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ちゃんがお見合いって聞いたらワクワクしちゃってー……ごめんねー、クロードくんの前で話を聞こうとしちゃってー……」



 そう言って手作りの焼菓子を渡してくれたヒルダちゃんに目を丸くする。彼女はどうやら昨日からそのことを気にしてくれていたらしい。大樹の節から私の片思いを見抜いていたヒルダちゃんだ。肩を落として落ち込む様子に居たたまれなくなって「ううん、私こそ酷い逃げ方をしちゃってごめん……」と謝れば、「あっそれだったらちゃんと誤魔化しておいたから安心してー! そういえば朝にハンネマン先生が呼んでたなーって言っておいたよー」とぱっと笑ってくれたから、その機転に素直に感謝する。
 なるほど私が食堂を出るときに振り向いた際、二人はそれで顔を寄せ合っていたのか、と腑に落ちたけれど、それでもクロードくんとヒルダちゃんは傍から見てもやっぱりお似合いなのだ。大樹の節の学級別対抗戦の折から、クロードくんはヒルダちゃんをいたく評価している。実際彼女は本気を出さないだけで、実力で言えばクロードくんの言うとおり、ヒルシュクラッセの中でも指折りだ。いざというときに頼れるのは彼女なんだろうな、というのは薄々感じ取ることができた。
 しかもヒルダちゃんは学校で一、二を争うほど異性から人気があるだけあって、とても可愛い。卑屈になるな、なるな、と念じながらも、私はクロードくんとヒルダちゃんがお似合いであると言う事実にどうしたって胸を痛めていた。しかも半泣きで食べた焼菓子はめちゃくちゃに美味しかった。私がクロードくんの誕生日にあげたそれよりも、ずっとずっと美味しかったのだった。
 ヒルダちゃんは、翠雨の節の課題のときだって私みたいに足手まといになることなんかなかった。それどころか気分を悪くした私のことを気遣ってくれたくらいだ。紋章もある。なんでもできる。もう吹っ切れたはずだったのに、私って嫌な子だ。お友達に嫉妬しちゃうなんて。
 心が落ち込んでいるときって、やっぱり色んな事が上手くいかない。訓練でも失敗ばかりしてしまったし、座学では折角ローレンツくんに教えてもらった問題も、すっかり頭から抜け落ちてしまっていてとんちんかんな解答をしてしまった。放課後、復習のために広げた教本を前にローレンツくんに懇々と説教され、項垂れるしかない。



「折角資格試験に受かったのに、このままでは先が思いやられるぞ……」

「全く、全くその通り……」



 士官学校に入った第一の目的は漠然と「結婚相手をさがすこと」だったけれど、ヒルシュクラッセの皆と切磋琢磨する日々は私の意識を向上させた。得意の剣と、苦手科目である理学、この二つを両立して扱えるようになりたいと思って、駄目元でローレンツくんに相談をしたのは前節のことで、以来私は時間を見つけてはローレンツくんに勉強を教わっている。
 血筋的にも理学の素質がないことは承知の上だ。だけど、苦手なものから逃げることなく克服したかった。士官学校でそれができなければ、きっとここを卒業した後だって変わることはできないと思ったから。私の向学心をローレンツくんは認めてくれた。「理学に関しては、君に向いているとは思えないがね」と一言呟いてからだったけれど。



「だが向上心が高いのは良いことだ。我々貴族には平民を守る義務があるからな。しかし、分かっているとは思うが、意識だけでは何も守れないぞ」

「うん、重々承知しています……」

「最近のはどうも気が抜けている。授業も上の空で、挙句今日の訓練では剣すらも取り落していたじゃないか。実戦だったら死んでいたぞ」

「……」



 もしもこの時教室内に他に生徒がいたら、私はこんな風に自分の感情だけを直視することはなかったのかもしれない。むしろ、ローレンツくんに一言や二言、言い返してさえいたはずだ。
 だけど今の私は非常に精神状態が良くなかった。放課後の、人気のない教室の隅。秋めいてきたガルグ=マクは肌寒く、今日はよりにもよって空が濃い雲で覆われている。陰鬱な気分になるには充分だった。
 自分が泣いてしまいそうになるのを察して、私は口の中を思い切り噛んだ。こんなところで泣くな、と念じる様に強く思う。情緒の不安定さを幼馴染である彼にぶつけるなんて、未熟も良い所だ。



「もうすぐ鷲獅子戦もある。ハンネマン先生は参加を見送るそうだが、その分我々が一丸とならねばな」



 ローレンツくんがそう言った直後、彼が私に背を向けたのを見計らって鼻を啜った。まだ鼻の奥は痛いけれど、ため息を吐いて、何とか感情の波が収まってきたのを自覚する。








 最近のは妙にしおらしいと言うか、大人しかった。普段の彼女であれば言い返しそうな言葉にも、唇を噛みしめて耐えている。何かあったのだろうことは窺えるが、僕に相談する気はないらしい。いや、厳密に言えば、僕以外の誰に対しても彼女は内に抱えた蟠りを自ら見せはしない。だから、表情がいつまでも曇っているのだ。彼女は考えていることがすぐに顔に出る。こうして淀んだ目をするが未だ自分の抱いている悩み事に対する解決の糸口を見つけることができていないのは明白だった。
 彼女が僕に理学の勉強を本格的に教えてほしいと頭を下げてきたときは、それでも誇らしかった。リシテアくんを選ばなかったのは、彼女の勉強の妨げになることを嫌ったのだろう。例え消去法であったとは言え、僕に声をかけてくれたことは素直に嬉しい。頼られて、悪い気はしないから。
 だから、本当は期待していたのだ。その日の全ての授業が終わった放課後、二人きりの教室で彼女が浮かない顔をしていた時、もしかしたら僕にその内情を打ち明けてくれるのではないかと。けれど結局は何も言ってはくれなかった。
 一応は和解という形を取ったとは言え、やはり翠雨の節でのことが尾を引いているのだろうか。あの頃、僕たちは実に一節の間まともに会話をしなかった。丁度僕が彼女に幼馴染であることを隠そうと提案した、竪琴の節の頃のように。
 涙の浮かんだ瞳で「馬鹿」と言われて以降、翠雨の節が終わるまで彼女を避けていたことは記憶に新しい。ほとんど僕の方に原因があったとは言え、僕があの時即座に彼女への謝罪の場を設けなかったのには訳がある。僕は幼馴染として、同じ同盟の未来を担う仲間の一人として、彼女の将来を案じていた。勿論今でもその気持ちは消えていない。クロードの言う通り、その結婚相手を見繕うくらいはしてやるつもりでいたのだ。
 僕自身がそれに気がついたのがいつからだったか定かではないが、僕には確信があった。
 恐らくはクロードのやつが好きだ。
 正直、趣味が悪いと思う。リーガン家の後継者とは言え、ほとんどその出自は不明と言って差し支えない。
 クロードが恐ろしいほどに優秀な男であることは認めよう。どんな世界を生きていたのかは知れないが、それでも彼の視野の広さ、先を見通す力と言うのは異常なまでに高かった。ルーヴェンクラッセへの課題協力として同行したあのコナン塔での出来事を、僕ははっきりとした箝口令が敷かれる前に全てクロードに話した。恐らく資格を持たずして英雄の武器を使ったことへの反動だろう、意識を飲まれたマイクランが黒い獣になって我々を襲ったこと、それを倒したのが天帝の剣を持ったベレト先生であったことを事細かに伝えた僕に、彼はその翡翠の瞳を見開いた。



「へえ。……そうなっちまうのか」



 僕はその双眸が、ほとんど歪んでいるようにも思えたのだ。
 いかなクロードと言えど、同盟を陥れようと言うつもりはないはずだ。それを信じているからこそ、僕はあの時彼の駒になった。だが、実際はどうなのか。セイロス教会への疑念、なるべく皮で覆うようにはしているようだが、時折あれは露出する。僕だってそれほど敬虔な信徒であるわけではないが、レア様がいるからこそ守られる平和というものがある。それをあいつは軽率に否定するから、困るのだ。あいつが何を企んでいるのか、僕にはそれが掴めない。そうである以上、やはりクロードは同盟にとって未だ不穏分子だ。そんな男とが、と思えばあまりいい気持ちはしないのは当たり前だろう。僕は未来の同盟領、ひいてはフォドラを思う気持ちは誰にも負けないと自負しているが、それと同じくらいに、世間知らずで感情の振れ幅の大きい幼馴染の幸せを願っているのだ。
 の幸せを思うならば、クロードは勧められない。そう思う一方で、彼女自身がクロードを誰よりも愛していると言うならば、それこそが彼女の幸せなのだろうとも思う。
 天秤に乗せられたそれらはその日によって傾きを変えた。だから、どうしたら良いのか分からなかったのだ。彼女のためにクロードとの仲を取り持つべきか、或いはと。
 考えあぐねて、どうすべきかを迷った。だからこそ、「馬鹿」と言われたのを良いことに仲違いした風を装って彼女から距離を置いた。そうして離れてみれば、少しは冷静になれるのではないかと思ったのだ。幼馴染ではなく、学友としてであればどうなのだろうと。
 結論は出なかった。僕がそれを下すよりも先に、彼女が僕の服の裾を掴んだから。
 あれは翠雨の節の終わり、丁度僕が課題協力としてコナン塔へ向かう前日、話し合いを終えてルーヴェンクラッセの教室を出た時だった。彼女はよりにもよってシルヴァンと二人で話をしていたらしい。クロードも問題だが、彼はもっと問題だ。どうしてはああやって迂闊なのか。付き合う相手は選ぶべきだ。例え友人であろうと。相手がシルヴァンだったせいもあって、あの時はつい声をかけてしまった。本当だったら、もう少し距離を置いておくつもりだったのに。
 シルヴァンを追い払った後、そのまま立ち去ろうとした僕の裾を言葉もなく掴んだ彼女に、しかしどうして折れない選択肢を選べただろう。膝をついた僕に、彼女は目を丸くした。まだ客観的に、離れた位置から彼女とクロードを見ていたかったが、こうなってしまえばそれもできまい。



「……君に言いたいことは、たくさんあるんだが」



 そう、たくさんあったのだ、本当に、数えきれぬほど。



「……あの時言い過ぎたことは、謝ろう」



 やはり君は男を見る目がないよ。
 馬鹿なんて言ってごめんと、ほとんど泣き出す寸前の子どものように頬を赤くした彼女は、きっとまだクロードのことが好きなのだろうな。








 縁談を断ったらしいと聞いた。そもそも彼女に縁談があったことすら僕は知らなかった。それを僕に話したクロードはさも僕も知っているだろうと言う顔をしていたから、「そうらしいな」などと嘯いたけれど、僕は、本当は混乱していたのだ。話を聞けば、相手は僕も知っている人物だった。ゴネリルの南西に位置するケント家の子息、オミッド殿。真摯な人柄で、家柄もアレキサンドルと丁度釣り合う。クロードよりはよほどまともだ。断るべきではなかったのではないか、そんな思いが頭をもたげたのに、同時に僕は安堵しているのだ。
 そうやって僕の知らないところで少しずつ彼女を取り巻く環境は変化するのだろう、これからも。この大樹の節まで、僕は君と十年会っていなかった。それを考えれば、そんなことに打ちのめされたように思うのは、おかしな話だな。
 最近のが腑抜けていると注意した直後、彼女の情緒が乱れる気配を感じ取った。僕に叱られたからというよりも、それはふとしたきっかけで表面張力として溜まっていた水が容器から溢れたような感情の動きだった。だから、自然な所作に見えるように彼女に背を向ける。その瞬間、背中の方で鼻を啜った彼女は、こんな時こそ僕を頼るべきだった。


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