23 大聖堂にて
クロードくんは盗賊の討伐を終えた後も、度々手伝いを買って出てくれた。水を運んでくれたり、買い出しに付き合ってくれたり。兎に角、私があまり重い物を手にすることがないよう気を遣ってくれていたんだろう。
「へぇ、偶然だな。俺もそっちに用事があるんだよ」
料理長や先輩、殿下なんかが近くにいるときは、わざわざそう言葉にして、自分の行動に理由をつけてくれる。周囲の目をきちんと意識して、「大丈夫か」とか「手伝おうか」という言葉選びをしないあたり、本当に頭が良く回る人なんだな、と有り難くも感心してしまう。
料理長たちに関しては元より、私が殿下に対して煩悶の気持ちを抱いていることまで考慮してくれていると思ったら、益々頭が上がらなかった。殿下の前で、痛みに悶える姿なんて見せられなかったから。
そうして「偶然そっちに用事がある」クロードくんを伴い目的地へと向かう道中、人気のなくなった頃、こっそり「いつもありがとうございます」と伝えれば、彼は首を傾げて「ん? 何がだ?」ととぼけたように笑うのだ。そういう曖昧な表情をされると、私は彼のどこまでが本気で、どこまでが演技なのかがさっぱり分からなくなってしまう。
「私が困ってると、クロードくん、来てくれるでしょう?」
「うーん、偶然だろ?」
「ううん、偶然っていうにはちょっと……。…………もしかして、見張ってます?」
クロードくんが助けてくれるのは「クロードくんの視界に私が入ったときに限る」、っていう話だったはずだけど、その回数っていうのが存外多いのだ。ちょっと、勘繰ってしまうほどに。
しかも不思議なことに、クロードくんが私の前にひょいと現われるのは、「これは一人でこなしたら傷が痛みそうだな」という仕事を任されたときだった。勿論、授業中なんかは無理だけど、合間の休み時間とか移動時間とか、そういう時に彼はふらりと私の前に現われて、さっと手助けをしていってくれる。一方でクロードくんが級長会議などで不在のときは、ラファエルくんが声をかけてくれることもあった。
「力仕事はオデがするぞ。その代わり、さんは余った体力でうめえ料理をいっぺえ作ってくれよなあ!」
クロードくんの差し金と見るか、ラファエルくんの食欲から来る善意なのかは量りかねたけれど、それでも助かることには変わりない。お礼を言って、自分のおやつにしようと思っていた焼菓子をあげたら、ラファエルくんは大喜びして、その場で食べてしまった。
そういうこともあったから、クロードくんの言動をいちいち推し量ってしまうのだ。訝しげな目を向ける私に気付いたのだろう。クロードくんは一度声をあげて笑ってから、改めて私の顔をじっと見た。
双眸の中に、困惑した表情の、痩せた女がいる。対照的に、光に満ちた彼の翡翠の瞳は、まるで私の内心を読み取るみたいだった。「そうだなあ」と、少し間延びした声で彼は言う。
いっそ、全部汲み取ってほしかった。
「だって、こうでもしなくちゃ俺の恩を買ってくれないだろ? さんは」
私より一枚二枚どころか、数十枚は上手であるが故に出る発言だった。
クロードくんは、恐らく誰に対してもそうなのだと思うけれど、親しみやすい。距離感を上手に詰めて、居心地のいいところに運んでくれる。適度に寄り添われているみたいで、そうしていると、じくじくとした痛みを生む創傷に、瘡蓋ができていくように思う。
だけど、いつまでも彼に頼ってはいられない。この腕がさっさと治ってくれないと、作業の効率が落ちてしまって困るのだ。それ以前に、クロードくんだって忙しいだろうに、時間を割いてもらうのは申し訳ない。クロードくんは恩を売っている、って言うけれど、だったら私以外の人に売る方が、絶対にお得だし。
私は、誰にも頼ることなく働かなくてはいけない。だって、私がガルグ=マクにいるのは何も一年限定という話ではないのだ。クロードくんだって、来年の今頃にはもうデアドラに戻っているだろう。私は一人で頑張って、稼いで、家に仕送りをして、私を不幸な女だと嘆く両親を安心させなくてはならない。私が幸せだということを、皆に証明しなくてはならない。
自分の足元が、ふわふわの土みたいに思っていた二節前から見たら、少しは成長しただろうか。傷は癒えたのかな。だけど、そもそも、傷なんかあっただろうか? 考えたって分からないから、小さく首を振る。振ったそばから、足元が妙にぐらついたような気がしたけれど、視線を落としたところでそこには敷き詰められた石畳があるだけだった。
大聖堂にはできれば毎日でもお祈りを捧げたいとは考えていたけれど、実際その中に入ってみた回数はまだ片手で数える程度だった。日々の忙しさについ億劫になってしまって、と言い訳をすることは簡単だけど、結局の所、私はさして信心深い方ではないのだろう。元々ガラテアに住んでいたときだって、村にある小さな教会に足繁く通っていたのは、私ではなく幼馴染みの方だった。そういうところを、女神様はご覧になっていたのかな。なんて考えたって、過去には戻れない。さらに言うなら、たとえ戻ったとしても、敬虔な信者として祈りを続ける自信もなかった。
そんな私には、お祈りの正当な手順が分からない。とりあえず近くに居る人の見様見真似で、顔の前で手を組んで、目を閉じてみた。首を限界まで持ち上げてようやく天井が見えるくらいの大聖堂は、空気が澄んでいて、ともすると寒いくらいだ。ちょっとした息遣いさえもこの空間に反響してしまうから、ほとんど息を止めていた。
どうか、腕が早く元通りになりますように。それと、皆に喜んでもらえるご飯が作れますように。あとは、生徒の皆さんがこれから先怪我をしたりしませんように。お母さんたちが苦労しませんように。……頼みすぎかな?
少し反省してから深々と頭を下げ、休憩時間が終わる前に食堂に戻ろうと身体の向きを変えた瞬間、私は視界の隅に、見覚えのある人物の存在をみとめた。薄鈍色の、雪が降る前のファーガスの空を覆う雲の色の髪をしている男の子。
アッシュくんだ。
一瞬どきっとしてしまったのは、大聖堂の長椅子の隅に座るアッシュくんが、私の知っている彼よりも、酷く憔悴しているように見えたからだ。一緒にブルゼンを焼いたときとは、まるで別人であるように思える。彼は膝に肘をつき、自身の顔をその手の平に埋めたまま微動だにせず、周囲に膜を張って、誰も寄せ付けようとしなかった。或いは、そういう自覚もなく打ちひしがれているのか。分からない、分からないけれど。
いっそ痛々しいくらいだった。
何かあったのかな、と心配するけれど、たった一度、一緒に料理をしただけの私が彼に何を言えただろう。ちょっと立ち止まって、考えた。答えなんか出てくるはずがない。彼と同じ学級の生徒さんが、その傍に寄り添ってあげてほしいと祈るように思っただけで、私はついぞ彼から目を逸らした。そうする以外になかった。
後日、私は料理長より、ガスパール城の城主であるロナート様が聖教会に対し兵を挙げたことを聞かされることになる。
ロナート様を養父に持つアッシュくんは、その頃にはほとんど食堂に顔を見せなくなっていた。