■ ■ ■



「クロードはああ言ってたけどさ、わたしは別に、訓練場で武器を持つことだけが訓練だとは思わないんだよね」



 私の隣を歩くレオニーちゃんは、平時と何ら変わらない様子でそう言う。
 ガルグ=マクの外郭都市は女神再誕の儀を控え、普段よりも賑々しい。遠方よりやってくる信者で市場はごった返し、人並みを掻き分けて目的の店に行くのも一苦労だった。
 毎日目にしているせいもあるのか、士官学校の制服はその中でも一際目を引く。特にレオニーちゃんの髪は遠目から見ても鮮やかな橙色をしているから、見失ってはぐれる可能性はなさそうだけれど、問題は荷物の方だ。
 レオニーちゃんから「明日、わたしの用事に付き合ってくれよ」と頼まれたのは、昨日のことだ。どうやら街の方に出たかったらしいが、私も丁度便箋を切らしていて、近々外郭都市まで出向こうと思っていたため都合が良く、二つ返事で了承したけれど、レオニーちゃんは何も私のように買い物がしたかったわけではなかったようだ。
 クロードくんに「さばさば、ケチケチ」と称されるだけあって、レオニーちゃんは物持ちが良い。私だったら捨ててしまうようなものでも集めて、ひと手間加えて利用する。勉強用の筆記帳は古紙を使い、石鹸は油から作る。庶民の知恵だよと笑う彼女はしっかり者で、勤勉だ。



「こうして荷物を持って、人ごみの中移動するってだけでも今のあんたにとっては訓練の一環になるんじゃないかって思ってさ」



 それにこれなら、クロードにとやかく言われないだろ? 付け足すようにそういう彼女に頷き返しながら、私は早くも張り始めた腕の負担を少しでも和らげるため、荷物を抱え直した。
 私は今、便箋と布の端切れ、それから古書を持たされている。表紙の傷んだそれらは、古本を取り扱うお店で投げ売りされていたのを安く手に入れたものだが、内容が古いわけではない。「まだ使えるのに勿体ないよなあ。水でも零しちゃったみたいだけどさ、中は読めるし」とレオニーちゃんが言うとおり、表紙に難があるだけなのだから、本来高級な書物をあそこまで値下げしなくてもいいのではないだろうか。書い手としては有り難いことだけど。
 しかし、それが十冊を超えるとなるとなかなか持ち運ぶのも大変だ。お店の方の厚意で、麻紐でまとめてもらえたけれど、紐の部分を手にすれば皮膚にそれが食い込んでしまうため、結局両手で抱えて、その上に端切れと、自分が購入した便箋を乗せ、落ちないように顎で支えている。



「だらしないなー。ていうか、こうやって持った方が片手が空くだろ? ……ああでもはまだ無理しない方が良いんだったよな」



 納得したようにレオニーちゃんは頷くものの、怪我をする前であっても私にはこの本は重かったかもしれない。とは言え、彼女に言わせればこれもまた「訓練」だ。息が上がってくるのを自覚する。街からガルグ=マク大修道院へ戻るには緩やかな坂道になっているけれど、こんなに傾斜がきつかっただろうか。いつもより人が多いせいで通行人と肩がぶつかってしまった。「すみません」と咄嗟に声を出すけれど、私とぶつかった人は特に気に留める様子もなく、市場の方へと向かっていく。
 同じセイロス教の信者であるとは言え、同盟、帝国、王国と、信者さん達の出身は様々だ。言葉の使い方や発音も、服装も装飾品も、彼らはそれぞれ少しずつ異なっている。視覚的にも聴覚的にも情報過多で眩暈がしてくるのは、やっぱり私の体力が落ちてしまっているからなのだろうか。
 レオニーちゃんの半分しか持っていないはずなのに、抱えた本はずしりと重い。



「村と違って息苦しいと思ってたけど、都会のこういうところはいいよな。人が集まるから、不要なものが出る。再利用すればごみも増えないし、お金もかからない」

「うん、そうだね……」

「でも、みたいに手紙を出すための便箋が必要ってんなら、買うのも仕方ないよなあ。試験用紙の裏を使って出すわけにもいかないしさ」

「……」

「おいおい大丈夫か? 顔色が悪いけど」

「……試験用紙の裏はさすがに、無理かな」

「会話が一拍遅れてるんだよなあ……。この後油も貰いに行くんだぞ、倒れるなよ」



 ふうふうと息を整えながら歩いていた私の脳に、「油」という単語がきっちり染み渡るまで結構な時間を要してしまった。
 油。油って、油か。レオニーちゃんお手製の石鹸は、良く汚れが落ちるんだよな……とは思うし、以前もらったものはもう一欠けらほどにまで小さくなってしまっている。「そろそろなくなりそうだろ? また作ってやるよ」と言ってくれていたから、たぶんそのための油を貰いに行くので間違いない、だが、もう限界だ。



「れ、レオニーちゃん、私、ちょっともう、今日は、油までは駄目かも……」



 レオニーちゃんは、感情が表に出やすい人だ。私がそう告げた時、彼女の瞳はぱっと見開かれた。だらしないな、って、そう言わんばかりに眉が八の字になる。
 腕はしんどいし、そろそろ運動不足のふくらはぎが張ってきた。だけど、それよりも人に酔ってしまったのだろうと思う。視覚をなるべく遮断したくて目を細める。本当は俯きたかったけれど、俯こうにも本が邪魔して顎がつかえる。レオニーちゃんはだけど、予想に反して「仕方ないな」と、私を安心させるためにか、ちょっと困ったようにではあったけれど、微笑んだ。



「無理につきあわせて悪かったよ」

「いや、ごめんね私こそ」



 慌てて謝れば、彼女はゆるゆると首を振る。



「もう無理だって時、はっきり言えるのはのいいところだよな。わたしはこんなんだからさ、黙ってられたってわかんないし」



 根性がないとも言い換えられるような気がするけれど、それでも褒めてくれてはいるらしい。曖昧に笑う私に、レオニーちゃんは目線を市場の方へと向ける。



「わたしはこのまま油を貰ってくるけれど、は一人で帰れるか?」

「うん、それは大丈夫」

「なんならあんたが持ってるその本もわたしが持っていくけど」

「それじゃあレオニーちゃんが大変だよ。ここからなら修道院も近いから、平気」

「良いのか?」

「ううん、こっちこそごめんね。本はレオニーちゃんの部屋に置いておけばいい?」

「ああ、一晩の部屋に置いておいてくれるかな。鍵を閉めてきちゃったんだ」



 快諾した私に、「今度何かお礼するから」と言って、レオニーちゃんは雑踏の中に消えて行った。
 蠢く人の頭に再び気分を悪くしながらも、私は再び歩き出す。山の上にあるガルグ=マクへは、どうしたって緩やかな傾斜のある道を歩かねばならない。
 歩くたびに、わき腹が痛む。体力が落ちたとは思っていたけれど、ここまでだなんて思ってもみなかった。雨季を終えたガルグ=マクは平地に比べれば涼しい方ではあるけれど、制服の下、胸のあたりを汗が伝う。視界は明滅を繰り返し、耳の奥では甲高い音がいつまでも響いている。額の汗を拭いたくても両手が塞がっていて、それは瞳の脇を滑り落ちて便箋に染みを作った。
 朦朧としていたとは思う。だから、私は耳に入った通行人の言葉を、最初は理解できなかった。



「ねえ、知ってる? 最近、夜になると死神が現れるって」



 歩いていた足がその後止まってしまったのは、死神という言葉が脳に完全に浸透したからだ。私はその時、酷い顔をしていたと思う。
 死神。死神って、死神? 黒装束に鎌を持った、あの死神のことで間違いないのか。冗談に違いないと決めつけて会話をしているご婦人方を見やれば、彼女らは酷く真剣に「そうらしいわね」「知人の子どもが襲われたらしくて」なんて言い合っているから、心臓が縮まったような形になってしまった。死神に襲われるとしたら、やっぱり得物は鎌だろう。月夜の下振り上げられた鋭利な切っ先はそれ自体が三日月になる、そんな姿を想像して、やっぱり寒気に襲われる。
 真偽はどうであれ、そういった話は苦手だ。
 耳を塞いで立ち去りたいのに、生憎両腕は塞がっており、駆け抜けるための足は疲弊しきってまともに動く気がしない。外郭都市は今そんな危険な輩が徘徊しているのか。お化けなんかであるはずは、そう、ないわけだから、誰かの悪戯であるだろう、いや、悪戯に違いない、断定するのだ。死神を装った変質者が出没するなんて、世も末だ。
 空を見上げれば、陽が傾き始めているらしいことに気が付く。夜になるにはまだ随分早いけれど、早く戻るに越したことはない。死神がどうとかそう言う話じゃなくて、暗いと、あんまり良くないものね。色々と。
 これも訓練、自分にそう言い聞かせ、重たい足に喝を入れて進む。ガルグ=マク大修道院に続く門が見えたとき、私はようやく、はあ、と長い安堵のため息を吐いたのだった。


prev list next