11 学級別対抗戦の朝



 ガルグ=マク士官学校では毎節の終わり、各学級に課題が与えられる。
 最初の課題となる大樹の節では、例年学級同士の対抗戦が行われることになっているらしい。ガルグ=マクの郊外にある森の中、学級から選ばれた数名と担任の教師が武器――勿論、訓練用のもの――を持ち、三つ巴の戦いを繰り広げるんだって。まだ入学して間もないから、ほとんどお遊びみたいなものだって聞いたけれど、それでも「対抗戦」って聞くと、ちょっと背筋が伸びてしまう。私はただの調理人で、生徒ではないのにね。
 とは言え私にも全く関係が無い話かっていうと、そういうわけではない。「この日は本当に大変よ」と予め料理長から言われている通り、その日は目が回るくらい忙しくなることが既に決まっているのだ。対抗戦を終えて帰ってきた生徒たち、特に勝利を収めた学級が、宴会みたいな真似事をするから、なんだって。



「元々この日の食事は生徒達を労うっていう意味も込めて、普段よりも多めに食事を準備するんだけど、作っても作っても追い付かないのよ。だから、対抗戦の日に限っては食堂は生徒限定。騎士や教会の皆さんには悪いけれどね」



 だから対抗戦の日は、朝食の片付けを終えた先から仕込みの準備に追われることになる。
 くたくたになって帰ってきた生徒さんたちが、戦いの余韻に冷め切らないうちに、美味しい御飯をお腹いっぱい食べられるように。おかわりの制限はなしで、お肉料理も、お魚料理も揃える。そういうのを好まない生徒さんもいるから、シチューやサラダパスタ、デザートなんかも準備するんだとか。人手不足の厨房を思うと、朝から休んでいる暇はない。
 


「集合って半刻後だよな」

「ああ」



 野菜をもらうために温室に向かうところだったけれど、丁度食事を終えたばかりの生徒さんたちが寮に帰るところと一緒になってしまった。
 彼らの妨げにならぬよう、一度足を止めて見送る。彼らが食堂から釣り池の前まで続く階段を下りきるまで、少し待った。だって寮の二階に続く階段って、温室の入り口を横切った奥にあるのだ。道中彼らの後ろをぴったりくっついて歩く形になるのは若干気まずい。自意識過剰っていうか、考えすぎなのかもしれないけど。
 結構距離を取って歩いても、しかし彼らの声は良く響いた。盗み聞きしてしまっているみたいで、何だか申し訳なくなる。



「こっから結構歩くんだっけ?」

「らしい」

「きついな〜。騎士団の馬、貸してくれればいいのにな」



 その会話の端々から察するに、今日の対抗戦が「お遊び」って言うのは本当らしい。ほとんどの生徒が代表から漏れるせい、っていうのもあるだろうとは言え、前を歩く彼らからやる気はあんまり感じられなかった。彼らがどこの学級の生徒さんなのかは、ちょっと良く分からないけれど、少なくとも平民の出ではなさそうだ。平民の人たちって、後ろ盾に恵まれない分、なんていうか、こういう雰囲気ではないから。
 そんなことを考えていたら、なんとなく、ちらりと、クロードくんのことを思い出した。彼は金鹿の学級長だから、まず間違いなく対抗戦には出るだろう。弓が上手、って他の生徒さんが話しているのを聞いたことがある。実際傭兵の……いや、もう彼らの教師となったベレト先生、それからセイロス騎士団長の任に就いたジェラルトさんと、盗賊を追い払ったっていうんだから、その実力は推し量るまでもない。
 私はまだ全然、クロードくんや他の生徒さんたちの人となりというものをきちんとは知らない。食べ物の好き嫌いくらいだったらちょっと分かって来たような気がするけれど。でも、それでも心の片隅あたりで、対抗戦、クロードくんが勝ったらいいのになあと思ってしまう。贔屓かな。こういうの、良くないかな。いや、でも、クロードくんにはいっぱい助けてもらってるし、口とか態度に出したりしなければ、一調理人がこんなことを考えてたって、許されるんじゃないだろうか。



「おはようございます」



 悩みながら温室に入ると、むわ、とした熱気に包まれた。湿度の高い土の放つ匂いを胸いっぱいに吸い込むと、自分の周りをぐるぐるにしていた見えない糸が全部なくなってしまう気になる。濃い植物の匂いは、好きだ。できたての料理と同じくらいか、それ以上に。
 管理人さんにご挨拶をして、野菜を採らせてもらおうとしたら、気の利く管理人さんは「とりあえず先に必要だろうって分は朝のうちに収穫しておいたから」と袋いっぱいの根菜を渡してくれた。とても助かる。昼までに大量のスープを作っておくことになっていたのだ。



「また必要になったら取りに来てね。私がいなかったら、勝手に持って行っても良いから」

「はい! ありがとうございます、いただきます」



 運びやすさを考慮してくれたのか、袋は一つだけだった。頭を下げてお礼を伝えて、温室を出る。まだ土が残っている野菜にあの日のクロードくんを思い出した。こんな私を気に掛けてくれたことが今でも信じられなかった。
 頬を撫でる風が髪を浚ってしまうのがくすぐったくて少し煩わしく、耳にかけたかったけれど、両手が塞がっていてはどうしようもない。この前と違ってさして重くはないとは言え、片手でこの野菜たちを持つのはちょっと無謀だった。
 いっそ食堂まで駆けてしまおうかと思った、丁度そのときだった。視界の隅に人影があることに気がついたのは。



「今日も重そうだな」



 石畳の隙間に爪先が引っかかったのは、間違いなく、急に声をかけられたせいだ。
 両手に抱えた袋いっぱいの野菜は私の視界を奪っていたから、彼が温室前に立っていることが分からなかった。もしかしたら、誰かと待ち合わせでもしていたのだろうか。クロードくん、と呼びかけようとした私の声に上から被さるような気安さで、「手伝おうか」と彼は言う。



「大丈夫、です。それにクロードくん、これから対抗戦でしょう?」

「まだ出発まで時間はあるけどな」

「対抗戦前に体力使わせられないです」

「食堂にそれを運ぶくらい、使ううちに入らないさ」



 まあ、確かに、それもそうなんだろうだけど。
 「でも、大丈夫です」と首を振れば、クロードくんはそうと分からないくらいに静かに目を細めた。澄んだ翡翠色の瞳に、目を奪われそうになる。何か音が聞こえると思ったら、それは自分の身体から発せられるものらしかった。走って息切れしたりするときと、同じ類のもの。野営訓練に出発するときに挨拶をしてから、会話らしい会話をしていなかったせいで緊張しているんだろう。
 本当のことを言うと、少しお話がしたかった。盗賊に襲われて、皆を守る為に囮になったこと、ベレト先生に助けて貰ったこと、彼の学級担任がそのベレト先生に決まったこと、そういうのを、他の誰でもない、彼の口から聞きたかった。噂なんかじゃなくて。
 でも、そんなの、おかしいよね。



「対抗戦、頑張ってくださいね」



 一度、ぎゅ、と唇を引き結んでからそう口にした。
 立ち止まったままのクロードくんの横をすり抜ける。引き留めてほしいなんて望んだわけじゃなかったけれど、後ろ髪は引かれた。理由なんか分からない。でも「さん」と呼ばれたその瞬間、私は一瞬、自分の名前がなにか特別な価値をもった気がしたのだ。そんなはずないのに。
 振り向いたとき、クロードくんの黒い髪が靡いていた。まだ真上には昇りきらない太陽の光が降り注いで、目が眩んだ。



「また夜にな」



 私の足元に伸びる、釣り小屋の影が作る薄い青、それすらも彼ならば飲み込んでくれるような気がした。彼が呼んだ「さん」が、いつまでも耳にぬるくこびりついていた。


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