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 女神再誕の儀を数日後に控えたガルグ=マク大修道院は、息苦しいほどの緊迫感に包まれていた。英雄の遺産を振るう聖騎士のカトリーヌさんは、暗殺計画を知って以降いついかなるときもレア様に寄り添い殺気を滲ませ、騎士は勿論、騎士見習いである従士まで駆り出され日々修道院の警備にあたっている。儀式当日はこの騎士たちがレア様の暗殺阻止のための警護につくため、私たち士官学校の生徒が修道院の警備や見回りを行うことになっていた。
 敵の狙いは別にあると違いないとかねてからクロードくんは推測しているし、彼の話を聞いた私もそうであるように思う。ただ、だからと言ってその目的が明らかになっていない以上、動きようがないのが現状だ。そう決めつけて思考を停止していた私だったけれど、クロードくんは独自で調査を続けていたらしい。



「勿論教団からしてみたらレアさんの身を守るってのが第一だろうさ。だがそのための厳重な警護と引き換えに、手薄になる場所ってのが必ずある。問題はその場所ってやつなんだが……」



 ヒルダちゃんを極度の面倒くさがりと評しておきながらも、クロードくんはこうして、個人的に話しかけて情報を共有しようとする。ヒルダちゃんの隣の席である私の耳にも入ってくる彼の声は、揺るぎない自信に満ちていて、私はいつも、耳をそばだてて聞いている。



「えー、でもそれだとレア様がいないところ全部ってことになっちゃわないー?」

「いや、大体目ぼしはついている」

「そうなのー?」

「まあ、個人的に調べさせてもらったよ。苦労したんだぜ? 修道院の方々ってのは、なかなか警戒心がお強くいらっしゃるみたいでな」

「それはクロードくんが胡散臭いからじゃないのー?」

「そんなことないよなあ

「えっ」



 ヒルダちゃんとクロードくんの会話に混ざっていたつもりはなかったけれど、突然話を振られて狼狽してしまった。耳をそばだてていたとは言え、意識はその時読んでいた理学の教本に三分の一、クロードくんの存在そのものに三分の一、二人の会話の内容に三分の一ずつ均等に割いていたのだ。意見を求められてすぐに対応できるほど器用ではない。
 私は教本を閉じて、助けを求める様にヒルダちゃんの顔を見る。彼女は何故か知らないけれど私がクロードくんに好意を抱いていることをそれこそ大樹の節から知っていて、今も生温かい双眸で緩く頷かれてしまった。
 クロードくんが胡散臭いか、胡散臭くないか。ヒルダちゃんから目線を移して彼を見れば、その翡翠色の瞳が力強い意志を持って私を見つめているから、閉じた教本を再び開いて顔を隠してしまいたくなる。
 クロードくんは、睫毛が長い。二重で、眉は凛々しくて、はっきりとした顔立ちをしているから、じっと見つめられると耐えられなくなってしまう。



「う、胡散臭いっていうか……」



 かっこいいからドキドキする、と口走ってしまいそうになって慌てて口を噤む。顔に熱がこもってくるのが分かって、私は結局「う、胡散臭く……は、ない! です!」と叫んで隠れるように教本を開いてしまった。ヒルダちゃんはきっと「あちゃー」って顔をしているに違いない。私の反応に、わは、とクロードくんが笑ったことだけが、救いと言えば救いだった。
 大樹の節、竪琴の節と、彼とは一日のうちの僅かな時間であったけれど、二人きりでいられた。寮から教室への行き帰り、それから診察室への送り迎え。私に後遺症が残るほどの怪我を負わせてしまったことへの償いだと彼は言っていたけれど、不謹慎ながらも、私は浮かれていた。その日の予定や、誰かの噂話、そういったものを彼と共有できることが楽しかった。
 怪我が治って、それまで見学していた訓練の授業に参加できるようになれたことは嬉しい。だけどその代わりに、私はクロードくんとの時間を手放した。そうしたら、何だか、前よりも上手く話せなくなってしまったのだ。彼が私のすぐ傍にいるだけで、身体がぽかぽかしてくる。息が出来なくなってくる。今だって、ずっと。
 私が感じていた特別感は紛い物だ。あの夜、怪我をしたのが私だったから優しくしてくれていただけで、それがヒルダちゃんであってもレオニーちゃんであっても、イグナーツくんであっても、きっと彼は毎日の付き添いを申し出ただろう。私は特別扱いをされていただけで、彼の「特別」ではない。



「で、その怪しい場所ってのを当日特に警戒しておくべきかとは思ったんだが……」

「ええ〜? 確証はないんでしょー?」

「まあ聞けって。俺の入手した情報によると、ルーヴェンクラッセもどうやら当日はそこに向かうつもりでいるそうなんだよ」



 ルーヴェンクラッセという単語に反応して、隠していた顔を覗かせると、クロードくんの横顔が視界の真ん中に収まる。「先生とディミトリもやるよなあ」何か含んだような言い方で腕を組むクロードくんに対して、ヒルダちゃんは対称的にその顔をぱっと明るくした。



「ベレト先生たちが見張ってくれるなら大丈夫なんじゃないのー?」

「まあな。二学級が一箇所に押し掛けるわけにもいかないし」

「うんうんそうだよー! ディミトリくんたちに任せようー! それがいいよー!」



 ヒルダちゃんは問題事を避けるタイプの女の子だから、意地でもその「警戒しておくべき場所」の仔細を聞くつもりはないらしい。クロードくんの言葉をほとんど遮るような形で手を叩くと、これ以上余計な話を聞く気はないとでも言うかのように「話も終わったし、あたしはちょっと用事を済ませてこようかなー」と逃げるように席を立ってしまった。
 その時に私の机の端を指で軽く二度叩いて行ったのを、私はしっかり見届ける。「がんばって」ってことだろう。でも、いや、やっぱりちょっと、上手くできるかわからない。目敏いクロードくんがその合図を見逃したとは思えないけれど、彼は教室を出て行ったヒルダちゃんを目だけで見送って「あーあ、ヒルダのやつ逃げやがった」と肩を竦めるだけだった。



「あの、クロードくん。じゃあ当日は予定通りに修道院内の警護ってことになるの?」



 こういう事務的な会話だったらほとんど労せずにできるのに。机の中にしまってある小さな包みの存在感をひしひしと感じながら、私は顔には出さないように彼に尋ねる。
 それでもクロードくんの瞳が私に向けられただけで心拍数が上がってしまうのだから、重症だ。



「そうだな。まあ、なるべく近くで待機しておくかとは思うんだが」

「近く……」



 それがどこになるのかを尋ねようと口を開きかけた私を制するように、クロードくんは言葉を重ねる。



「女神再誕の儀にしか開かれない場所がガルグ=マクにはある。普段は厳重に閉じられている場所だ。そこがどこかには分かるか?」

「へっ?」



 まるで謎解きでもするかのように突然問題を出されてしまって、私は慌てたけれど、思考のためにどうにか目線を動かした。
 教室の隅の方では、ローレンツくんがイグナーツくんと何かを話しこんでいるようだ。長身の彼の腰のあたりを凝視しながらクロードくんの言葉を反芻させる。再誕の儀の日にだけ一般公開される場所と言ったら、思い当たるところは一つしかない。



「……聖廟? かなあ?」

「お、良く知ってたな」

「私はほら、再誕の儀には毎年欠かさずここに来てたから……」



 正解したことに胸を撫で下ろす。
 聖廟は大聖堂の奥にあって、そこには聖者セイロスが眠っている棺がある。確かにその日に限り一般公開はされるけれど、大多数の信者はレア様の説法を聞くためにガルグ=マクに足を運ぶため、ほとんどの信者は聖廟へは立ち寄ることはあっても滞在時間は長くない。実際私も、毎年ガルグ=マクを訪れていたとはいえ、聖廟に足を踏み入れたことは一度だけだったように思う。
 そこは薄暗くて、肌寒かった。お祈りも済ませる前に大聖堂に戻りたいと泣いたのは、棺の中にセイロス様の身体がおさめられていると教えられて、何だか恐ろしくなってしまったからだ。父にも、母にも、兄にも、ついぞ言えなかったけれど。
 ベレト先生たちは当日、聖廟を徹底的に見張るだろうな、クロードくんが続ける。



「ま、何かあっても、先生たちが何とかするだろ。俺たちはいざって時に備えているだけで十分さ」



 そう言うクロードくんの目の奥は、どこか暗い。聖廟に一体何があるのか、どうしてそこが狙われているのか、そこまでは彼も掴めていないのだろうか。口元だけを曖昧な笑みの形にしながら、彼は私ではなく、開放された、教室の入り口の奥をじっと見つめていた。








 この日はクロードくんの誕生日だった。
 ヒルダちゃんに教えてもらいながら作った焼菓子は我ながら美味しくできたと思う。机の中におさまったそれは丁寧に包んであったけれど、でも、それを渡す勇気がない以上どうしようもない。その存在を指先だけで確認した私は、ため息も吐くこともできずに彼のことを見つめている。


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