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 責任を取る。その言葉を本当に実行に移されるとは思ってもみなかった。



「おーい! 教室に行くぞ!」

「へっ? は、はい! ちょ、ちょっと待って!」



 クロードくんは翌朝、実に突然寮の二階にある私の部屋の扉を叩いた。もうほとんど準備が終わっていたから良かったものの、万が一寝坊していたらと思うとぞっとする。私は扉越しのクロードくんの存在に明らかに戸惑いながら、制服を整えた。
 士官学校の制服と言うのは、入学前に希望通りに採寸してくれる特別製だ。女子生徒の下衣の丈は、特に自由に選ぶことが出来る。ぴっちりと肌に張り付く短めの丈、長さはそう変わらないけれどそれよりは裾が柔らかなもの、丁度膝丈になるもの、このあたりが一番人気があって、士官学校のほとんどの女子が好んで選んでいる。あとはマリアンヌちゃんが着用している膝下のものか。品があってこれも可愛い。
 私は元々ヒルダちゃんと同じくらいの少し短い丈の下衣を着ていたけれど、右足に負った怪我を理由に交換してもらえた。あの時傷痕は隠れるから大丈夫とは言ったものの、動くことを考えていなかったのだ。最初よりも長くなったそれは少し野暮ったいように感じられるけれど、ヒルダちゃんが「こっちも似合うよー」と言ってくれたから、今ではこの丈もお気に入りだ。
 準備を終えて部屋を飛び出そうとしたとき、右足が大きく疼いた。うぎ、と喉から声が出かけたけれど、耐える。扉の向こうにいるクロードくんに心配をかけてはいけない。息を長く吐いて、それから扉を開けた。その向こうにいたクロードくんは、窓からの朝陽を燦々と受けて美しく輝いている。恐ろしいほどに。



「お、おはよう、クロードくん」

「おう、おはよう」



 声がひっくり返ってしまって、参った。私の顔を見つめる翡翠色の瞳が、笑みの形を取る。クロードくんはやっぱり今日も、息が止まるほどにきれいだ。








 寮の階段を降りて外に出ると、右手に温室がある。生徒が列を成すというにはまばらな間隔で教室までの道中を歩く中、ツィリルくんが花の手入れのため、背を向けしゃがみ込んでいた。彼はパルミラの人間で、まだ幼さを残す少年であるものの、大司教レア様のれっきとした従者だ。
 クロードくんはそんな彼に「ようツィリル、精が出るな」と気軽に声をかけていたけれど、ツィリルくんはちらりとこちらに目線をやって「べつに」と素っ気なく呟くだけだった。そんな彼にも「頑張れよ〜」なんて続けるクロードくんに、私は素直に感心してしまう。ツィリルくんはもう視線を手元に戻して「はいはい」と面倒くさそうに呟くだけだった。
 パルミラは同盟領の東にある地で、頻繁にこちらの領地を侵してくる野蛮な民族。というのがフォドラの人間の共通認識であり、生徒の中にはツィリルくんに対して明らかな嫌悪感を示している人もいる。だけどクロードくんは、他の生徒に対するのと変わらない気軽さでツィリルくんに声をかけるのだ。私も彼に好んで近づくことはなかったけれど、でも、クロードくんと挨拶を交わした彼はちょっと無愛想なだけの普通の少年にしか見えなかった。



「わ、私、あの子の声、初めて聞いた」

「お、そうか?」

「うん、本当はパルミラの人ってちょっと怖いなって思ってたけど、普通なんだね……」

「だろ? 何でも自分の目で見てみなきゃわかんない、ってな」

「うん。なんか、こうして色んな人と関われるってだけでも、ここに来て良かったって思う」



 私の言葉に双眸を細めたクロードくんが「俺ともか?」と意地悪な顔で笑うから、私は言葉に詰まる。クロードくんは、筆頭だ。言いたかったけれど、声にならない。折角意識しないで歩いていられたのに。目を逸らして小さく頷けば、クロードくんは「そうかそうか」と頷くから、勝てる気がしない。
 掴みどころのない人だ。というか、こういう人なのかな、と私が作った型を、彼は内側から破いてしまう。こちらの量りを破壊して悠々と飛び越えてしまう彼を、私が捕まえられることはきっと一生ないのだろう。



「そ、そういえば今日、担任の先生が決まるんだっけ」



 話を変えようと顔をあげれば、クロードくんは「ああ、そうだったな」と頷く。先日の課外授業で、担任になる予定だった先生が一人、盗賊を前に真っ先に逃げ出してしまった。だからこそクロードくんたち級長が盗賊を引きつけるという危険な行動を取る羽目になってしまったのだけど、おかげでその先生は契約を切られたと言う。



「マヌエラ先生か、ハンネマン先生か。もう一人必要なら、誰だろう? イエリッツァ先生かなあ?」

「ああ、どうだろうな〜」

「ん……なんか知ってそうな顔をしてない?」

「まさか。一級長の俺がそんなことまで知ってるわけないだろ?」

「う〜ん? そうかなあ……」



 どう見ても訳知り顔であるように思うけれど。眉根を寄せれば、次に話を変えるのはクロードくんの方だった。「ところで足は平気か?」歩きながら顔を覗き込まれて、ぐっと詰まる。卑怯だ。私はクロードくんの顔にめっぽう弱いのだ。



「ちょっと引き摺ってるだろ」

「えっ嘘だあ。普通に歩いてるよ」

「いや、庇ってる。そのまま歩き続けたら右足の靴の踵だけ擦り減るぞ」

「ええ〜そんなことないよ。普段はそんなに痛いわけじゃないもん」

「い〜や、こりゃあ毎日の送り迎えが必要だな。突然悪化してすっ転んで、植え込みに突っ込んだらどうする?」

「ま、毎日……? ってちょっと待ってさすがに植え込みには突っ込まないよ」



 私の言葉に声をあげて笑うクロードくんに飲まれて、私はすっかり、自分が担任の先生の話をしていたことを忘れてしまった。彼は自分の流れに巻き込むのが上手く、私は丸め込まれる達人なのだから、仕方ないのかもしれない。








 彼の発言に気をとられていたからこそ、私はその日の昼休みに声をかけてきた人が、「そう」だとは思いもしなかった。
 彼は私のことを見透かすように見つめていた。不思議な色をした瞳の、表情に乏しい人だった。私はその人を、ガルグ=マクの修道院に属するセイロス騎士団に配属された人か何かだと思っていたのだ。実際、そう言う人に声をかけられることは珍しくなかったから。
 まさかその人が、あの夜クロードくんたちと一緒に盗賊を追い払った傭兵の一人で、新しい担任候補だなんて、思いもしなかった。 


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