シャミアさんのもたらした情報通り、帝国軍は孤月の節の終わり、ガルグ=マクを攻囲した。
皇帝自ら率いた軍と対峙したセイロス騎士団は、先生や残った士官学校生と共に、多大な犠牲を出しながらもこれを打ち破る。しかし直後帝国本軍が襲来。魔獣を率いる帝国軍に、囮部隊との戦闘で戦力のほとんどを失っていたセイロス騎士団は壊滅に追い込まれることになる。
城壁は破られ、雪崩れ込む帝国軍を止める術はなかった。クロードやディミトリが率先して残った兵を撤退させる中、それまでずっと前線にいたボクは、飛竜を操り、この戦場のどこかにいるはずのレアさまをの姿を捜していた。ずっと、ずっと。
上空からとうに制圧された城郭都市の門扉を視界に入れて、ボクはを思い出す。ボクたちは、一週間前、あそこでお別れをした。は、泣きそうな顔でボクに手を振った。やっぱり、グロスタールに発たせておいてよかった。ガルグ=マクの死に目に、アナタを立ち会わせなくて良かった、って、考える。
それどころじゃなかったのにな。
に話したいことは、たくさんあった。聞きたいことだって。
ボクたちはこの半年あまり、毎日顔を合わせて一緒に働いていたけれど、結局お互いのことを、あまり知らないままだったから。
例えば、の住んでいた世界のこと。どうやって生活していたのか、何を見て、何を感じていたのか。チョコの味だって。だけど、ここ最近のは取り繕っている様子が否めなくて、ボクが余計なことを口にしたら、辛うじて保っていた均衡が崩れてしまいかねない気がした。ボクたちは、ずっとお互いを探り合っていた。
グロスタールへと発つの荷物は少なかったけれど、ボクは馬車へと向かう彼女を見送るため、城郭都市の門扉まで一緒に歩いた。終わりの見えているこの短時間で何を話したら良いのか分からないのは、きっとも同じだったんだろう。彼女は大修道院で先に別れを告げた、クロードやヒルダ、ローレンツの話を、ボクたちの間に空いた穴を埋めるみたいに話して聞かせる。
「ローレンツくん、あまり喋ったことなかったけど、すごく良い人だった」
アナタからしたら、誰だって良い人になるよ。ボクはそれを飲み込んで、「うん」って、相槌だけを打っていた。グロスタールは自然がいっぱいで、景観が良いんだって、楽しみ。そういうことを、はぽつぽつ話している。
はもう、行きたくないとは言わなかった。餞別に、ってヒルダからもらった服を着て、小さな鞄を持って、彼女はガルグ=マクを去ろうとしている。穏やかな春の陽光を浴びた石畳を踏むその爪先を、ボクはいつまでも隣に置いておきたかったけれど。
ボクは目的の馬車の前、振り向いた彼女の名前を呼ぶ。「」って。ちょっとだけ震えてしまって、誤魔化すように彼女の目をじっと見た。真っ黒だと思っていた瞳は、日の下だと少し茶色がかって見えた。
変わった服を着て、山の中を歩いていた女の子。ボクたちを見て「わあ、人だ!」って叫んだ彼女は、ボクにとってずっと「変な子」だった。雑巾も上手く絞れなくて、言葉が通じなくては言い直すのに時間を要して、ボクは正直、いらいらしてた。レアさまのおねがいとは言え、なんでこんな子の面倒を見なくちゃいけないんだろうって。
翠雨の節から半年あまりの出来事が、ボクの脳裏を過ぎるというよりは、重なるように落ちていく。飼い葉をひっくり返したときの泣きそうな顔も、神妙な顔で文字を書き付けていた横顔も、彼女の失態をどうにかしてやったボクへ向けての、臆面もない笑顔も。ボクはそういえば、ずっとのことを見ていたらしい。
だけど、もうお別れしなくちゃいけないから。
「いってらっしゃい」
なんと言ったら良いか迷って、ボクは結局そう言った。旅行にでも行くって考えたらいいじゃない、ってに言った手前もあったけれど、他に都合の良い言葉があるようにも思えなかった。
はボクの言葉に目を丸くして、それからちょっとだけ、泣き出す寸前のように眉を八の字にすると、ぎゅうと唇を噛みしめて、堪えるみたいに俯いて、それから笑った。「うん」噛みしめるみたいに、は小さく頷く。誰がどう見たって、無理をして作った笑顔だった。
「いってきます」
いつかアナタを迎えに行くなんて言えるわけなかったんだから、これが正しかった。
ボクは自分の中にある天秤の傾き具合を見ないように、目を伏せる。
レアさまを守らなくちゃ。何があっても、絶対に。
ボクに手を差し伸べてくれた人。壺を黙々と磨いていたボクの隣にしゃがみこんで、目を合わせてくれた人。ボクを見つけてくれたのは、アナタが初めてだった。ボクはアナタを信奉していた。今も、ずっと。
ボクに居場所を与えてくれたひと。
地上に視線を落とす。「レアさま」縋るような声が出たけれど、構ってられなかった。夥しい死体の山に、噎せ返るほどの血の匂いが風に乗って運ばれる。折れた武器、吹き飛ばされた、目を逸らさざるを得ない何かの塊、それを踏みつける帝国兵の軍勢は、ガルグ=マクを端から黒く染め上げる。レアさまを捜しながら、ボクは、やっぱりあの子がここにいなくて良かったと思っていた。大事な人を、ボクはいっぺんに二人も守れない。
視界の端で何かが光った。弓で狙われていることに気がついて、旋回する。レアさま、いくら呼んでも、目を凝らしても、どこにもいない。地上でクロードに何かを叫ばれた。それを、彼の口の動きで判別する。ボクは他の人よりも目が良いらしいから、ボクじゃなかったら、分からなかっただろうな。クロードはボクに下りてこい、って、逃げるぞ、って言ってるらしい。でも、レアさまがいないんだ。手綱を握って飛竜を上昇させれば、クロードの声らしき音は遠くに消えた。
レアさまを見つけなくちゃ。ボクが守らなくちゃ。地上からの断末魔が、ボクを焦らせる。どこに目を走らせても見つけられない。名前を呼んだって。再び飛竜を大きく旋回させた瞬間、直接目に差し込んだ夕焼けに、思わず怯んだ。痛いくらいに眩しかった。それは何か、大いなる者の意思のようですらあった。
空も、大地も、赤く染まっていた。ボクはそれを、こんなときなのに、美しいと思った。
レアさまは、どれだけ捜しても見つからなかった。それから、先生も。持ち物の一つ、髪の一房すら見つけた者は居なかった。
ガルグ=マクは帝国軍により陥落。大聖堂は崩落し、レアさまは行方知れずとなり、セイロス騎士団の被害も甚大だ。
ボクらが落ち延びた王国領内、その森林の中で、セテスさんが無言で作った握り拳が震えていたことが、彼の感情を代弁していた。ボクはそれを、息を潜めて見つめていた。
「……我々のように、混乱の中どこかに落ち延び、身を隠しているのかもしれない」
掠れたセテスさんの言葉にシャミアさんがため息を吐いたけれど、ボクはずっと、一点だけを見つめている。
「大司教を捜す」
絞り出されるように呟かれたその一言に、生き残ったセイロス騎士団は強く頷いた。
ボクたちはそうしてフォドラ各地へと離散することになる。姿を消したレアさまの痕跡を捜すために。
はきっと、クロードたちが守ってくれるだろう。彼らもまた、帝国軍を振り切ってそれぞれ同盟領内の領地に帰ったと聞いているから。彼らがいてくれて良かった。本当に。これでボクは、セイロス騎士の一員としての役を果たせる。
あの子に無責任な約束をしなくて、良かった。
ボクがレアさまの捜索という名目で同盟領に足を運ぶのは、それから半年後。ガルグ=マク陥落を受けて、グロスタールからが身を移したというゴネリルにボクが訪れたとき、彼女はもう、初めて会った時よりも一つ年を重ねていた。