私の話は要領を得ず、あちこちに飛んだり、戻ったり、さらに思い出したように泣くもんだから、きっと酷く分かりにくかったに違いない。
フォドラでは通じないって分かっていた言葉をうっかり使っては言い直して、昔を思い出しては喉を引き攣らせる。一度詰まらせてしまった言葉を吐き出すのには随分な労力がいるということを、私は知らなかった。話しながら、声は震えて、尻すぼみになって、最後まで形になってくれない。だけど、ツィリルくんは、何度も頷いて、低く、ゆっくりでいいよ、って言ってくれた。いつものツィリルくんの声色から思えば、それは思いやりに満ちた声だった。
「ここ、誰もいないし。が話せるまで、いくらでも待つから」
ひっそりと静まった扉を背に地べたに座り込んで、私のことをじっと見つめるその瞳が、私には、一切の欠落を知らない陽のように見えた。ツィリルくんは、優しく、辛抱強かった。彼に見守られていると、強張っていた筋肉が解されて、纏わり付いていた耳鳴りが遠くなっていくように思う。大丈夫だよって、額を撫でられているような気がする。それは今の私に、最も必要なものだった。
そんなツィリルくんの隣で深呼吸をして、辿るように、私は語っていく。私がフォドラの生まれではないこと。かと言って、その外側に広がる国々――スレン、とか、ブリギット、とか、それから、パルミラとか――の出というわけでもないこと。地続きでは決してない、全く異なる世界から、ある日突然このフォドラにやって来て、ツィリルくんとシャミアさんに出会ったこと。不意に自分の名前を出されても、ツィリルくんはその顔色をほとんど変えなかった。
原因は私には分からないし、戻れるのならとっくに戻っている。私はきっと元の世界では失踪者として扱われて、もしかしたらもう、死んだことになっているかもしれない。だけど、生きているなんて伝える手段があるわけなくて、今の私はほとんど帰ることを諦めていて、だけどそれが、物凄く苦しくなる瞬間がある。思い出を捨てきれず、時折わあっと叫び出したくなる。
自分の置かれた状況を冷静に考えようとすればするほど、私はこの手の平の上の空洞が恐ろしかった。直視しないようにするには、与えられた仕事をひたすらこなすのが、一番都合が良かった。
季節が進む度、諦めの色を一つ深くした。うずたかく積もった私の諦念を、何か別のものに変換しなければ、真っ直ぐ歩ける気がしなかった。空回っても、失敗しても、仕事に没頭した。どことなくかつての同級生の面影を持った人と話していれば、孤独は癒された。甘い物を食べて、買い物をして、日々走り回って、怒られて、目まぐるしく時間が過ぎて、自分に思考するだけの時間を与えなければ、不安は色んな物に押し潰されて、私の底に平べったく沈んだ。
私にはもう、ガルグ=マクにしか居場所がなかったのだ。
「だから、どこにも行く場所がないの」
たったこれだけのことを話すのに、物凄く時間がかかってしまった。だけど、全てを話し終えたとき、私は酷く安堵していた。一人で大事に抱え込んでいたそれは、月日の経過と共に水を吸って、私の知らないうちに重くなっていた。手放してみて初めて、手の平がじんじんと熱を持っていたことに気がついたのだ。
だけど、そもそも抱え込むべきではなかったのかもしれない、ずっと。ドキドキしながらツィリルくんの反応を窺えば、ツィリルくんは、だけどちょっと困ったような顔をしていた。血の気が引いてしまったのは、「頭のおかしい人だと思われたらどうしよう」と気がついてしまったからだ。私がかつて、ササちゃんへの手紙にそう綴ったのと同じように。
だけどツィリルくんは、ちょっとだけ首を傾げて、「ボクは頭が良くないから、の言っていること、もしかしたらちゃんとは理解できていないかもしれないんだけど」と、内緒話でもするみたいな声量で続けた。
「不思議だね」
それが思っていた反応よりも控えめなものだったから、余計に慌ててしまう。「う、嘘じゃあない……よ?」と添えてしまったけれど、でも、逆に、必要以上に驚くツィリルくんは、ツィリルくんじゃない気がする。座ったまま、頬を押さえて俯いたら、ツィリルくんが小さくため息を吐いた。ちょっと呆れてるみたいな、いつものツィリルくんだった。私はそれを、今になって、ありがたいな、って思う。
「……別に疑ってるわけじゃないけど。嘘吐く必要もないし、それにアナタは嘘が苦手でしょう」
彼はそのまま間も開けず、「のことは、元々変な子だなって思ってたから、納得した」と続けるから、流石に「えっ」と目を見開いてしまった。
「変な子? 私が?」
「うん、自覚なかったの?」
「な、ないよ」
「だって、いきなりわけの分からない言葉を話すし」
「う、まあ、それは、だって、慣れなくて」
「かと思えば、びっくりするくらいに物を知らない。警戒心もなさすぎるし。……知らない男の人に付いていっちゃだめでしょう」
「ついていってない……」
「だから、それはボクがアナタを呼び止めてたからでしょ。舞踏会の夜の踊りも、わけがわからなかった」
「あれは向こうの授業でやった創作ダンス!」
「……馬だって、最初は触ることすら怖がってた」
「……だって、馬なんて、身近じゃなかったもん」
ツィリルくんの指摘に一つ一つ言い訳をしてしまう自分が段々情けなく思えてきて、地面に敷き詰められた石畳の境を指先でなぞる。信じてもらえたことはほっとしたけれど、それとは別に、申し訳なさも勝った。私、やっぱり邪魔だったのかな、って。どこを取っても平均の域を脱しない女子高生は、フォドラじゃ何の役にも立たないということを身をもって学んでいて、だからこそ居たたまれなかった。
土の感触が指の腹に伝わって、それを指先だけで払ったとき「でも、今は触れるようになったじゃない」と言われて、思わず顔をあげる。「馬にさ」って、ツィリルくんは静かに続ける。
「馬の世話だけじゃなくて、色んなことができるようになった。ボクは元々下働きには慣れていたけれど、はそういうことをするのが当たり前じゃない世界からやってきて、頑張ってたんだから」
急に褒められると、びっくりする。頬から耳のあたりに一気に熱が籠もって、痛くなる。その熱はやがて涙腺を刺激するから、困った。折角泣き止んだのに、また泣いたら、ツィリルくんに申し訳ない。
ツィリルくんは、立てた膝の上に片方の頬を乗せて、私を覗き込むように薄く笑った。「ボクはアナタのこと、偉いと思うけど」って。その瞬間、折角止まった涙が呆気なく流れてしまう。無言でぼろぼろ泣く私に、ツィリルくんはぎょっとした顔をした。「泣かないでよ」って眉を顰められて、でも、そんな風に言われたって簡単には止まらない。手の甲で止めどなく溢れてくる涙を拭いながら、だけど、言葉は喉に引っかかって、少しも出てきてくれなかった。
「ご、ごめ」
「って、すぐ泣くよね」
「そんなこと、ないもん」
ツィリルくんと自分の身体の間に放り投げていた右手の小指に、細やかな温度を感じた。目線を落とせば、そこにツィリルくんの、骨張った、厚い手があった。十五歳、私は彼を、ずっと子供だと思っていたけれど、ちゃんと、男の子なのだ。触れ合った小指の先が、強張る。ツィリルくんは、そんな私のことなんか、多分気にも留めていない。
意識してしまっているのは、私だけだ。きっと。
「」
星明かりの下で、ツィリルくんは真っ直ぐに私のことを見つめていた。時折夜行性の鳥が鳴く声だけが響いて、春の夜の、柔らかな風が、どこからか土の匂いを運んでいた。衣服から伝わる石畳の固い感触も、温度も、今の私の周囲に散らばるありとあらゆるものも、全てが私に優しかった。それらをすべて、忘れたくないと思った。ツィリルくんの表情が、どこまでも穏やかだったことだって。
「ボクはアナタに、やっぱり、生きてほしいよ」
私が失ったものを、ツィリルくんはもう一度私の前に連れてきてくれた。
どうせ私を愛してくれた人がたくさんいる元の世界に帰れないんだったら、このままガルグ=マクで死んでしまっても良いんじゃないかな。私は一人、密やかに、そう思っていたのだ。だけど、そんな風に心の奥底で思っていた自分の息の根を、私は手ずから止めた。その手を支えてくれたのは、ツィリルくんだ。
ぬぐったことで一度は鮮明になったはずの視界は再び、あっという間に滲んで、ツィリルくんの輪郭がぼやけた。ツィリルくんの言った言葉が、パパやママ、ササちゃんが私に向けたもののように思えた。生きて、って。私が遠く離れたこのフォドラにいても、皆にそう思っているのと同じように。ツィリルくんの笑顔は、何かを諦めた人のそれに似ている。
「それだけじゃ、の逃げる理由にならない?」
その言い方は、ずるいな。
そう思ったけど、鼻の奥が痛くて、喉は引き攣って、もう何も言葉にならなかった。
ツィリルくんはその夜、ずっと私の隣にいてくれた。彼の放つ体温と気配だけが、私を救ってくれる気がした。