14 レオニーと辛いものを食べる



 お礼と言っても貴族様であるクロードくんに喜んでもらえるものなんて思いつかなくて、何日かに一度ある休日、無難すぎるのは百も承知で焼菓子を焼くことにした。
 いただいた前節分のお給金を持って市場に行き、必要なものを揃える。お菓子作りのための材料は食料保管庫にもあったけれど、個人的なお礼に修道院のものを使うわけにはいかなかった。いや、まあそもそも生徒さんに個人的なお礼ってどうなのかな、と思わなくもないけれど、それは今回目を瞑らせてもらうことにしようと思う。でも他の人が見たらどう思うかは分からないから、調理も、寮の部屋に備え付けられてある簡易的な板場で行うつもりだ。食堂ほどの設備は当然ながらないけれど、簡単な軽食を作ることくらいは可能だから。
 商人の多く集まる市場は賑わって、活気づいていた。いつも早朝に野菜を仕入れに行くくらいしかしてこなかったから、普段と違う空気にドキドキする。いつもはまだ開いていないお店――雑貨屋さんとか、装飾品を扱うお店だ――も気になったけれど、今の私には取り立てて必要がない。
 食料品を扱っている露天商さんを中心に見て回っている中で、あまり見たことのない木の実が売っているのを発見した。親指大のそれは良く見るとごつごつしていて、何かの種のようにも見える。しゃがみこんでまじまじと見つめる私に、商人のお姉さんが「いらっしゃい」と声をかけてくれた。長く、明るい色の髪を一つにまとめた、美しい女性だった。



「お目が高いわね! それね、歯ごたえがあって美味しいのよ。食感はノアの実に似ているんだけど、腹持ちも良くて保存も利くの。良かったら、一つ食べてみる?」

「えっ、良いんですか?」

「勿論! ……それにあなた、ガルグ=マクの食堂で働いている人よね? もし気に入ってくれたら、是非大聖堂の食堂でもご利用くださ〜い!」



 まだ新人の私にそこまでの権限はないけれど、商魂逞しい商人さんにもみ手でにこにこされながら言われてしまうと、曖昧に笑う他なかった。
 彼女から貰った木の実を一つ口にしてみると、しっかりとした歯ごたえの中に微かな甘みがあるのがわかる。渋みもなく、食べやすい。「おいしいです」と口にしたら、お姉さんは「そうでしょう?」と嬉しそうにその眦を細めた。同盟領の、リーガンやグロスタール、エドマンドの辺りで育つ木の実なんだって。次はいつ買いに来られるか分からないし、長期保存にも向くというので、少し多めに購入することにした。焼菓子に混ぜ込んだら、クロードくんも気付いてくれるかな、って思ったのだ。我ながら、単純な発想だけど。



「まいどあり〜!」



 商人のお姉さんに会釈をしてから、来た道を戻る。賑々しい城郭都市は、フォドラの中心というだけあって、色んな肌や服装、色んな髪色の人が行き交っていた。笑い声も、ちょっとした怒鳴り合いも、値切りを求める声も、ごちゃごちゃとした街の中で折り重なって渾然一体となっている。そうしていると、自分が随分遠いところにやって来たみたいに思えた。
 風にそよぐ木々は青々と健康で、だけど、どこか人工物のように余所余所しい。そう感じるのは、自分がほとんど森同然の村で暮らしていたせいだろう。整備された街並みは、それでもどこを切り取っても美しかった。なだらかな丘陵に建てられた石作りの家々も、整然とした石畳も、セイロス騎士団のお膝元たる城郭都市に相応しい。
 ガルグ=マクなんだもんなあ、と、どこか自分とは切り離された物事を考えるみたいに、ぼんやりと思う。
 一年前の今頃は、自分が年下の男の子――しかも恐らく未来の盟主様である――に食べて貰うための焼菓子に入れる、身近とは言い難い木の実を抱え、こうして一人で大きな街を歩いているなんて、想像してもみなかった。あの頃は幼馴染みと二人、森で取った蔓で籠を編んで、火を炊き、湯を沸かし、狩りに行った男の人たちの帰りを待っていた。それがこれからもずっと続くのだろうと、漠然と思っていたのだ。忙しさで言えば、今の方がずっと大変だ。立ち止まって何かを考える暇もほとんどないんだから。これが同じ人間の送っている生活とは、なかなか思えない。
 二人とも、どこかで元気にしてるかなあ。
 そんなことがふと頭をもたげた瞬間だった。嗅いだことのない香りが辺りを漂っているのに気がついたのは。
 なんていうか、刺激的な匂いだ。鼻の粘膜が、ちょっとひりつくような。興味を惹かれてうろついてみたら、細い路地の先で異国の料理を提供している屋台を発見した。屋台の傍には飲食用の椅子が用意されていて、そこに何人かのお客さんが座って食事をしている。辛い香辛料が使われているみたいで、お客さんに提供されたお皿の中の料理を見てみると、どれもびっくりするくらいに赤い。
 その中にどうも見た覚えのある人がいるな、と思ったら、金鹿の学級の女の子だった。がっしりとした体つきの男性たちに混ざって、制服姿の彼女は一人、もくもくと料理を平らげている。
 目が合ってしまったのは、私がつい、まじまじと見つめすぎてしまったせいだ。「あれ」という顔をした彼女は、少し考え込むように私の顔をじっと見つめ、数拍の間を置いて、「あっ」と目を見開いた。その瞬間、胸の内側のあたりがびくりと震えた。私の方は兎も角、まさか、彼女に自分の顔を覚えられているとは思ってもいなかったのだ。



「あんた、えーっと……確か、食堂の人……だよな? えっと……」

「は、はい、と言います。こんにちは」

さんか! なに、あんたも食事? 隣、座るかい?」



 快活に笑う彼女は、レオニーさん、傭兵を目指しているという同盟領出身の女の子だ。
 今日は街で食事をするつもりはなかったけれど、自分が座っていた長椅子から僅かに腰を上げて、私が座れるくらいの分を空けてくれた彼女に首を振ることは何だか失礼なように思えた。でも、だからって話をしたこともない生徒さんと二人、隣に並んで座って食事をするのも、どうなんだろう。気まずくないかな?
 「ええと……」と少し考え込んでしまった私に、だけどレオニーさんはちょっとむっとしたらしい。「食べるのか? 食べないのか?」急かすような口調に、つい「食べます」と返事をしてしまった。実を言うと本当は、少しだけ気になっていたのだ、その赤いお肉が。
 店主の人に注文をして、お金を払って、それから簡易的なお皿に入った料理を渡される。真っ赤な汁に浸った雑穀と、多分、鳥のお肉だ。レオニーさんの隣に戻って「いただきます」と言えば、「辛いぞ」と、脅すように言われた。レオニーさんのお皿の中は、もうほとんど汁だけになっている。匙で掬って、湯気を立てるそれに慎重に息を吹きかけてから口を運んだのに、びっくりするくらい熱かった。



「あ、あつ……」

「めちゃくちゃ熱いよな。わたしもさっき舌火傷したよ」

「ん」



 口の中にぴり、とした辛みを感じたのは、一口目を飲み込む直前だった。でも、なんていうか、お肉がほろほろと崩れていくおかげで、思ったよりも優しい風味になっている気がする。「おいひぃ」と口にした私に、レオニーさんは「へぇ」と目をちょっとだけ開いてみせた。



さん、辛いのいけるんだ?」

「はい、食べ物ならなんでも食べられます」

「ははっ。いいねえ」

「レオニーさんは」

「わたし?」



 私の短い問いに、レオニーさんはお皿に残った汁をぐ、と飲んで、一呼吸置いてから口を開く。「わたしも辛いのは好きだよ」皿の内側に残った雑穀を丁寧に匙で掬う彼女は、そういえばいつも、食事を残すことをしなかった。



「まあ、お金が勿体ないからこういうとこには普段は絶対来ないんだけどね。でも、今日はちょっと特別なんだ。この店のおっちゃんの荷運びを手伝ってやったらさ、お礼に食ってけって。こんな美味いもんタダで食べられて、得したよ」



 最後の一口を飲み込んで、レオニーさんは「ごちそうさま!」と元気に言う。そのまま立ち上がると、空になった食器を持って店主の元へ行き、何言か親しげに会話をした後、荷物を抱え「じゃあわたしは戻るな。また食堂で」と行ってしまった。
 嵐みたいだった。
 もくもくとお肉を口に運びながら、すらりと背の高い彼女の後ろ姿を見送る。でも、裏表がなさそうで話しやすかった。これだったら、料理当番で彼女がやって来たときも、緊張しないで済みそうだ。金鹿の学級、ってだけで、何故か妙に落ち着かない気持ちになってしまうから。
 鳥肉と雑穀、何種類かの馴染みのない香辛料に、塩。味を調えるのに、砂糖もちょこっと入っているかもしれない。咀嚼しながら分量を考える。そうしながら、だけど思考に余計なものが挟み込まれてしまう。レオニーさんの存在によるものが、きっと大きい。
 身体の横に置いた紙袋、その中身がこれからクロードくんに渡すための焼菓子になる。それを渡すことを考えたら、妙に横っ腹が痛いような気がしたけれど、突然の辛いものに身体がびっくりしたせいだ、きっと。








 ガルグ=マクに来て色んな料理を目にして、作って、時には食べて気がついたんだけど、私が長年親しんできたファーガスの料理って、なんていうか大味だった。甘いか濃いかのどっちか。でも結局それってあの寒さに耐えうるだけの力を蓄えなくちゃいけないっていうところから来ているのかもしれない。
 同盟領出身のクロードくんは少し甘さを控えた方が食べやすいのかも、と普段よりも砂糖を少なめにした。翌朝、クロードくんを呼び止めて、食堂の隅でそれを渡したとき、「有り難く頂くよ」とは言ってもらえたけど、緊張して手汗が酷くて、自分が何と言って彼にそれを渡したのか、記憶はほとんど朧気だった。


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