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ガルグ=マク大修道院に併設された士官学校は、出身地別で学級が分けられるらしい。
ローレンツくんのおうちであるグロスタール家と、レスター諸侯同盟の盟主を担うリーガン家、名家ダフネル家を線で結んで三角形を作ったとき、その頂点から中心に向かって線を引いたちょうど真ん中あたりにあるのが私の家だ。同盟内での円卓会議における議決権の所有経験がある、或いは今も保持し続けているその三貴族に比べれば小さな家で、領地も大きくなければここ数世代は紋章持ちの当主も現れておらず、貴族としてのしがらみから離れたところにいる。それが我がアレキサンドル家だった。
紋章の有無で揺れる他の家を見ていると、紋章があってもそう良い物ではないのかもしれないなと思う。紋章なんてなくて当たり前、そういう家で育ったせいもあるだろう。帝国や王国との国境沿いにあるわけでもなく、土地が肥えていた我が領地は、領土のほとんどが穀倉地帯で気候も温暖だった。父も母も兄も領民も、そんな地に住むに相応しくのんびりした性格の人ばかりで、そういう人達に囲まれて育った私が少しばかり抜けているのは、きっと仕方ないことだったのだ。
ガルグ=マクの士官学校への入学と言うのは、十代後半を迎えた貴族の子女ならばほとんど経験することだろう。兄も三年前に士官学校を卒業して、今は次期領主として勉強中の身だ。
騎士を志す平民、武を磨きたい貴族、紋章学の権威への師事を希望する学者志望。様々な目的を持った人間が集まるのがガルグ=マク士官学校ではあるけれど、女子の場合は将来の結婚相手を見つけることを、多かれ少なかれ目論んでいる人も多いのではないだろうか。
今のご時世、紋章を持っている人間はそれだけで持て囃されるが、前述の通り私に紋章はない。しかし紋章至上主義が広まる昨今、紋章とは貧しい貴族が一代でひっくり返るくらいの価値を持っていた。紋章も持たず、継承権もない上に器量も中くらいである私が良い相手を見つける可能性などそうそうない。それを両親も分かっているから、「まあ、楽しんで学んでおいで」なんて言って送り出したのだろう。こればかりは穀倉地帯として潤沢な資産を蓄えている我が家に感謝した。おかげさまで、随分気楽な気持ちで入学の日を迎えられたというものだ。
レスター諸侯同盟領出身の人間が所属する学級は、ヒルシュクラッセと呼ばれる。フォドラ南部のアドラステア帝国の出身者が集うアドラークラッセ、北西部を領土とするファーガス神聖王国の出身者が属するルーヴェンクラッセと比べて、ヒルシュクラッセは入学早々から随分と穏やかな、というか、緊張感のない空気を醸し出していた。他の二学級よりも平民の数が多いせいかもしれないと思ったけれど、恐らくは級長の手腕によるものでもあるのだろう。
ヒルシュクラッセの級長は、去年その存在を発表されたリーガン家の次期当主であるクロードくんだ。彼は入学早々、個々人の壁を一つずつ丁重に取り払っていった。勿論その壁の厚薄には個人差があったから、エドマンド辺境伯の養女だというマリアンヌちゃんはまだ皆に心を開いてはいないようだったけれど、彼女以外の面々は既に学級に打ち解けたといっても良い。
幼馴染のローレンツくんの人となりは既に知っているから除いておくとしても、他の皆とこんなに早く仲良くなれるとは思っていなかったから、私はクロードくんの存在に感謝している。人の話を聞きだすのが上手いのだ。おかげで私もいろんなことを喋ってしまった。「ここで良い結婚相手を見つけられたらいいなって思っているんだけどね」なんて。クロードくんは本来ヒルダちゃんの席である私の隣の椅子に座って片方の肘をつくと、まるで悪戯の算段をするような表情で「ほほう。ここじゃあ選り取り見取りだな」と微笑んだ。
彫りの深い顔をした人だ。日に焼けたというよりは生まれもってそうなのだろう、浅黒い肌の色に、翡翠の色の瞳ははっとするほど映えた。じっと見つめられると飲み込まれてしまいそうで、私は「うん」と言いながら目を逸らす。
きれいな人だと思っていた。彼のことを知ってまだ数日なのに、私は彼の非凡さに惹きつけられていた。弓を引くその横顔が好きだった。屈託なく笑った時の目元が好きだった。凡庸な私が愛するには、果てしなく高い山の頂にいる人だった。
私が結婚するのは、何も紋章を持った貴族じゃなくたって良い。元より私の父は平民の出だ。一人娘の母と平民の父、二十年前、二人はこの士官学校で出会った。紋章に拘泥しないアレキサンドルは、成り上がる気はない。だから、誰だって。どこの国の人でも、どんな身分の人でも、あなたの愛する人を見つけてね。柔らかな声と共に頭を撫でられた。母の慈しむような目を思い出していた。私はクロードくんに、あっという間に惹かれてしまった。
だけどこの人の一番になれる気なんかしないから、同じ教室でその横顔を眺めているだけでも、充分だ。
士官学校で学ぶことは多岐に渡る。それには危険が伴うことだって理解していた。何もかも民を守る力を得るためだ。怪我をすることだってあるし、覚悟はできていた。だから、私は例えこの身に何が起きたところで、誰かに責任を取ってもらわなければなんて、考えてもいなかった。
夜間というよりも、ほとんど明け方のことだった。三学級合同の野外活動中に盗賊に襲われて、私はその際に深手を負った。それはただの不運であったし、原因を求めるならば私に力がなかったためだ。特別な手入れもなされていないように見える大ぶりの斧を構えた賊を前に、足が竦んで動けなかったなんて、自分自身の責任以外の何物でもない。級長だからと彼が責を負う必要なんかなかったのだ。
地面に転がった私の代わりに、盗賊にとどめを刺したのはローレンツくんだった。盗賊を貫いた槍から、赤黒い血が飛び散る、その飛沫を、私はただ眺めている。
「!」
そのまま私を抱きかかえたローレンツくんは、林の中に飛び込んで身を隠す。「マリアンヌさん、彼女を頼む」傍に居たマリアンヌちゃんに私を託して、彼はそっと盗賊たちの動向を窺った。あの男達がこちらに注意を向けなかったのは幸いだったけれど、それはクロードくんの機転によるものであったらしい。彼はわざと目立つように盗賊たちに背を向けて、野営地から遠く離れて行ったと言う。彼の挙動に、他の級長二人も追随したらしい。
私の方は、それどころではなかったけれど。
「だ、大丈夫ですか、さん……」
右足の太腿をざっくり切られたようだけど、恐ろしくて視認できない。私は仰向けに転がりながら、浅い息を繰り返した。こんな時なのに、木々の隙間から見える夜空は酷く美しい。瞬く星が滲んだ。痛みで息もままならない。
「し、死ぬ……死んでしまう……」
大袈裟じゃなくて本気でそう思ったのに、盗賊の親玉らしき人物が遠く離れていくのを見送ったローレンツくんがため息交じりに私を見る。
「それくらいの怪我で死ぬものか。それに、もう塞がっている」
「うそ」
「あ、はい、もう塞がりました……」
確かに言われてみれば痛みがない。癒しの魔法ってすごい。痛みが薄れていくように感じられたのは麻痺したせいなのかと思っていたけれど、マリアンヌちゃんがあっという間に治療してくれたためだったのだ。胸元からハンカチを取り出したローレンツくんは、足をつたって流れていた私の血を躊躇わずに拭った。天幕に戻れば治療道具はあったのに、と言う目で見れば、「なに、礼には及ばない」とどこか得意気に言われてしまったので、素直にお礼を言う。この人は昔から気障ったらしいところがあったけれど、数年会わない間に随分と拍車がかかったものだ。
「マリアンヌちゃんも、ありがとう」
「いえ、私は……ですが、もしかしたら、痕になってしまうかも……」
「そんな、痕なんて良いよ。太腿だし、ほら、服で隠れるし」
「君はもっと気を遣いたまえ。一応女性なのだから、痕が残れば問題だろう」
「命があるだけで十分だよ、本当に良かった、怖かったあ」
太腿の傷痕を撫でる。びき、とした痛みが走ったけれど、塞がったならきっともう安心だ。それでもやっぱり恐怖が残っていて、私はマリアンヌちゃんに頭を預けたままこっそり泣いた。
その「怖かった」を、クロードくんに伝えたのは、間違いなくローレンツくんであっただろう。他人と必要以上の会話をすることを避けるマリアンヌちゃんが、わざわざクロードくんに教えるはずがないのだから。
クロードくんたちはあの後、助けを求めに向かったルミール村にいた傭兵と共に引きつけた盗賊達を追い払ったらしい。いやあ、腕利きの傭兵が偶然あそこに居てくれて助かったよ。なんていうその声音は、けれどどこか含んだものがあるように聞こえた。
私の足の傷は塞がった。だけど引き攣るような痛みが残ってしまったし、マリアンヌちゃんが危惧していたように酷い痕が残ってしまった。定期的に医師でもあるマヌエラ先生に診てもらうことになったけれど、そうでもしなければ後遺症になってもおかしくないそうだ。丁度太い神経を傷つけてしまったらしいとか。週に何度か適切な処置を施して、軽い訓練をしていけば大丈夫よ、とマヌエラ先生に片目を瞑られたので、そんなに真剣に案じてはいないけれど、今節の学級別対抗戦には出られないかなあ、なんてぼんやり考えていたところに、クロードくんがやって来たのだ。
「。怪我したんだろ?」
「ヘっ?」
「しかも痕が残ったんだってな、まだ痛むのか?」
「い、いや、いつもは痛くないよ、ちょっとビキってなるときがあるけど……」
「ああ、そっか、じゃああまり無理はさせられないな」
私は、クロードくんがこんな風に申し訳なさそうな顔をするのを初めて見た。その中に、一匙ほどの煩悶を見た気がした。揃えていた足が、じくりと痛む。
「そんな、クロードくんは何も悪くないよ、私が鈍くさかったのが悪いんだもん」
「それでもだよ。俺がもう少し早く適切な判断をするべきだった。……責任は取るから」
「えっ!」
責任。
その言葉に思わず顔をあげる。彼が「そういう意味」で言ったのではないことは明白だ。だけど、浅はかな私はすっかり顔を熱くしてしまっていた。
クロードくんは、私の表情で私が何を連想したのかを察したのだろう。「選り取り見取りだな」と言ったのと同じ種類の笑みを、小さく浮かべた。分かりやすくぐらりと来て、顔を抑える。
横顔を見ているだけでいいだなんて、そんなのやっぱり嘘だ。