ササちゃんへ。



 ササちゃんはいつも私の字を、酷い癖字で読みにくい、暗号みたいと言うけれど、この世界では、私の字は最初から暗号です。もう、使う文字が全然違うの。解読してくれる人もいないのが悲しい話なんですが。だから、もしもこの日記帳代わりの紙の束が盗まれちゃっても、安心。ガルグ=マクにいる人たちから見たら、こんなのただの、自作文字で遊ぶヤバイ女の生み出した、謎の産物だから。誰にも字が汚いっていうのがバレないのは、ラッキーですね。
 この世界と同じだけの時間がそっちで流れているとしたら、私はもう四か月以上は行方不明の状態なんじゃないかと思います。世間では、学校の責任だ、とかそんな感じになっちゃってるかな。教室に鞄を置いたままだったから、学校に迷惑をかけちゃっているのは間違いないと思うんだけど。そういえば、そういう場合、スマホとかってどうなってるんだろ? 鞄に入れっぱなしだったから。私の指紋もないし、暗証番号なんかめちゃくちゃな数字だったし、よっぽど運が良くないと解除できないと思うんだけど。警察とかが絡めば、無理矢理ロック解除とかできるもんなのかな? 家族でもないし、そこまではササちゃんも知らないか。
 まあ、でも解除をされてたところで、見られて困るようなやりとりも閲覧履歴も何もないの。恥の多い人生でしたが(なんかそんなんで始まる昔の小説があったよね)私の「恥」なんてスマホの中にはないもん。(その代わり、過去の同級生たちの記憶の中にはばっちり残っていると思う。ササちゃんもどうか、中三の秋の私がやらかしたことは忘れてください)。



 私が姿を消した日の足取りに関して、もしかしたらそれが一番気になることかもしれないんだけれど、実を言うとその瞬間のことはすごく曖昧です。日直で、先生に日誌を出しに行ったことは覚えてるんだけど。もしササちゃんがあの日のことを後悔しているっていうんだったら、本当に本当に、気にしないでね。日誌は任せて部活に行ってって言ったの、私だし。その代わりに黒板の高いとこ、ササちゃんは全部消してくれたじゃん。だからね、おあいこ。
 私はあの日、職員室からの帰り道、一人で廊下を歩いていた。リノリウムの薄い緑色の床には何かを擦った後にできる黒い傷が残っていて、ああいうのって全力で拭いたら消えるのかな、って考えていた。どこか遠くで男の子の笑い声が聞こえるのに、教室に戻る廊下には誰の姿もなくて、ちょっと気味が悪かった。でも、先にある体育館からは、バスケットボールの跳ねる音が聞こえていたの。窓の向こうには白い花をつけたミズキが陽を受けて青々としていて、温かそうだった。春だったね。だけど、廊下はびっくりするくらいひんやりして、冷たかった。カーディガンがほしかったくらいに。
 なんか今日、寒いなあ、って思ったら、私、山の中にいた。
 ね? なんの役にも立たない話でしょう。でも、異世界転移(だっけ?)って、そういう感じなのかもね。そういう本は、一度も手に取ったことはなかったけれど、今となってはちょっと読んでみたら良かったかも。今の自分の状況と比べて、面白がったりはできたと思うから。



 でも、多分ラッキーだったとは思うよ。
 文字は読めないけど、何故か言葉は通じるし(でもカタカナ語だけは駄目。不思議なことにね)。それに、山の中で困ってたら、シャミアさんとツィリルくんっていう親切な人に助けてもらえた。あんなに肌寒かったのが一転、こっちは真夏日か! ってくらい暑い夏の盛りみたいな日だったから、もし二人に会えなかったら、そのまま干からびちゃってたと思う。私って、昔からだけど、結構強運だよね。一時期私の運にあやかって、ソシャゲのガチャを代わりにまわしてくれって頼む男子が後を絶たなかったくらいだもん。覚えてる? 私は今でも夢に見るよ、あれ、実はすごくドキドキしてたんだ、断れない私の悪い癖。
 それから二人にガルグ=マクっていう大修道院(建物っていうか、大きな街を想像してもらうといいと思う。お店もいっぱいあるし、寮付きの学校もある)に連れて行かれて、そこで聖教会の一番偉い、大司教さまに、「従士」として働くことを認められた。お給料はあってないようなものだけど、衣食住に仕事までもらえたのは、本当に幸運だったと思う。掃除機も洗濯機もないから、ここでの仕事は物凄く大変だけどね。



 私がここじゃない別の世界から来たってことは、誰も知らない。皆私のことを、世間知らずで何もできない女だと思ってる。でも、説明したって理解してもらえる気がしないから、多分ずっと黙ってるよ。
 この世界は魔法とか紋章? とか私たちに馴染みのないものがいっぱいあるけど、例えばそういうのが私がこの世界に紛れ込んでしまったことの一因にあるとしても(というか、何となくそうなのかなと思っているんだけど)それでも私じゃあどうしようもないんだもん。
 字も読めないし、魔法だってある程度理数の知識がなければ難しいらしく、理解できなかった(こればかりは、理数から逃げて生きてきたことを反省せざるを得ません。高校受験のときに教えようとしてくれたのをめちゃくちゃ嫌がってごめんね、パパ)。紋章は、もっと良く分かんない。研究してる先生はいるけれど、いつも忙しそうで、なかなか話しかけにくいんだ(世界史の松山先生にやや似ています)。
 人の手を借りようにも、何だか今のガルグ=マクは平穏とは言い難く、私自身も日々を送るのに精一杯。色んな知識があって、かつ私なんかのために時間をかけてくれる人はなかなかいないと思うし、それに、なんていうかな、やっぱり言い出しにくいんだ。「私、実はこの世界の人間じゃないの」って言い出す女が自分の周りにいたら、ササちゃんはどう思う? 頭の病気って思われるか、なんか、皆の気を引きたいための嘘なんじゃないかなって距離を置かれるのが関の山でしょ。そういうことだよ。だったら私、ずっと常識を知らない変な女って思われていたいもん。
 帰る気がないわけじゃない。帰りたいよ。学校に行きたいし、パパとママに会いたい。ササちゃんにも話したいこといっぱいある、ドラマの最終回がどうなったかも知りたい。カラオケにも行きたいし、そういえば漫画の続きだってそろそろ出てるでしょ? 体育祭も、なんだかんだ出たかったよ。去年のなんちゃってチア、私、結構楽しかったの。写真を見たら、私だけ足が全然上がってなかったけどね。
 でも、なんだか最近は、そう思っているのと同じくらいの強さで、自分の居場所はもうガルグ=マクにあるなって思う。



 さっき、少しだけツィリルくんの名前を出したでしょう? 山で私を助けてくれた男の子なんだけど。
 一応先に言っておくと、ツィリルくんはそういうんじゃないよ。なんていうか、弟みたいな子、まだ十五歳になったばかりだしね。でも従士としては先輩だし、一生懸命で頑張り屋さんで、とても良い子なの。私が頑張ったらお菓子をくれるんだ。あんまり褒めてはくれないけど。こればっかりは、私が全然仕事ができないのが悪い。
 私が「もうやだ!」ってならないのは、ツィリルくんが一緒にいてくれるのが、多分、一番大きい。口数はそんなに多くないけど、気を遣ってくれてるのがすごく分かる。他にもお友達はいっぱいできたんだけど(大修道院に併設している士官学校に通う生徒さんたちが、同年代なの)でもやっぱり、一番楽なのはツィリルくんといるとき。ツィリルくんと二人で掃除をしたり、馬の世話をしたり(最近やっと慣れてきて、可愛いです)お花に水をやったり、薪を運んだりしているときの、なんだか不思議な空気が好き。休憩するときの、二人で地べたに腰を下ろして、雲が流れていく薄い色の空を眺めるのが好き。士官学校の行事とかもね、私たちは生徒じゃないから勿論出られないんだけど、そういうとき、世界で二人きりみたいになる。そういうのも、好き。自分がずっと昔からここでそうして暮らしていたような気がしてくるの。
 そうしていると、自分が何もかもを諦めて、受け入れられるんじゃないかって思える。



 ああ、いっぱい書いたら手が疲れちゃった。
 実はね、今日はお休みの日なの。ツィリルくんはそんなの関係なく、いつも通り仕事をこなしてた。やることもなかったから、私もさっきまでは手伝っていたんだけどね。でも、ツィリルくんは昼過ぎから訓練に行っちゃった。すごいよね。従士としての仕事もして、空き時間で武器の扱いも学ぶんだよ。弓はシャミアさんから、他の武器は、士官学校の先生(ベレト先生っていう、青獅子の学級っていうところの担任をしている人だよ。あんな人がうちの高校で先生をやってたら、すっごいモテただろうなってくらいかっこいい!)から、時間があるときに教わってるんだって。たまに生徒に混じって、課題のお手伝いもしてる。最近は飛竜っていって、ドラゴンみたいなやつにも乗れるようになったみたい。私は馬に触るだけで緊張するから、そういうツィリルくんを見ていると、すごいなあ、って思う。
 この手紙の中でも書いたけど、最近のガルグ=マクは、ちょっと不穏。近くの村が燃やされちゃったり、前節は(先月のことをフォドラではこう言うんだよ、やっと慣れてきた)ベレト先生のお父さんである騎士団長さんが殺されてしまったり。ガルグ=マクの南にある帝国の方が、何だか騒がしいらしいっていうのも聞いた。私も自分の身を守れるようにした方が良いのかなあって言ったら、ツィリルくんに真顔で「自分が持った武器が刺さりそうだからやめなよ」って言われてしまったので、身を守る手段を鋭意模索中です。



 私が戻れなくても、手紙の一通くらいは時空を越えて届けられる未来があるかもしれない。そのときまでに、この手紙は、ヒルダちゃん(こっちで友だちになった女の子です)がくれた可愛い箱の中に入れておくね。
 ササちゃんも私のことは心配しすぎず、どうかお元気で。



 より。


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