竈の傍って、めちゃくちゃあったかい。
あったかいんだけど、それ以上に空気がぱりぱりに乾燥して、身体の水分が少しずつ奪われていくのを感じる。頬とかおでこが炙られる、っていうか。これ、冬だからいいけど、夏だったら大分地獄だ。食堂で働いているお姉さんたちに、感謝。
薪が火の中で崩れるのをじっと見ていと、段々熱気と灰で目が痛くなってきた。これは、というか、ガルグ=マクで使われる薪の大半は、ツィリルくんが切ったものだ。ツィリルくんが割った木は、機械で加工されたものみたいに均等で、そのまま飾っておきたいくらいに綺麗なんだけど、私がちょっと前にそう言ったとき、「薪は使うためのものでしょ」と眉を顰められてしまってからは一度も口にはしていない。でも、少しずつ燃えかすになっていく薪は、どれも断面が描いたみたいに美しかった。やっぱり、燃やすものだったとしても、飾っておきたいな、と心の隅っこで考える。
そんなことを思っていたら、空気の中に、甘い香りが混ざっていることに気がついた。あ、これは、もうすぐなのかも、って浮き足立つ。
「もう少しで焼き上がるみたいねー」
お手伝いをしてくれたヒルダちゃんにそう声をかけられて、「やった」って、ほとんど反射で返す。竈には焼き上がりまであと何分って表示がないから、私にはあとどれくらいなのかとか、そういうのが全然分からないのだ。
フォドラでは小麦粉を使って焼き上げたものは総じて焼菓子って言うみたいで、私は「クッキーを作りたい」ってヒルダちゃんに伝えるのに、ちょっとだけ手こずった。最終的に「こういうやつ」って絵に描いて、それでようやく分かってもらえたくらい。
クッキーは私が唯一レシピを見なくても作れるお菓子だったけれど、それでなんでヒルダちゃんに相談したかって言うと、オーブンなしでどうしたらいいのかが分からなかったからだ。薪の切り方は教わっても(ツィリルくんの方が百倍速いので、教わったところでこれはあまり手伝えていない)竈の使い方は知らなかった。従士の仕事に料理があったら、とは思うんだけど、実際料理までやることになってたら、労働のしすぎで倒れてたと思う。
ヒルダちゃんは二つ返事で了承してくれて、その上食堂のお姉さんに厨房を貸してもらえるよう頼んでくれた。この日の、ここからここまでの時間だったら、っていう制限時間付きだったけれど、この調子だったら何とか間に合いそうだ。
準備した材料でクッキー生地を作って成形する私に「そこまで作れるのに、竈が使えないなんて変わってるねー」とヒルダちゃんが言うから、どんな顔をしたらいいのか分からず、「うーん」と実に曖昧な返事をしてしまったのが、今日の反省点。ヒルダちゃんはだけどそれ以上は追求せず、てきぱきと竈の準備をしてくれたので、本当に助かった。
「ヒルダちゃん、できたら一番に食べようね」
「えー? あたしももらっていいのー?」
「いつもありがとうの気持ちだよ。食べてほしいな」
現に、今もこうしてお世話になったし。
そう続けたら、ヒルダちゃんは「ありがとうー、楽しみだなー」って、柔らかく笑ってくれた。
焼き上がったクッキーは、ほろほろと口の中でとけて、さくさくしてて、すごく美味しかった。途中クロードくんが現われて、思ったより多めに口に放り込まれてしまったけれど、準備していた袋に人数分分けて入れてみたら丁度いいくらいの量になったので、まあ、いっか。
何で私が急にこんなことをしているかって言うと、いつもお世話になっている人たちに、ちょっとでも元気になってもらいたかったからだ。「元いた世界だったら来月はバレンタインじゃない?」って気がついたのもある。勿論、このガルグ=マクにはそんなイベントはないし、チョコレートだって残念ながらないんだけど。
でも、甘い物って、やっぱりほっとするよね。疲労回復にも良いし、気持ちも穏やかになるし。もともと甘い物が好きじゃなかったら、あんまり嬉しくないかもしれないけど、でも、それを見越して甘いのとあんまり甘くないのとの二種類を作っておいた。仲良しだったササちゃんが甘いのあんまり好きじゃなかったからね。そういう調整は、案外得意なのだ。
シャミアさんとセテスさんには、甘くないもの。シルヴァンくんは女の子と話し込んでいる様子だったから、ディミトリくんに渡すのと一緒に、彼の分も預けておいた。ツィリルくんは、迷ったけど、甘い方。最近は夜遅くまで何か勉強をしているらしいから(そういうのを彼は隠すタイプだから、探ろうにも探れないんだけど)夜食にでもしてもらえたらいいな、って思って。
でも、ツィリルくんは私があげたクッキーの入った袋をまじまじと見て、それから逡巡する様子もなく、私の目の前でそれを開けた。
「すごい。が作ったの?」
それに「あ」って言っちゃったのは、なんでだろう。別にツィリルくんがいつ食べても、全然問題なかったのに。実際クロードくんにだって、目の前で食べられた上に「ん、美味いじゃないか」って感想をもらったくらいだ。だけど、ツィリルくんのまだ幼さの残った手がクッキーを摘まんでいるのを見ると、ドキドキする。なんでだろう、脳裏に、舞踏会の夜、私に笑ったツィリルくんが、急に浮かぶのだ。口元を手で隠して、笑うのを堪えていたツィリルくん。出会った時よりも一つ年を重ねて、その分だけ背が伸びて、ちょっとだけ大人っぽくなった男の子。それで、わあ、やめて、って思う。思うだけじゃなくて、ほとんど無自覚で実際に口にしてしまった私を、ツィリルくんは訝しげに見つめた。
「…………あげといてやめてって、どうしてそうなるわけ」
本当に、ツィリルくんの仰る通り。でも、ツィリルくんには私のいないところで食べてほしかったのだ。なんでかはわからないんだけど。
でもそんな私の胸中なんて、ツィリルくんに伝わるはずがない。私にだって理由がわからないんだから。「い、いえ、どうぞ……」と何とか言った私に、ツィリルくんは、迷わずそれを口に運んだ。伏せられた睫毛が、案外長いことを、私は初めて知った。ドキドキする。何でかわからないけど。すごくドキドキする。
これは、ベレト先生にあげたときとは全然違うベクトルのドキドキだ。ツィリルくんが咀嚼するところを見ていられず、そっと視線を落とした。
最近のガルグ=マクは、商人さんや信者さんと言ったたくさんの人が訪れて活気づいている反面、空気が重たい感じがする。薄い色のついた靄で周囲をぐるりと囲まれているみたい。ベレト先生のお父さんであるジェラルトさんが亡くなって、行き場のない悲しみがそこかしこに留まったまま、騎士団の人たちも、レアさまも、ジェラルトさんの仇を捜している。
この件に関して、私にできることっていうのは本当に、どうひっくり返ったってなくて、でもやっぱり、ベレト先生の元気のない顔を見るのは辛かった。でも、じゃあクッキーなんかもらったくらいで元気になるのかっていったら、そんなことはないと思う、絶対。それでもこれを食べている間は、ほんの一瞬でも、先生の中で限界まで張り詰めてしまった気、みたいなのが、少しでも緩んでくれたらいいなって思ったのだ。
ベレト先生に「ヒルダちゃんと作ったんです」って勇気を出して渡したら、先生は、ちょっと間を空けてからクッキーを受け取ってくれた。物凄く緊張した。手汗がすごかった。心臓がバクバクうるさくて、嫌になるくらいだった。でも先生はちゃんと受け取ってくれたのだ。「ありがとう」って、そうと分からないくらい細やかな笑顔を浮かべて。先生が食べてくれたかどうかは分からないし、口に合ったかも自信がないけど、でも、それだけで、ほっとした。嬉しかった。押し付けかもしれないし、傲慢なのかもしれない、でも、先生の「ありがとう」は、私の皮膚の表面からじわじわと浸透して、私を安心させた。
あのときのドキドキと、今のドキドキは、全然違う。どっちもすごくドキドキしたけど、なんていうんだろう。
「ん」
クッキーを飲み込んだツィリルくんが、短く言葉を発する。まだ、っていうか、ドキドキがどんどん強くなって、耳鳴りがするくらいで、参った。
「これ、美味しい」
私はそれの違いが全然分からないけれど、でも、ツィリルくんの前で感じるドキドキは、息苦しさが伴っていた。その苦しさの正体が、私には、まだ分からなかった。