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 今節の課題はアドラークラッセと合同で近隣の村の畑仕事の手伝いを行うことになっていたけれど、ベレト先生の学級だけは別らしいということは、教室でクロードくんとローレンツくんの会話を盗み聞いて初めて知った。
 青獅子の学級旗を背負うルーヴェンクラッセは、今節、ザナドを荒らす盗賊退治に駆り出されるらしい。実戦も良い所だ。そこでは前節の対抗戦とは違う、本当の命のやりとりが行われる。盗賊に襲われた大樹の節の夜のことを思い出して、じくりと足が痛んだ。
 勿論いずれはそういう課題が割り振られるものと覚悟はしていたけれど、こんなに早い時期に実戦に出なければならない彼らのことを思うと、自分のことではないはずなのに恐怖心が先立つ。先日知り合ったアッシュくんもルーヴェンクラッセの生徒だ。彼も、的ではなく人に向かって、訓練用ではない弓を引くのだろう。恐ろしいはずなのにそれが私に現実味を与えてくれることはない。隣の学級の話というよりも、別の国の人たちの話を聞いているような感覚だ。



「ま、あちらさんが例外ってやつだな」



 クロードくんの声を聞きながら、読んでいた本を捲る。文章を追っているだけで、頭には一切入ってこない。だけど、席を立ちあがって二人の会話に入ることはできなかった。
 ザナドとはここガルグ=マク大修道院に程近い谷で、セイロス教会から見て聖地と等しく、一般の信者も立ち入ることが許されてはいない。野蛮な盗賊たちが荒らすなど万死に値する。と言うのが敬虔な信者の総意だろう。
 セイロス聖教会の大司教であるレア様の怒りは相当なもので、早急にこれを討伐すべし、という任が、騎士団ではなく士官学校の生徒であるルーヴェンクラッセに下された。「いや、ルーヴェンクラッセにというよりも、ベレト先生に、と言うべきか」ほとんど独り言のようであったけれど、クロードくんの低い声は、私の耳にはっきりと届く。
 ローレンツくんはその長い腕を緩く組んだまま、一見不遜にも思える態度でクロードくんの話を聞いていた。竪琴の節も終わりに近づいた昼下がり、教室には数えるほどの生徒しかいない。



「学級対抗戦の勝者だからこそ、ではないのかね?」

「いーや。調べたところによると、例年は前節の対抗戦の勝敗に関係なく、この時期は全学級が農作業の手伝いを行うことになっている。今年が特殊なんだよ」



 先日私の診察を待っている間に書庫で何を調べていたのかと思えば、過去の記録を確認していたらしい。ローレンツくんは感心するというよりは呆れたような口調で「抜け目がないな」と呟いたけれど、本当にその通りだ。同じ学級で、彼の手の中に自分が収まっているうちは、それ以上に頼もしいと思うけれど。開いた本で顔の半分を隠しながら、彼の横顔を盗み見る。



「ではもし僕たちが勝利を収めていたら、その課題はヒルシュクラッセに割り当てられていたと?」

「さあ、そいつはわからんさ」



 クロードくんは普段から良く笑う人であるはずなのに、そうして彼を眺めていると、どこか不思議な目をしている瞬間があることに気が付く。温度のない、相手を探るような、それでいて決して自分には踏み込ませないような。
 私が座っている一番後ろの席と、彼らが立つ教壇前では距離があるから、視線に気づかれることはそうないだろうと思っていたのに、クロードくんは「ま、だからどうなんだって話なんだが」とやや不自然に話を断ち切ると、ぱ、とこちらを見たから心臓が飛び出そうになった。まるで、最初からこの頃合いで私に声をかけると決めていたかのように、彼は自然に私の名前を呼ぶ。







 びくりと肩を震わせた私を、視界の端でローレンツくんが見たのが分かった。少しは気になったけれど、私たちの関係は秘密、いや、なかったことになったのだ。ただの級友に過ぎない彼の方に、わざわざ目をやる必要性なんてどこにもない。



「分かっているとは思うが、お前は明日の課題は修道院で待機だぞ」

「えっ!」



 クロードくんの言葉は寝耳に水で、私はうっかり自分が読んでいた本を倒してしまった。パタン、と音を立てた背表紙にか、私の声にか、同じく教室の隅の方で読書に没頭していたリシテアちゃんがちらりとこちらを見た気配がある。
 いくら課題はおやすみと言われていたとは言え、現地には一緒に向かうつもりだった。力仕事は手伝えなくても、せめてちょっとした作業くらいはできるはずと踏んでいたし、ハンネマン先生からは何も言われていない。前節のように見学することくらいは可能だと思っていたのに。そういう私の考えていることは全て顔に出ていたらしく、何か尋ねるよりも先に、クロードくんに「いやいや、駄目だ」と釘を刺されてしまった。



「ハンネマン先生から聞いてないのか?今節はマヌエラ先生からお前に待機の指示があったって聞いたぞ」

「確かにおやすみって言われたけど、てっきり見学は許されるんだと……」

「どうせ見学っていったってお前のことだ、いざその場にいたら、これくらいなら出来そう、なんて言って手伝うだろ。それはおやすみとは言わないぞ」

「う、そ、んなことは」

「日常生活でやらかして悪化させる奴の言葉なんて、説得力がないんだよなあ」



 そのとき誰かが短く「は」と声をあげた。私はその声が誰のものだったかを知っている。視界の端で、その人は確かに一歩、ほとんど反射と言っていい様子でこちら側に歩み寄ったのだから。
 だけど、意地だった。私はローレンツくんに、怒っている。もしかしたらクロードくんは全て、そういう私の感情や、ローレンツくんの挙動、思惑を計算して、わざと彼の前でこういうことを言っているのかもしれない。私はクロードくんが理解できない。腕を突っ込めば手首までしか浸らない私は浅瀬で、クロードくんは海そのものだ。見透かすような瞳で私を見つめている彼の隣で、ローレンツくんはとうとう私を呼ぶ。「さん」と。



「……この前の怪我が悪化しているのか?」



 だから、この二十日ほどの間、逸らし続けてきたローレンツくんの目を私はとうとう見なければいけなくなった。彼はその切れ長の瞳を丸く見開いていた。目だけ見れば実に理知的で、涼しげな印象を与える。きれいな顔立ちをした人だ。そんなの昔から変わらなかった。
 子どもの頃、ローレンツくんはくまのぬいぐるみを抱いた幼い私に貴族のなんたるかを説いていた。未来の同盟のために成すべきことをなんて、彼のお父様の言葉の受け売りだったとしても、一つ年上の幼馴染は大人びていて、既に私の遠い先を歩いていた。そのままでいてほしかったのだ。今の私にも同じ口で未来を語ってほしかった。幼馴染って、そういうものだと思っていた。
 言いたいことはたくさんあったのに、私は結局、彼に小さく頷くことしかできない。



「……そうか、それは、可哀想に」



 いくらかの不自然な沈黙の後に吐き出された「お大事に」という言葉に、私は返事もできない。
 ローレンツくんの隣ではクロードくんが、何とも言えない顔で隣に立つ彼に目線をやっている。これは厄介な二人だな、そんな風に思っているんだろうか。私もそろそろ嫌になってきてしまった。
 気まずい空気になってしまったことを察して席を立つ。明日皆がガルグ=マクを出ている間に私に課される課題の内容を確認しに行こうと思ったのだ。そんなの午後の授業の後でもいいのは百も承知だ。ハンネマン先生はこの時間なら食堂だろうか。クロードくんに「どこに行くんだ?」と声をかけられた。「ちょっとそこまで」と言葉を濁した私に、彼は深く追求しようとはしない。今は一刻も早く、教室から離れたかった。
 足は、ここ数日で随分と調子が良くなった。無理をしなければ来節には復帰できるだろう。もう少しの辛抱だと思いながらも、そうなると、クロードくんと一緒にいられる日々も終わってしまうのだと考える。寂しいような気がしているのに、私の脳裏に浮かんだのは、つい直前にローレンツくんが見せたあの、どこか物憂げにも見える瞳の方だった。
 ため息を吐いたらそれは存外大きく響いて、すかすかになっていた胸に虚しく木霊するから、本気で嫌になる。
 幼馴染って、難しい。


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