は半年前と、全然変わらなかった。勿論見た目は、多少は変化がある。髪が伸びて、着ているものが変わった。これまでずっとボクに頼り切りだったのに、「ツィリルくんは、セイロス騎士団の使いでしょう?」って気を遣って、汚れた敷布を一人で洗おうとしたりもした。半分はボクのせいで汚れたものだし、にはセイロス騎士団として会いに来たわけじゃないから、変に気を回されるのも煩わしくて、そのまま無理矢理一緒に洗濯をしてしまったんだけど、それだけはちょっとやりすぎだったかな、とは思っている。
だけど、仕草や表情は、ボクの良く知るのままで、ボクはほっとしたのだ。自分でもびっくりするくらいに。
はゴネリルで、上手くやっているらしかった。先輩の使用人たちに意地悪をされることもなく(まあ、それはヒルダの友人っていうのもあるから、当然なんだろうけれど)楽しく過ごしているらしい。彼女の口から漏れる、先輩だって言う使用人の名前にはボクもうっすら覚えがあって、ボクはそれで、過去の自分がの「優しい先輩たち」から言われた言葉たちが箱から零れそうになるのを感じたんだけど、そっと手で押さえた。過去はどうあれ、には優しくしてくれているんだったら、ボクはそれで充分だった。
はボクの言葉に神妙な面持ちで耳を傾けた。レアさまの行方が、今も尚わかっていないこと。その捜索のために、教会の人間が東奔西走していること。「生きていてほしいね」っていうの言葉は、ボクの皮膚の上から浸食する雨みたいだった。そんな風に感じる自分が、落ち着かなかった。
ボクの姿を彼女がみとめたとき、は、憚らずに泣いた。それを証明するみたいに、その瞳はまだ赤くて、しっとりと濡れている。はボクを待っていてくれたのだ。それに気がついたとき、嬉しい、っていうのと同じくらいの量で、驚いた。半年間、ボクのことを考えていてくれていたなんて、思ってもいなかったから、本当に。
のことが好きだと思った。
待っていてくれるか、って聞いたとき、ボクがどれだけどきどきしていたかなんて、アナタは知らないんだろうな。は泣いた。ぽろぽろ、なんて可愛らしい泣き方じゃなかった。でも、「待ってる」って言ってくれたを、ボクは大切にしようと思った。絶対に迎えに来ると約束した。レアさまが見つかったら。ボクの役目が終わったら。のことだけど、ちゃんと考えられるようになったら。
ボクはこんなに自分勝手なのに、それを受け入れてくれるは、どこまでもやさしい。
レアさまの捜索の傍ら、ボクはフォドラの文字を勉強した。ゴネリルから去るとき、がボクに「お手紙を書きたい」って言ったからだ。何でも、今彼女は文字の読み書きの練習をしているらしい。
ボクは王国と同盟を動き回る生活を送っていて、どこかの拠点に長く居座るという保証がない。事実、ゴネリルから戻って以降、セイロス騎士団はフラルダリウスからゴーティエ、それからブレーダッドの東部、と本隊を移動させていた。だから、ボクから手紙を送るなら兎も角、から届けようと思ったら難しいかもよ、と言いかけて……いや、実際口にしてしまったんだけど、それで、はっとした顔のを見てから口を噤んだ。傷つけてしまうことに逡巡したからではなく、ボクが同盟領に立ち寄る際、ゴネリルに顔を出して、彼女の手から手紙を直接受け取ればいいだけだと気がついたからだ。
「……季節に一回くらい……とか、そういう約束ははっきりできないけれど。それでいいなら、手紙を受け取りに来ることができる、と思う」
「えっ」
「そうじゃなくても、ボクからは送るし。……字、書けないから、ちょっと時間がかかると思うけど」
「えっ!」
逐一びっくりされてしまって、ボクはちょっと、反応に困ってしまう。「書けなかったの、しらなかった」って言うに、そもそもアナタと同じで読めもしない、とは言いにくかった。半年間一緒にいてお互いにそうと知らなかったのは、二人ともが読み書きできなかったから、って、少し考えればわかりそうなものだったけれど。でも、そっちよりも、はその前にボクが口にした言葉の方が重要だったらしい。
「また会いに来てくれるの」
紅潮した頬でボクに尋ねるは、期待に満ちた目でボクを見つめていた。
彼女の耳から落ちた髪が数本頬に張り付いていて、ボクはそれを思わず指先で払ってしまう。びくりと震えられてしまったけれど、そのぬるい温度が離れがたかった。「くるよ」って、短く答えたボクに、は「それで、最後は迎えに来てくれるのね」って確かめるように首を傾げるから、ボクはちょっと困って、ゆっくり頷いた。
手紙なんて口実がなくても、本当は、そのつもりだったんだ、ボクだって。だってアナタは放っておけないし、ヒルダが近くにいてくれるとは言え、心配だし。だけどそこまでは、ボクも口にしなかった。喜びに溢れたに、余計な言葉はいらないように思えた。
「ゆびきり」
飛竜に跨がる直前、はそう言ってボクの小指と自分の小指を絡めた。の世界でなされるおまじないなのか、フォドラにも伝わっているものなのか、パルミラで生まれ育ち、フォドラに来てからもいろんなものと自分との間に壁を作っていたボクには分からない。「ゆびきりげんまん」って、歌というよりはほとんど囁くように呟いたの指の動きに合わせるボクは、よっぽどぎこちなかったんだろう。「これは約束が守れるすごいおまじない」って、がくすぐったそうに笑う。
「指切ったら針千本のーます」
守れなかったら針千本飲ませるって、結構すごいこと言ってるけど。
だけどは、半年前のボクができなかった約束をさせてくれた。それだけで充分だった。
ボクたちは、そうして五年間、離れながらにしてお互いのことを思っていた。……と思う。少なくとも、ボクはそうだった。彼女に書く手紙はつい「ちゃんと食べてる?」とか「ヒルダに迷惑かけないように」とか「仕事も丁寧にね」とか、そういう小言ばかりになってしまいがちだったから、からしたら「そんなの全然わかんないよ!」って思うかもしれないけれど。
ボクは自分の手紙を手ずから持って行ったりもしたけれど、同盟領へ向かう信頼のおける商人や騎士団の仲間に預けることもあって、だから、余計ちょっと気取ってしまっていたのかもしれない。ちょっと優しいことを書くと、次に会ったとき、がにやにや笑っているのが、どうにも気恥ずかしくて。
そうじゃなくても、文字にしてしまうと何だか途端に意味がないもののように思えることってたくさんあった(それは勿論、ボクの文章が下手くそだから、っていうのもある)。そういうとき、ボクはやっぱり、直接に伝えたいなって思った。思っていながらも、結局彼女を前にすると、ボクは、すきだな、って思っても、飲み込んでしまう。これじゃあフォドラの人間を臆病者だなんて、冗談でも、二度と言えない。
一方でゴネリルで彼女から受け取る、ボクのものと同じくらい拙いの手紙に、どれだけの感情が込められていたか。「星がきれいでした」「ツィリルくんが怪我をしませんように」「会う度に背が伸びてどんどんすてきになっていくのでこまります」彼女はなんでも手紙に書いた。セテスさんたちの元に戻って、一人でそれを読むボクの気持ちなんか、全然考えてないんだろうな。
ツィリルくんの目はゴネリルで見る夕焼けの色に似ています。とてもきれいで、好きです。
そう書かれているのを見た時、ボクは息が止まる心地がした。
そういう風に言ってくれる人を、ボクはレアさまの他に知らなかった。
どれだけフォドラで過ごしても、ボクはパルミラの人間だ。他者から区別されて、遠巻きにされて、だけどそれが当たり前だった。分け隔て無く接してくれる人なんてそうそういなかった。ボクの風貌を褒めてくれるのだって。
「変な目」
かつてに言ったのと同じ言葉を口の中で呟く。
あの子の目は、変だ。睫毛が長いとか、夕焼けみたいな色とか、変なところばっかり見つけて、それを臆面無く褒める。好きだと言う。誰も気にしないところを、彼女は見てくれる。
短く息を吐いて、俯いた。自ずと引き寄せた手紙が、額に触れる。ゴネリルから飛竜と一緒に旅をした、彼女からの手紙は、変なところが折れて、微かに砂っぽい。
フォドラが大きく変わっていくのは、彼女と再会してから丁度五年後のことだった。
ボクは二十歳、は二十三歳になっていた。