04 黒焦げのカブとアネット



 料理は得意なので一人でも大丈夫です。今日の料理当番になっていた女の子、青獅子の学級のアネットさんが力強くそう言ったため、手出し口出しは極力せず、献立の品書きだけを渡してちょっと離れたところで眺めていたら、何故かお鍋が爆発した。
 彼女の甲高い悲鳴と、天井まで立ち上った黒い煙で、夕暮れ時の食堂は一時騒然となる。焦げ臭い匂いは食堂に充満し、それまで穏やかに談笑していた騎士様や学生さんたちは異常を察して、建物の外へと逃げて行った。これが人でごった返す昼食時とかじゃなくて良かった。もしもっと大勢人がいたら、避難と鎮火のどっちを優先させるかで動揺して、大変なことになっていたと思うから。
 私と先輩の調理師、それから偶然そこに居合わせたセテス様が協力してくれたおかげで、爆発から半刻後には事態は沈静化したけれど、厨房はそれはもう悲惨な状態だった。シチューの具材だったものは天井や壁にこびり付いて、焦げ付いた鍋は変形している。扉を全て開け放ってはいるけれど、臭いもそう簡単には消えないだろう。



さん……ご、ごめんなさい……ッ! あ、あたし、とんでもないことを……!」

「いえ、大丈夫ですよ。それよりアネットさんに怪我がなくて良かった」



 不幸中の幸いで、アネットさんは火傷の一つもしていなかった。爆発の寸前で異常に気がついて、鍋から離れたらしい。もしも顔や手なんかに怪我をしていたらそれこそ取り返しがつかなかっただろう。厨房は掃除すれば良いし、臭いだっていつかは取れるだろうから、アネットさんがそんなに謝る必要はない。そう言ったけれど、アネットさんは項垂れるばかりだった。
 しかしどうして爆発なんてしたんだろう。アネットさんが作っていたのは赤カブとヴェローナを煮込んだシチューで、揚げ物をしていたわけでもないし、鍋ごと爆発するような要素はなかったはずだけど。首を傾げながら爆発四散した鍋の中身を片付けていると、落ち込んだ様子のアネットさんが「実は……」と口を開いた。何でも火をつけるのに魔法を使ったところ、加減を間違えてしまったらしい。曰く、大抵は上手くいくことの方が多いのだけど、たまにこういう失敗をしてしまうことがあるんだとか。魔法を使えるって便利そうだなあって思ってたけど、その日の状況や体調によっては事故が起きることもある、となると、それに頼りきってしまうのも難しい話なのかもしれない。
 しかし、今から作り直して夕飯に間に合うだろうか。無残に焼け焦げたカブの塊を一カ所に集めていると、「ちょっと」と先輩に肩を叩かれた。その声色で、あ、怒られるんだな、って察してしまう。いくつになっても、人から怒られるのって嫌なものだ。勿論、色んな可能性を考慮して事故を未然に防げなかった私が悪いのだから、怒られるのは仕方がないことなのだけど。



「ごめんなさい、片付けてもらってても良いですか?」



 アネットさんにお願いすると、申し訳なさそうな顔で頷かれてしまった。
 そのまま食堂の外まで連れて行かれたことだけが救いだったけれど、先輩も、アネットさんに聞かれるのは忍びないと考えたのだろう。厳しいけれど、そういうところは気の利く人だった。
 傾いた陽は、大聖堂の奥に落ちようとしている。階段の下には釣り池があるけれど、この時間は誰も居なかった。昼過ぎまでは活気のあった市場も、今はほとんど人気がない。シルヴァンさんが荷物を持ってくれたことを、こんなときなのに、不意に思い出してしまう。先輩が大仰なため息を吐かなければ、心がどこかに置き去りにされたままだったかもしれなかった。



「あのね、いくら料理に慣れているって申し出があったとしても、料理当番が初めての子はちゃんと一緒にやってあげなきゃだめよ」

「はい、すみません……」

「料理長がいたら大変だったわよ」



 申し訳ないけれど、報告だけはさせてもらうからね。そう続けられて、小さく頷く。ああ、どうしよう、もしもこれで首になったりしたら。そう思ったらお腹の端っこの方が、ぎゅ、と痛んだ。まさか村に帰るわけにもいかないし、ここ以外にあてはない。城郭都市にでも行って、住み込みで働ける食堂なんかを探すしかないんだろうか。そういう風に、悪い方へ物事を考えて、視線を落とした、その瞬間だった。



「……まあ、誰も怪我はしていないんだし、さほど騒ぎにもなっちゃいない。わざわざ報せずとも良いんじゃないか?」



 私たちの間に不意に挟み込まれた声に、思わず顔をあげた。
 夕暮れの、色彩を失いかけた影の中、その人は僅かに首を傾げてこちらを見ていた。士官学校の学生服を着ている、男の子だった。肩口に外套を身につけているということは、級長なのだろう。夕陽のせいで白っぽく見えたそれに、一瞬思案してしまう。ディミトリ殿下ではない。勿論エーデルガルト様でもない。ということは、彼は金鹿の。



「それより、夕飯が間に合わないかもしれない、ってことの方が、俺には重要であるように思えるね。俺で良ければ手伝おうか。料理にはさほど自信はないが……まあ、流石に鍋は爆発させないよ」



 残念ながらそんな魔力、俺にはないしな。
 冗談めいた口調で肩を竦めたその人の瞳の色だけが、正しく見えた。翡翠の色。レスター諸侯同盟の盟主の孫、クロード=フォン=リーガン。
 アネットさんが口にした「さん」が、不意に蘇った。途方に暮れた、迷子になった子供みたいな声だった。まだ鼻につく焼け焦げた臭いに、戻らなくちゃ、と思うのに、私は何故かここにきて、故郷の村を思い出している。


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