレト先生の率いるルーヴェンクラッセ。川に沿うように東西に伸びる形で広く布陣を敷かねばならないが、丘に続く橋を渡りさえすれば弓砲台ごと奪取できる位置でもある。他方で私たちヒルシュクラッセは、丘より南東の森の中に兵を置く。広がる森に兵を隠すことが出来、伏兵も置けると言う点では強みがあるだろう。
 だけど、あの丘に向かうには少し距離がある。森の中を進めば砲台に狙われにくくはあるが、移動が制限されてしまい恐らくルーヴェンクラッセの動きには間に合わない。かと言って森の切れ目である南部から兵を出せば、アドラークラッセの総大将と正面衝突し、そのままルーヴェンクラッセに挟撃されてしまうだろう。



「実際あの丘は狙い目だな、敵をおびき寄せて火を放つのに最適だ」

「……クロード。馬鹿を言うな。伝統ある鷲獅子戦で火を使うなど」

「冗談だって。……あんな目立つところ、誰が馬鹿正直に真っ先に攻めるかよ」



 まるで遊びの延長のように、クロードくんはその眦を細める。もしかしたら、彼はわざと最初の陣取りで負けたのかもしれない。地形図を広げたクロードくんの周囲に、自然と皆が集まる。



「弓砲台がある以上あの丘を放っておくわけにはいかない。ルーヴェンクラッセは特に、あの位置からじゃアレをどうにかしなきゃにっちもさっちもいかないだろうから、すぐさま南下して丘を叩くだろうな。危惧すべきはこっちの、東側に架かるもう片方の橋か。ルーヴェンクラッセが部隊を二分してこっちにも兵を寄越すことも考え得るが……その可能性も考慮して、俺たちは全軍真っ先に森を北上しよう。そうすれば自然とアドラークラッセの部隊からは離れられる。間違っても砲台の射程には入るなよ。丘で小競り合いが始まったころを見計らって、徐々に前線を上げる。懐に入られてしまった以上、砲台は使えないだろう。アドラークラッセとルーヴェンクラッセがぶつかっているところを、俺たちが全部掻っ攫う」



 地形図をなぞっていたその指先が、最後は丘の上に辿り着き、とん、と強く押し付けられる。力の入った言葉だった。ヒルダちゃんは納得したように頷いているし、ローレンツくんも文句はないらしくその双眸だけを細めている。リシテアちゃんが呟いた「悪くはないですね」の言葉に被さるように呟かれた、「そ、そんなにうまくいくでしょうか……」と言うマリアンヌちゃんのか細い声に、クロードくんは顔をあげた。
 その視線を真正面から受けたマリアンヌちゃんは、びくりと肩を震わせる。血色の悪いその肌はほとんど真っ白で、怯えの滲んだ瞳のせいか、倒れてしまいそうですらあったのに、クロードくんがふ、と目元を緩めた瞬間、その睫毛が救われたようにぴくりと動く。



「うまくいかせるさ」



 どうして彼はこうも縋りつきたくなるような言葉を平気で口にしてしまうのだろう。
 その横顔を見つめながら、私は一週間前に彼が私に向けて吐き出した言葉を思い出していた。



「お前の世界を変えようか」



 創世の神のように、彼は私をその手で掬いあげた。








「……。あれは君の兄上ではないか?」

「え?」



 午後から始まる鷲獅子戦を前に勇み立つ皆の中で、何となく落ち着かずにいたところ、ローレンツくんにそう声をかけられた。
 鷲獅子戦はガルグ=マク士官学校における一大行事であるため、参観も可能となっている。とは言え実際に現地を訪れるのは、余程鷲獅子戦に思い入れがあるか、領地が程近いか、子息の活躍を見んがため、か。今日もベルグリーズ伯がいらっしゃっているらしいというのは聞いていたけれど、それは領土内での催しであるからだろう。半信半疑でそちらを見れば、しかしそこにいたのはやはりお兄様である。私と目が合ったことで笑みを浮かべ、憚らずに手を掲げるその姿は、半年前に領地を発つ際に別れた兄、そのものなのだった。
 戦場となる平原とを区別するために張られた紐の奥、見物のために集まった従者や騎士、信者の方々に紛れる形で居た兄の存在はほとんど埋没していて、そうと思わなければ認識することは難しかっただろう。別に私を呼び止めていたわけでもなかっただろうに、良く気が付いたものだ、とローレンツくんを見つめてしまう。



「……なんで?」

「君が心配だったのではないか?」

「え、ああ、うん、そうかあ」



 そういう意味の「なんで」ではなかったのに、あまりにも平然と返されてしまえば頷かざるを得ない。なんでお兄様だって分かったんだろう、そういう意味だったのに、と考えながらも、思いつく。そう言えばローレンツくんは私とは子どものときから十年ほど会ってはいなかったけれど、兄と彼は良く顔を合わせていたのだ。舞踏会などがあれば、二人は次期当主として欠かさず出席していたのだから。





「お兄様」



 まだ刻限まで時間があることを確認して、兄の元へ駆け寄る。人好きのする柔和な笑みを浮かべた成人男性が、まさか同盟貴族の一員であるとは思わなかったのか、周囲の人々が僅かな動揺を浮かべて目線をこちらに寄越すのに気付いたけれど、兄本人はどこ吹く風だ。
 お兄様がいらっしゃるのならばよもやと思いながら周囲を見回すも、その目線で気が付いたのか「父様と母様はいらっしゃらないよ。俺だけだ」と口にした。私と同じ色の髪に、同じ色の瞳、背丈は男である分兄の方が多少高いものの、どちらかと言えば筋肉のつきにくい頼りない身体つきをしている。それでも剣を持たせればそれなりの成績を残せるし、犬以外の動物をこよなく愛するおかげで馬や飛竜の扱いには長けていた。手紙では鷲獅子戦において活躍することがなかったと自身を卑下していたけれど、当時担任を受け持っていたハンネマン先生には時折兄の話を振られることがある。周囲のことに良く気の付く生徒だったと。それを体現するかのように、兄の双眸はどこか注意深くヒルシュクラッセの学生を観察しているようにも見えた。



「お兄様、どうしたのですか? 突然こんな……」

「手紙に書かなかったか? 都合がつけば見に行くと書いたつもりだったんだが」

「書かれていませんでしたよ。びっくりさせないでくださいよ」

「そうだったか……?」



 神妙な面持ちで首を傾げるお兄様に思わず小さなため息を吐く。



「妹の晴れ姿だ。こんな機会は二度とないだろうと思ってな」

「そんな過度な活躍は期待しないでください……。私はあなたの妹なんですよ」

「だが、俺より勇敢だ」

「それは対犬の話でしょう」

「ヴァイル殿、御無沙汰しております」



 その時、私の背後からローレンツくんが声をかける。きちんと腰を折り曲げ頭を垂れた彼に、兄も表情を明るくしてみせた。



「ああ、ローレンツ君。妹が世話になっているね。が迷惑をかけてはいないだろうか」

「いえ、迷惑だなんてとんでもない。私の方こそには助けられています」



 自然に一人称を「僕」から「私」に変えて見せるローレンツくんに何となく面食らいながら、私はお兄様の反応を窺った。明らかなお世辞だったけれど、兄の前で私をたててくれることは嬉しい。だけどお兄様は真に受けることもなく、小さく笑っただけだ。



「そうだろうか。俺に似て抜けているからな。もし危ない目に遭いそうなら、助けてやってもらえたら兄としても助かる」

「勿論。このローレンツ=ヘルマン=グロスタールの名にかけて、は守り通しましょう」



 大袈裟な身振りで兄と握手を交わしたローレンツくんとお兄様から反射的に後ずさったとき、持ち場につくようにとの号令がかかって、慌ててローレンツくんの外套の裾を引く。「ローレンツくん、行かないと!」お兄様の目が、私の肩の奥に居るクロードくんを捉えた気がした。けれど、その瞳はすぐに私とローレンツくんへと向けられる。



「二人とも、怪我だけはしないようにな」



 犬の気配を感じ取っただけで逃げ出す成人男性とはとても思えないほど、それは精悍な声音だった。その言葉にもローレンツくんはきちんと答えて頭を下げる。私は根に持ってしまう人間だから、そんなローレンツくんを見るとなんだかモヤモヤとしてしまうのだけれど、ローレンツくんと肩を並べて持ち場に戻る時、彼は「暫く会わぬうちに、随分と雰囲気が変わられたな」とほとんど独り言のように呟いた。一瞬その意図が掴めなかったけれど、身内が褒められているのは確からしい。



「雰囲気……うん、確かになんか今日のお兄様は、ちょっとだけお父様みたいだったかも」

「ああ、風格が滲み出ているように思う。いや、風格というよりは……」



 何か考え込むようにローレンツくんが目線を落としたとき、開戦を知らせる法螺貝の音が響き渡った。平原中に広がる緊張感に、私たちも口を噤む。
 ローレンツくんと別れて持ち場へつくと、腰に刺さった剣の鞘を無意識に撫でた。さっきまで緊張で身が硬くなってしまっていたけれど、兄の顔を見たら随分呼吸がしやすくなったように思う。どうしてわざわざ、と恥ずかしさからつい頑なな反応をしてしまったけれど、なんだかんだ言って、ここまで来て貰えたことそれ自体は嬉しかったのだ。
 深く息を吐きながら、クロードくんの立てた作戦を脳内で繰り返し確認する。「うまくいかせるさ」私に向けて吐き出されたものではない言葉にすら、私は今、縋っている。


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