12 節度を持つということ



 誰かから直接聞かされなくたって、どの学級が今回の対抗戦で勝利を収めたかっていうのは生徒さんたちの表情で分かるものだ。
 大人数を収容できるはずの広い食堂が、今日はいつもよりずっと狭く、窮屈に見える。食事の最中に席を立っても、笑いあっても、注意する人も眉を顰める人もいない。生徒さんたちの声がいつもより大きいのは、今日ばかりはそれが許されると彼ら自身も知っているからだ。大勢の笑い声に、食器のぶつかる音。明るい喧噪は天井いっぱいに広がって、食堂がお祭りみたいに活気づいている。
 だけど食事をしている生徒さんの傍にある水差しを取り替えた瞬間、ため息と、苦々しい声色の会話が耳に入った。



「あいつら声でかいな……宴会かよ」

「仕方ねぇよ、勝者の特権だ」



 彼らの目線の先の一際騒がしい一団の中心には、黄色い外套をつけた人物が居る。
 食堂に戻ってきたとき、率先して乾杯の音頭を取ったのは級長であるクロードくんだった。その彼は今、金鹿の学級に所属する生徒一人一人に声をかけて、気安く肩を組んだり、杯を掲げて笑ったり、一方で隣の椅子に座って相手の顔をじっと見ながらその言葉に耳を傾けたりしている。目、一体何個あるんだろう、そう不思議に思ってしまうくらい、彼は細やかな気遣いをする人だった。
 私の視界の奥でクロードくんがベレト先生に声をかけたとき、「お姉さーん」と呼ばれて、慌ててそちらに返事をした。どんなお話をしているのかなんて、どれだけ耳を欹てたって、聞こえるはずがない。それでも、もう一度そちらに目線を向けてしまうのは、クロードくんのその横顔が、自分に向けられるそれよりも、豊かな感情を伴っているように思えてしまったからだ。
 ううん、思えて、じゃないな。
 気付いてしまった、って方が、きっと正しい。
 クロードくんはそれからずっと、ベレト先生に対して、手元を示しながら、何か熱心に話しかけているようだった。ベレト先生の表情は人の影になって、ほとんど確認することはできなかったけれど、きっと、実のある会話をしているのだ。今日の反省とか、互いを知るための語らいとか。……多分。



「お皿、持って行きますね」



 空いたお皿を持って食堂を駆けながら、彼が対抗戦へと向かう直前、また夜に、って言われたことを不意に思い出す。
 生徒さんたちがガルグ=マクを出発してから、必死でご飯の準備をした。勿論私だけじゃない、料理長も、先輩たちもそうだ。井戸から水を汲んで、薪が足りなくなったらツィリルくんを探して――怪訝そうな顔で「なんでわざわざ。聞かなくても、勝手に薪置き場からもっていっていいですよ」と言われてしまった――先輩たちも皆ピリピリしてて、ちょっとしたことで怒られた。それでもその間、私の心には燦然と輝いていたのだ。彼が口にした「また夜にな」が。
 夜に会えるのが、楽しみだった。こんな風に話せないかもしれないとは、だけど全然、想像していなかったのだ。せめて「おめでとう」と「お疲れ様」が言えたら、どんなに良かったか。
 仕事は次から次へと容赦なく降ってきて、結局私は彼に近づくこともできなかった。クロードくんに話しかけることは勿論なかったし、その夜はもう、目が合うことすらなかった。
 まあ、私はただの調理師だし、そういうもの、って思うしかない。








 そもそもどうして胸を痛める必要があるだろう。早朝、髪を梳きながらまだ自分の心がささくれだっているように思えて、首を傾げた。
 クロードくんはレスター諸侯同盟の盟主であるリーガン公のお孫さんで、将来同盟領を背負う人物だ。いくら平民や私みたいな労働者にも分け隔て無く接してくれているからと言って、彼に対してこちらが同じような感覚で接したり、物事を考えてはいけない。立場というものを考慮しなくては。彼をわざわざ目で追いかけて、一喜一憂するなんて、だって、そもそもおかしいもの。
 節度を持って接するのだ!
 いかにもセテス様の仰りそうな言葉を脳内で力強く叫べば、いまいち定まらない自分の感情も、その辺に落ちた箱の中に収まってくれると思った。



「よう、さん」



 でも、本人を目の前にすると、もう全然上手くいかない。
 竪琴の節を迎えた翌朝、食堂でクロードくんに声をかけられたとき、本当は頭の中で火花が瞬いたみたいな驚きがあった。さん、と彼に呼ばれると、胸の内側に熱が灯るのが分かる。ここに来てからはあんまり名前で呼ばれないからかも、と思ったけれど、そういえば料理長からも先輩たちからも、シルヴァンさんにアッシュくん、アネットさんやラファエルくん、それからマヌエラ先生にだって私はこの名前を呼ばれていた。さん、って。何も珍しいことではなかった。



「お、はようございます」



 それはそれとして、「節度を持って」だ。
 努めて表情筋を動かさないように挨拶を返した私を、しかし彼はまじまじと見つめるのだ。その彫りの深い端正な顔立ちに、思わずたじろいでしまう。



「……な、なんですか?」

「いや。元気なさそうだから、体調でも悪いのかと思ってさ」

「そんなことないですよ」

「そうか? なら良いんだが」

「私、滅多に体調崩さないんです」



 そう続けながら、朝食の入った盆を彼に渡す。パンと、昨晩の残りのスープに野菜を追加したものと、それから備蓄品の干し肉。貴族様方の食べるもの、と考えたら質素な部類に入るだろうに、彼は「ありがとう。美味そうだな」と、優しく目を細める。
 そうして微笑むクロードくんを前にすると、あれだけ引き締めようとしていた表情筋が緩んでしまいそうになるのだ。
 思わず視線を逸らしたら、その先で、彼はわざわざ伸ばした自分の手をひらひらさせる。何度か逃げても、追いかけるみたいに、私の視界にその手の平を入れてくるから、困った。本当に、なんなんだろう。そういうことをされたら、どんな顔をしたらいいのか分からなくなってしまう。
 泳ぎきって逃げ場を失った目線は、最終的に結局クロードくんの双眸に落ち着いた。そんな私の顔を面白がるみたいに、「ふ」と、彼は唇の端から短く息を吐く。笑われてしまった。遊ばれているのだ。私の方が、二つか三つはお姉さんなのに。



「わ、わらわないで、ください、もう」



 急に恥ずかしくなって、彼を見つめたまま、絞り出すようにそう吐き出す。おかしいな、もっと言いたいこと、いっぱいあったのに。おつかれさまも、おめでとうございますも、一日寝かせたらもう二度と口に出せなくなってしまう。でも、それと同じで、昨晩感じた疎外感に片足を突っ込んだような感情も、こうして彼が私に声をかけてくれた今はもう、どこにもないのだ。単純すぎるかな。
 クロードくんは私の顔を見て、ちょっと目を丸くしているように見えたけれど、多分、気のせいだ。


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