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 私が知らなかっただけで、フォドラは大小の差はあれど常に何らかの問題を抱えていたのかもしれない。
 レア様の暗殺未遂事件は私の中でも衝撃的な出来事だったのだけど、その余韻も覚めやらぬ翠雨の節、またもやベレト先生の学級に賊の征討命令が下された。
 士官学校での課題に於いて、この時期の賊討伐というのは珍しい話ではないらしい。事実、農作業の手伝いや大聖堂の掃除と言った平和な課題しか与えられることのなかったヒルシュクラッセにも、とうとう街道を行き交う荷馬車を襲う盗賊の討伐が課題として提示された。しかしルーヴェンクラッセに関してはこの征討対象とされている賊というのが問題で、今回の彼らの相手はただのならず者の集団ではないらしい。
 廃嫡されたゴーティエ家の長兄であったマイクランという男が、ゴーティエの屋敷に保管されていた英雄の遺産を盗み出したと言うのだ。彼は今ガルグ=マクより北に位置するフラルダリウス領のコナン塔を根城にして、その武器を片手に盗賊たちを率いているらしい。
 英雄の遺産と言えば雷霆を扱うカトリーヌさんがまず連想されるが、記憶に新しいのは前節のことだ。
 あの侵入者騒動の折に、聖廟に封印されていた英雄の遺産である天帝の剣をベレト先生が扱い、賊を撃退したのだという。その武器は天帝の剣と呼ばれ、かつての英雄王ネメシスが女神より授かったとされるもので、彼の死後は扱えるものが存在しなかった。レア様はこれをベレト先生に預け、セイロス教会のためにその力を振るうことを命じられた。
 信じがたいことのように思えるけれど、実際に天帝の剣とやらを携えたベレト先生を目の当たりにしてしまえば疑うことなどできるはずがない。



「やっぱりあの先生は普通じゃあないよなあ」



 だが、セイロス聖教会の遺産である天帝の剣を、まだガルグ=マクに来て日の浅いベレト先生に与えることの意味を考えれば、普通じゃないのはレアさんの方か? 教室前の芝生に設置された縁台の脇、そこに座る私の真横で、頭の後ろで手を組んでそうぼやくのはクロードくんだ。
 一人で本を読んでいた私は、突然声をかけられたことに悲鳴をあげかけるが、耐えた。ばくばくと音をたてる心臓に気づかれないよう、なるべく平静を装って本に栞を挟んでから膝の上に置く。
 クロードくんの方に目線をやれば、その瞳は、ルーヴェンクラッセの教室から出てきたベレト先生、その腰にある天帝の剣を凝視していた。



「……あの剣を扱えるってことは、つまり先生は解放王ネメシスの子孫ってことか」

「でも、ネメシスに子孫はいないって言うよ」

「それは表向きの話だろ? どんなに途絶えさせようとしたところで、裏では脈々と受け継がれる血筋ってのはある。ま、解放王ネメシスの血を途絶えさせる利はなさそうだし、今回ばかりは当てはまらないかもしれないが……」

「だが、例の賊であるゴーティエ家の者は紋章がないらしいじゃないか」



 私たちの会話が耳に入ったのだろう。私とクロードくんの視界を遮るように立ったローレンツくんは、腕を組んでクロードくんを見やる。



「グロスタール家に伝わる遺産も例外ではないが、遺産とは紋章がなければ使えないものだと言われていた。君もそうだろう? クロード」

「その可能性は俺も想定済みさ。だからベレト先生に無理を言って貸してもらったんだよ。だがあれは駄目だった。俺が振るってもただの棒切れだ」

「……ああ、なるほどな。ならば天帝の剣だけは例外という可能性があるのか」

「……?」



 二人の会話が飛び過ぎて理解が追い付かない。
 ネメシスの子孫の話から、どうしてゴーティエ家の、今回問題となっている元嫡男の話になり、そこからクロードくんが天帝の剣を使えなかった話になるのだろう。
 眉を寄せて二人を見上げていると、クロードくんの方が気づいてくれたらしい。わざわざ一つ一つ、噛み砕いて説明をしてくれる。



「ゴーティエ家のマイクランは、紋章がないが故に廃嫡されたんだ。なのに、紋章がなければ扱えないと言われている英雄の遺産を盗み出し、振るっている」 

「……つまり、先生が授けられた天帝の剣もまた同じように、ネメシスと一致する紋章がなければ使えない、という類のものではないのではないか、ということだ」

「はあ。……うんうん、うん」

「だが、俺には天帝の剣は扱えなかった。他の英雄の遺産は兎も角として、少なくとも天帝の剣だけは扱うのに紋章が鍵になっている可能性が高い、ってことだよ」



 つまり、先生が鍵になる紋章を持っている、言い換えれば、ネメシスの子孫であるという可能性は捨てきれない、という話に繋がるらしい。
 二人によって丁寧に補完されていく情報にうんうんと頷く。確かに言われてみればその通りだ。紋章の授業が好きだと言う割に、実際の日常会話でこの知識を基にできるほど私の頭は柔らかくないらしい。でも、このフォドラに貴族として生まれた以上、例え紋章がなかろうと、同盟領内の円卓会議における決定権を持っていなかろうと、このくらいの会話についていけるくらいにはならなくては。自省する私を余所に、二人は会話を再開する。



「子孫であるかは別として、彼が天帝の剣を扱うに値する紋章を持っていることは確かなのか?」

「さあなあ。そこはハンネマン先生の領分さ。どうせあの人のことだからベレト先生のことはもう調べてるだろうし、この後ちょいと聞きだしてみようとは思ってるがな」

「……君は本当に抜け目がないな」

「何事も、気になることはとことん調べなければ気が済まない性分でね。ということで次の授業が始まる前に、俺はハンネマン先生のところに行ってくるよ」



 ひらひらと手を振って先生の研究室がある大広間の方へ向かっていくクロードくんに、慌てて「いってらっしゃい」と声をかける。彼はわざわざ振り向いて、もう一度手を振ってくれた。
 そんな私の後頭部に視線が突き刺さっているような気はするけれど、ローレンツくんが何も聞かないなら、私も何も答えない。








 ダフネル家のジュディットさんがガルグ=マクを訪れていると耳にしたのは、その後のことだった。
 ダフネルと言えばかつては同盟領内での円卓会議における議決権を所有していた貴族だが、家中の分裂により勢いを失ったこともあり、今はその議決権をエドマンド辺境伯家に譲っている。ダフネル家は、ここ何代かは紋章持ちの当主も現れていないが、名家であることには変わりなく、クロードくんもジュディットさんには信頼を寄せているようだった。



「ジュディットさん、ご無沙汰しています」



 領土を隣接させているだけあって、私もジュディットさんには幼少の頃からお世話になっている。玄関ホールまで挨拶に出向けば、彼女は烈女と称されるにはあまりにも柔らかくその瞳を細めた。たっぷりとした髪を前髪ごと後ろで一つに束ねた彼女の精悍な顔つきは、最後にお会いした数年前とほとんど変わっていない。



「ああ、。久しぶりだね。元気だったかい?」

「はい。おかげさまで! ジュディットさんもお元気そうで、何よりです」



 ダフネル領からここ、ガルグ=マクは、それほど距離があるわけではないとは言え、使いの人間ではなくジュディットさん自らがやってくるなんて珍しい。となると、それなりに急ぎの用件があるのだろう。



「クロードくんですか? 捜してきましょうか」

「いや、今別の人間に頼んだところだから大丈夫だよ。……まあ、あの坊やがすぐに捕まるとは思えないがねえ」



 ジュディットさんはクロードくんのお祖父様でいらっしゃるリーガン公が体調を崩されたとのことで、次回の円卓会議に代理として出席してもらうようクロードくんに頼みに来たのだと言う。
 リーガン公は既にご老体であったから体調を崩されたと聞いてどきりとしたけれど、重篤なわけではなく、大事を取っての休養だそうだ。胸を撫で下ろす私に、ジュディットさんは「というわけで」と続ける。



「悪いんだけど、数日程度坊やを借りていくよ」

「その呼び方はやめろと言っているだろ、ジュディット」



 背後から突然聞き慣れた声がして、思わずびくりと肩を震わせた。他の人ならそうでもないはずなのに、私はやっぱり、クロードくんのことを特別に意識してしまうのだ。



「おや、案外早かったじゃないか」



 そう言って目を丸くするジュディットさんに、「丁度俺も用事が済んでそこらにいたんでね」と答えるクロードくんは、私よりもずっとジュディットさんとの付き合いが浅いはずであるにもかかわらず、気安く堂々としている。この貫禄や余裕を彼は一体どこで身に着けてきたのだろう。
 用事が済んだということはハンネマン先生との話は済んだということなのだろうか。ベレト先生が持つ紋章の正体を、彼は既に聞いたということか。
 尋ねたかったけれど、リーガン公の容体について話している二人に割って入る気もなければ、そもそもジュディットさんの前で尋ねる話題でもないと考える。開きかけた唇を閉じる私に、「」とクロードくんは振り向く。



「これからすぐ出なきゃいけなくなった。ヒルダやローレンツに伝えておいてもらえるか?」

「あ、うん。えーと、何日くらいかかりそうですか?」

「そうさねえ。円卓会議の議題内容によるんだが……まあグロスタール家と揉めることがなければ数日以内には戻って来られると思うよ」

「……だとさ」



 グロスタールの現当主でいらっしゃるローレンツくんのお父様は、リーガン家と対立している。そのためどうしてもリーガン寄りの人々には厄介な人間であるように表現されてしまいがちだけれど、本当は誰よりも同盟の未来について考えていらっしゃる方だと、私は思っている。
 同盟をより良くしようと言う思いは変わらないはずなのに、手を取り合って進むことが出来ないのは何だか歯痒いものだ。私のような世間知らずの子どもには想像もできないような政治的な問題が、そこには絡んではいるのだろうけれど。



「まあ、今節の課題までには余裕を持って戻れると思う。もし何かそれまでに問題ごとが起きたら、ヒルダかローレンツにでも回してくれりゃあ良いからさ。頼むよ」



 ローレンツくんは兎も角、ヒルダちゃんに問題ごとを回そうものならその問題は放置されて永久に解決しないように思うけれど。表情に出ていたのだろう。クロードくんは笑いを堪えたような顔で眉を寄せると、躊躇うこともせずに私の肩に手を置いて「じゃ、行ってくるな」と言う。
 そう言えば、今日彼にこの言葉を言うのは二度目だな、そう思いながら「いってらっしゃい」と返せば、クロードくんは今度こそその双眸を細めて笑った。
 私は彼の目が笑っていないとか、そうでないとか、そういうのが分からない。だけど、今私に見せてくれたこの笑顔は、本物であるように思えるのだ。ただの願望かもしれないけれど。
 私はその睫毛が頬に作る影に、ただただ目を奪われている。


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