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クロードの考えていることは、半分程度ならば読めていると、そう思っている。
その程度、自慢できるものではないとアドラークラッセの級長の従者ならば鼻で笑うかもしれぬが、相手はあの猜疑の塊が服を着て歩いているような男、クロード=フォン=リーガンだ。幼い頃から傍にいたならいざ知れず、まともに付き合い始めたのはこの大樹の節からで、重ねた日々の浅さを思えば僕の彼への理解はそれなりの度合いに達しているのではないかと思う。そう思わされるように誘導されている感も、否めはしないが。
クロードは線を引くのが上手い。己の中に何層も継ぎ目の見えない膜を張って覆い隠した、その奥にある核の存在をさりげなく明らかにしておきながら、決してその中身を明かそうとはしない。相手を探るが自分の腹は探らせず、のらりくらりと避けておきながらも、しかし誰かが本当に困っていれば、迷うことなくその手を差し出す、そういうところが厄介だ。の目線の先を見ていると、そう思わざるを得ない。
決して悪い男ではないのだ。僕はまだ、彼を完全に認めることはできそうにないけれど。
クロードがガルグ=マクに戻れば、七日に及んだ円卓会議の仔細をまず尋ねる予定だった。父からグロスタールと隣接する領地を持つアケロンの不審な動向を聞かされていた身であったためだ。
アドラステア帝国との国境であるアミッド川にかかるミルディン大橋、その北に支配地を持っているアケロンはその地理的な問題も相まってか、それを盾にする傾向があり、周辺諸侯との諍いが絶えない。自立心を尊ぶ一方で協調性に欠くというレスター諸侯同盟の「色」をアケロンは顕著に表していると言っても良いだろうが、未来の同盟を思うならば余計な発言、行動は控えるべきだろう。
とは言え未来のレスター諸侯同盟のために動く父にとって、アケロンの引き起こす諸問題は些事に過ぎない。父は円卓会議における優位性を保つための下準備に余念がなく、そのため今後あの領主が問題を起こした場合、僕がその尻拭いを頼まれていた。
何かその件について議題に上がりはしなかったか、そう尋ねるつもりだったのだ。
厩舎の脇、を責めてしまった僕の背後から声をかけたクロードの神出鬼没さは今に始まったことではないが、今のはこの男にだけは見られたくはなかったな。「戻ったのかクロード」取り成すようにそう言えば、クロードはの走り去っていた方向に目線を向けたまま、「ああ、今さっきな」と答える。
何かを尋ねられる前に口にしたのは、この男の口から、彼女の名前を聞きたくなかったためだ。
「……君がいない間に色々あってな」
女々しい言い方になりはしなかっただろうか、そう考えながら、それよりも、そう考えていること自体を勘付かれては困ると、彼を真似て、騎士の間と大広間の境になる道を抜けて行った彼女の背を捜す。勿論、とうの昔に彼女は視界から消え去ってしまっていたわけだが。
「色々ねえ。含んだ言い方をするじゃないか」
「七日も不在にしていたんだ。一言では語れぬほどの出来事というものも起こり得るさ」
「違いない。が、ローレンツ、俺はお前ならそれでも上手くやると踏んでいたし、今でもそう思っているんだがなあ」
彼らしい嫌味に目線だけをそちらに向ければ、クロードもまた同じような仕草で僕を見つめているのだから嫌になる。そもそも今の僕との会話を、この男は一体どこからどこまで聞いていたのか。「今のはお前が悪いよ」と吐き出された、その言葉を信用するならば、一部始終を見られていたと思って間違いないだろうが。となれば、不愉快なほどに良く回る頭を持つ男だ。あの会話から何が起きたかを推察することは容易いだろう。
どこから切り出すべきか思案しかけた、その瞬間だった。「まあ俺にとっても悪くはない提案なんだが」独り言のように続けられた言葉に息を飲む。
「……よりによってか」
彼は確かにそう言った。その言葉が、僕が飲み込んだ疑問の答えでもあったのだ。
「……先生も、何を考えているんだか」
或いは、何も考えてないのか。翡翠色の瞳が細められたその瞬間、僕はこの男が一体どこを見ているのか分からなくなる。
今の言葉を額面通りに受け取るならば、クロードにとって、今節のルーヴェンクラッセに与えられた課題に「協力」すること自体は吝かではないのだろう。ただ、頼まれた相手が問題だった。足の怪我から復帰して間もない、戦いに慣れていない生徒。危険性を考えれば級長としては止めざるを得ないだろう。そう、級長としては。それ以外の何かをクロードが抱いているかどうかは、僕には推し量れない。
願ってもない提案だと諸手を挙げて認めることができないのは当然で、しかしもしも彼自身が級長と言う立場でなければ、クロードはベレト先生に自らを売り込みすらしたのではないだろうか。それだけの価値が、そこにあったのだ、少なくとも、彼にとっては。
思い出すのは、クロードが円卓会議に発つ直前にした、あの会話だ。
「ゴーティエ家のマイクランは、紋章がないが故に廃嫡されたんだ。なのに、紋章がなければ扱えないと言われている英雄の遺産を盗み出し、振るっている」
クロードは恐らく、どんな方法であれ、それを確認したいのだろう。彼が真に固執しているのは、恐らくベレト先生の持つ天帝の剣であるだろうが。その理由は分からないとは言え、クロードのことだ、彼には彼なりの考えがあることは確かで、それは同盟を裏切る類のものではないと僕は信じ始めている。
少しくらいは恩を売っておくか。
それに、断るつもりであったと彼女は言っていたが、人の良さというか、ある種での気の弱さが災いして、押し切られる可能性もある。ならばいっそ、その前に別方面から誘いかけることも悪手と言うほどではないだろう。そう計算しながらクロードに目線をやれば、クロードも薄く微笑みながら、企んだような目を僕に向けている。考えていることは、同じということか。大仰にため息を吐いて肩を竦めれば、クロードは堪えきれないと言うように笑った。
「…………貸しだぞ」
「話が早いな、助かるよ」
手の上で踊らされているのだろう。お前の描く盤上遊戯、その駒の一つになるのは不愉快だ。だから、これはお前のためではない。言いかけた言葉は喉のあたりで引っかかる。
もう、彼女を危険な目には遭わせたくないと思うのだ。
それは恐らく、この男の意図するものでもあったのかもしれないけれど。
「先生、ちょっと良いだろうか」
話をつけるならば早い方が良いだろうと踏んだ僕がベレト先生に声をかけたのは、クロードとのやりとりの翌日のことだった。
人のことを言えたものではないが、彼は線が細い。クロードに対する目線とそう変わらないことを思えば、二人の身長差はほとんどないものと思って間違いないだろうが、彼からはクロードのような生気はほとんどなく、どうも浮世離れしているように思えた。
ベレト先生は池に釣り糸を垂らしたまま、僕に目線だけを向ける。
「ヒルシュクラッセの」
思案するように細められたその眦が、どうやら僕の名を覚えてないらしいことを告げたけれど、僕の自尊心はそれほど踏みにじられたようには感じられなかった。勿論、これが他の相手だったらまた感じ方は違うのだろう。ただ、ベレト先生ならばさもありなんと思うのだ。
彼の目はどこも見ていないようにすら思うから。
「ローレンツ=ヘルマン=グロスタールだ。ベレト先生」
だから、刻み付けてやるのはこれからでいい。先生の双眸がやけに遅い速度で瞬くのを、僕は無意識に、探るように見てしまう。
「はっ? ローレンツくんが、ですか?」
「ああ」
結局私がベレト先生に声をかけることができたのは、休みの明けた月曜日のことだった。
食堂で一人黙々と食事を摂っていたベレト先生の隣に座った私は、声量を落として「先日誘っていただいた課題の件についてなのですが」と畏まって切り出したのに、ベレト先生はほとんど表情も変えずに「ローレンツから話は聞いている」と首を傾げた。
だけど、首を傾げたいのは私の方だ。ベレト先生の言っている「話」が理解できず、私はおうむ返しに「ローレンツくんから? 話を?」と尋ね返してしまう。食堂のざわめきに、彼の声が飲み込まれることはない。感情の薄い、けれど射抜くような瞳が私を見る。
「の代わりに、彼が課題協力の申し出を受けると」
その瞬間、とうに完治したはずの右の腿が、じくりと音をたてて痛んだような気がした。
窓から差し込んだ光が、ベレト先生の頭半分を照らしている。けれど、彼は眩しさに虹彩を調整しようともしなかった。まるで人間離れしたようにすら見える滑らかな皮膚、薄い唇が何かを続けたけれど、私の脳は、彼が直前に私に向けて吐き出したその言葉を咀嚼するのに精一杯で、彼の発言、その全てを、受け入れてはくれそうにはなかった。
下衣の上から無意識に触れた傷痕は、細やかな凹凸を以てその存在を知らしめている。