08 級長らと傭兵



 士官学校の生徒たちが野営中、賊に襲われたと聞いた瞬間、血の気が引いた。
 明け方の時点で、部屋の外が騒がしいなとは思っていたのだ。騎士の方々が出立する様子を窓越しに窺いながら、何が起きたのかと不安になっていた。だけど、まさかその行く先が生徒たちの元だなんて思ってもいなくて。
 詳しい話は、ただの食堂の調理師である私に知らされることはない。ただ、夜が更けてからの急襲だったこと、数人の軽傷者が出たこと、あろうことか教員の一人が生徒達を置いて逃げ出したこと、級長達三人が囮になって、他の生徒達を逃がしたらしいことだけは、騒然とするガルグ=マクを行き交う人々の様子から汲み取れた。
 それだけ分かってたんなら十分すぎるくらいだ、後にクロードくんはそう言って笑うけど。



「全くもう、生徒たちを置いて逃げ出すなんて、どうなってるのかしら!」



 そう怒りながら食堂に顔を出したのは、教員の一人であるマヌエラ先生だ。逃げた教師に対する怒りを露わにする彼女はそれでもはっとするほど美しく、感情的な声色も相まって気後れしてしまいそうになる。
 帝都で歌姫であったという経歴も持ちながら、さらには医師でもあるマヌエラ先生は、開放された玄関ホールで怪我人の治療を行っているらしい。水を分けてもらえないかと言うので、お昼のために煮沸しておいた水を渡した。「助かったわ。ありがとう」そう短くお礼を言うと、マヌエラ先生はすぐに玄関ホールへと引き返してしまう。引き留めて、一体何が起きたのかを聞くことなんて、できるわけがなかった。
 級長の三人が今、どうなっているのかなんて、だから、知りようがない。
 少なくとも、彼らは今まだガルグ=マクには帰ってきていない。エーデルガルト様やディミトリ殿下、クロードくんのことを考えると不安だけが募って、どうしても落ち着かなかった。そわそわと外の様子を気にする私に、料理長が「そんなに心配だったら、様子を見てきたら良いわよ」と声をかけてくれたときは、驚いてしまったけれど。



「あなたは生徒さんたちと特に関わりがあるわけだし、心配なのは当然よね」



 だから行ってらっしゃい。
 続けられた言葉にぱっと顔を上げる。ありがとうございます、そう言おうとした私に、「でも」と料理長は小さく首を傾げて微笑んだ。その手には、空っぽの木桶が二つある。



「ついでに水、運んできてくれる?」



 料理長の抜け目のなさは、尊敬に値するものではあった。








さん」



 食堂から玄関ホールへと繋がる扉を抜けたとき、私に声をかける人がいた。明るい色の髪をした、背の高い制服の男性だ。「シルヴァンさん」見知った人が話しかけてくれたことで、自分がここにいるのを許されたように思えた。そういう風に感じてしまうくらい、普段のガルグ=マクとは空気が違ったのだ。
 彼に言葉をかけようとした瞬間、階段下で「ああ、もう、大した怪我ではないでしょう! 泣き言言ってる暇ないですよ!」と声を荒立てた人がいて、思わず目線をそちらに落としてしまう。あれは、金鹿の学級の学生さんだ。彼女の傍には、怪我人らしき数人の生徒さんたちが座り込んでいるのが見える。そんな彼らを治療してまわっているのだろう、マヌエラ先生や、アネットさんたちの姿もあった。いないと分かっていながら、黄色の外套を探している。どうしてだろう。私にはその理由が分からない。
 「いやあ、騒がしくしちゃってすみませんね」わざと、努めて明るい口調で話しているんじゃないかと思えるような声色だった。石作りの玄関ホールは、足音も、声も、簡単に反響させてしまうから、それが私の不安を妙に煽ってしまう。



「あ、あのシルヴァンさん、大丈夫でしたか? 盗賊に襲われたって……」

「ああ、野営中に突然、ね。殿下たちが賊を引きつけてくれてる間に、怪我人を連れて帰還したよ。殿下たちが機転を利かせてくれなきゃあ、被害はもう少し酷かっただろうな」



 彼の言葉に、シルヴァンさんの頭から爪先までに視線を送る。疲労は滲んでいるようだったし、制服には少し土汚れがあったけれど、目立った怪我をしていないようだった。
 私の目線に気がついたのだろう。シルヴァンさんは眉尻を下げて、それから笑みの形を作る。



「俺は大丈夫。下にいる連中も、軽傷者ばっかりだ」

「そうなんですね、よかった……」



 彼の言葉にほっと息を吐くけれど、胸を撫で下ろしてばかりもいられない。



「じゃあ、殿下たちは……?」



 シルヴァンさんの双眸の中にいる自分の顔が、やけに青白く見えた。
 私だって、一応はファーガスの民だ。今はガルグ=マクにいて、これから先も恐らく――何も問題が起きない限りは――ここにお世話になるつもりでいるけれど。だけど私は祖国を愛しているし、ファーガスの未来は明るいものであってほしい。ディミトリ殿下に、もしものことがあっていいはずがないのだ。だけど、私はそれが何だか言い訳めいているもののように思えている。脳裏にちらつく影から目を逸らしているだけのように思ってしまう。
 知らず知らずのうちに、抱えた二つの木桶の持ち手を握りしめていた。私の手はそれは冷え切っていて、指先は水仕事のおかげであかぎれだらけだったから、そうするだけで本来だったら痛みを伴うはずなのに、今は何も感じない。ただ目を見開き続けて、縋るようにシルヴァンさんを見ていた。大丈夫だって言って、心配するなって言ってほしくて。
 だけど、彼が唇を開くよりも先に、扉の奥にいた門番さんの声が響き渡る。



「騎士団が戻られました! 級長たちも無事です!」



 弾かれたように身を乗り出したのは、けれど、私だけでは無かったのだ。
 階下にいた生徒たちが歓声をあげる。心配そうに窺っていた信徒の方々が、残っていた騎士団の面々が口々に安堵の言葉を吐いている。
 はあ、と、私の頭の方から長いため息が聞こえた、だけど、私は彼の方を見上げることをしなかった。よかったですねなんて言葉にしてしまえば、それがどれだけ安っぽく響いてしまうかを知っていた。
 だけど、本当は座り込んでしまいたかったのだ。ああ、よかった、って、声を出してしまいたかった。そういう風に感情を露わにすることが、それでも、私にはできなかった。
 三人は大きな怪我もなく戻って来た。彼らを救出に行ったアロイスさんたちセイロス騎士団に先導されて。そして、見慣れぬ傭兵の男性らを伴って。私は彼らに声をかけるでもなく、ただ、遠くから眺めていた。木桶そのものの重みを指の先に感じながら、異質な美しさようなものを持つ傭兵の男性、その横顔を見つめるクロードくんの翡翠の目を、ずっと見ていた。


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