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 ガスパール城主の叛乱は滞りなく鎮圧されたけれど、ガルグ=マクは俄かに騒がしくなった。叛乱を先導したとされる城主の所持品から、大司教レア様の暗殺計画が記された密書が出てきたのだ。
 だけど、そもそも叛乱とはそういうことなのだろう。自分たちにとって都合の悪い現状を改革せんとするため、武器を持って立ち上がる。フォドラで権威を持つ中央教会が失墜すれば、確かに彼らの望む改革は容易かもしれない。このフォドラの根本が覆されるということなのだから。
 それを聞いてすっかり背筋が凍ってしまった。もし今回の叛乱でその密書が見つからなかったら、レア様の暗殺計画は水面下で着々と進められることになっていたのか。あんなにお優しい、聖母のような方がこのガルグ=マクから消えてしまったのかもしれないと考えただけでぞっとする。
 暗殺は女神再誕の儀である祭日を狙ったものらしいけれど、不特定多数の信者がガルグ=マクを出入りするその日は、元々レア様の警護が厳重になる。さらにこの密書の存在が発覚した以上、当日はレア様の周辺はさらに騎士で固められることになるだろう。私たち士官学校の生徒も、暗殺阻止に忙しい騎士団に代わって、修道院の警備や見回りが今節の課題として与えられた。だから、実際に暗殺計画が実行に移されたとしても、きっとそんなに大事にはならないはずだ。
 なんて胸を撫で下ろす私の隣で、クロードくんは何かを考え込むような顔をしていた。何か引っかかることでもあったのかもしれない。その瞳は思案の色を見せたままだ。伏せられた眼球は、右下に向けられたまま動かない。



「……ふーむ」



 無意識にだろう、ため息のような独り言がその唇から漏れるのを、私はただ、じっと聞いていた。彼の次の挙動を、見逃すことがないように。








 ガスパール城主の叛乱の事後処理を行うために王国領に向かったルーヴェンクラッセは、霧の中現れた敵と交戦が避けられない状況になったという。聞いたところによると、領民もまた城主であるロナート卿を守るために戦場に出ていたらしい。
 思わず想像してしまった。我が領土で、父が叛乱を起こし、領民もそれに続く。叛乱が起こった以上、騎士団はそれを鎮圧するしかない、例えそこにどんな理由があったとしても。
 敬虔な信者で、大司教を敬う父母だ。叛乱なぞ起こすはずがない。そう思うけれど、何かが一つでも間違っていたら、「あり得ない」その状況すらも起こりうるではないだろうか。今回のように。
 ルーヴェンクラッセの生徒たちが一様に暗い顔をしてガルグ=マクに戻ってきたのは、罪もない民を手にかけてしまった呵責によるものであったはずだ。私はその中に、落ちくぼんだ眼窩をしたアッシュくんを見る。
 私にとってアッシュくんは、ルーヴェンクラッセに在籍している、弓の上手な男の子だった。優しくて、何だか慈しむような目を時折見せてくれる。普段のアッシュくんの言動は、丁寧でありながらも随分と気さくであったから、根っからの貴族と言うよりは、平民か、或いは私のように小さな家の出なのかな、とぼんやり思っていた。結論から言えば、これは当たらずとも遠からずと言うことになる。
 直接本人に向かって出自を尋ねることをしなかったのは、機会がなかったからだ。私たちは良くも悪くも、士官学校に通う、所属する学級の異なる学生同士でしかなかった。彼に興味がなかったわけではない。
 彼の隣では、私は平生の自分でいられた。思ったことをそのまま話せた。変に緊張することも、自分を飾ろうと見栄を張ることもせずにいられた。感情を逆なでさせるようなことも、彼はしなかった。初対面の人間のために祈ると口にできる彼はきっと、優しすぎるくらいだった。
 だから、ルーヴェンクラッセの生徒たちを迎えたあの日、背後に立っていた騎士が吐き出した「つらかっただろうな」という言葉に、私はほとんど条件反射に顔をあげてしまったのだ。



「アッシュと言ったか。あの子は一番つらかっただろう。養父の起こした叛乱の鎮圧に赴かなければならなかったのだから」



 ベレト先生を先頭にして列を成したルーヴェンクラッセの生徒たちの中で、アッシュくんの背は一際丸まって見えた。








 アッシュくん、大丈夫かな。そんな思いは常にあったけれど、彼を慰めるなんて、付き合いの浅い私がそんな自己満足を押し付けるわけにはいかない。悶々とした気持ちを抱えたまま、数日が経っていた。努めて普段通りに過ごそうとしても、大修道院は再誕の儀を控えて、或いはレア様の警護と言う緊張感をもって、空気すらも張りつめている。



「クロードの推理は聊か突飛が過ぎると僕は思うのだが」



 書庫帰りの私をつかまえたのは、ローレンツくんだった。彼は私を食堂に連行すると、実に神妙な面持ちでそう呟く。
 授業の全て終わった放課後、昼食の時間が終わった食堂は閑散としていたが、何人かの学生が固まっておしゃべりに花を咲かせていた。いつもだったら堂々と真ん中の席に座る彼は、今日はわざわざ隅の方に腰を下ろしている。声音まで低く抑えるローレンツくんは、きっとそれが漏れればそれなりのことになると読んでいるのだろう。私もそう思う。
 今しがた借りてきた、長机の隅に置いた本の表紙を横目で眺める。リシテアちゃんに勧められた、易しい理学の教本だ。気を紛らわすためにも勉強するつもりだったけれど、それを開く気にもなれない。



「でも、やっぱり変は変だよ。密書だって暗号も使われてなかったなら、それは見せるためのものでもあるように思うし」



 自分の意見というより、クロードくんの意見をそのまま私の口から語っただけのそれに、ローレンツくんは不愉快そうに眉を寄せた。恐らく彼は、私が自分の意見を持っていないことを見抜いているのだ。私は他人が挙げた多数の意見から、自分が一番正しいと思ったものを選ぶ。その点で言えば、「自分の意見がない」とは言い切れないが、この場合ローレンツくんは新しい考えを自ら生み出すことを是としているのだろう。だから彼を苛立たせてしまうのは分かっているけれど、そこまでの能力は、私にはない。
 クロードくんが、ロナート卿の所持品から見つかった密書を「教会を欺くための罠」ではないかと口にしたのは、昨日のことだった。



「レアさんを殺すってんなら、何もわざわざ警備が厳重になる日を狙う必要はないだろ?」



 要するに、他に狙いがあるはずなのだと。レア様の警護を厳重にすることで、手薄になるどこかを敵は狙っているのかもしれない。だが、それが一体どこなのかまではさすがのクロードくんにも分からない。



「確証はないだろう」



 ローレンツくんはクロードくんの言葉を肯定する私に向かって、どこか吐き捨てるようにそう言った。彼はクロードくんのことになるとこうだ。未来の同盟を束ねるに相応しい人間であるかどうかを見極めるためでもあるのだろうけれど、傍から見たらただ突っかかっているようにしか見えない。



「セイロス教の象徴を大勢の前で暗殺することにこそ意味を見出しているのかもしれない。なるほどそれならば劇的だからな」

「え、縁起でもないこと言わないでよ……」

「ああ、これは失敬。だが、それも可能性の一つだ。勿論僕の推理にも確証はないがね」



 ないんだ。という顔をしてしまったせいだろう。ローレンツくんは「いずれにせよ、思いつきで闇雲に周囲を怯えさせる必要はないだろうということを言っているのだ」と何だか色んな感情がこもったような目で私を見つめるから、閉口する。
 敵の狙いが他にあるというクロードくんの話が真実ならば、それはそれで得体が知れず恐ろしいとは思うし、ローレンツくんの言うとおり演出も計算に入れた上で暗殺を狙っているとのことならば、その後の混乱を思うだけで恐ろしい。ここに、どちらの未来が待っていても怯える人間がいるということを知ってほしい。



「……あ」



 その時私は視界の隅で、見知った人影を見つけた。私の目線に、ローレンツくんもまた目だけで彼を追う。
 アッシュくん、口の中で呟いた言葉は、果たして彼に届いていたのだろうか。
 アッシュくんは、唇を引き結んで食堂を突っ切り、教室の方へと向かっていく。「ほら、あれが」「ああ、そうなんだ」「酷い顔色……」彼へ向けられた声や視線はほとんどが同情のものであったはずだ。だけど、アッシュくんは反射的にか、肩を竦める。
 立ち上がって、声をかけてもいいのだろうか。一瞬そんな思いが脳裏を過ぎったけれど、私の足も、お尻も、椅子に縫いとめられたかのように微動だにしないのだから嫌になる。



「君はルーヴェンクラッセの彼とも親交を深くしているのかい?」



 ローレンツくんのその言葉が、どこか気遣ったとき特有の丸みを帯びているように思える。それ以上彼は何も言おうとしなかった、それが酷くありがたいはずなのに、どうしてだろう、頷くこともできないのだ。
 アッシュくんは今も尚、薄暗い色を宿した瞳で懺悔するように俯いている。
 答えなかった私を、ローレンツくんがどんな顔で見ていたのかを、私は知らない。


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