03 エーデルガルトとグラタンスープ



 ホワイトトラウトは、太陽の下だと薄ら光って見える、その名の通り皮も身も白い魚だ。安価で手に入りやすい、っていうか、何ならこの魚は食堂を出てすぐの釣り池にも泳いでいて、釣りが好きな生徒がたまに持って来てくれることもあるらしい。
 丁度両の手の平に収まるくらいの大きさで、骨は細くて柔らかいから、子供にも食べやすく人気がある。でも、調理するときは流石に頭と内臓は取り除かなくちゃいけないんだけどね。苦いし。
 ダン、って包丁で頭を落としたら、斜め後ろで見ていた料理当番の生徒さんに、ちょっと息を飲まれてしまった。魚を捌くのは私がやるので、休んでて大丈夫ですよ、って言ったのに、きちんと見ていてくれるなんて、真面目な方だ。



「……すごいのね」

「魚ですか? 慣れればなんてことないですよ。折角だし、やってみますか?」

「…………そうね。それは次の当番のときに取っておくわ」

「次ですね! 覚えておきます」

「…………」



 このガルグ=マク士官学校には料理当番というものが存在していて、各学級の生徒が持ち回りで料理を手伝ってくれることになっている。とは聞いていたけれど、私がその指導を任されることになるなんて思ってもみなかった。
 料理長曰く、「年が近いあなたの方が生徒たちも楽でしょうしね」だそうだけど、先輩の調理師たちが「何か問題が起きても、新人だから許してくれ、で通せるもんね」って話しているのを聞いてしまって、何だかちょっとこう、モヤモヤ、としつつも、ああ、そうだよね、って納得してしまった。多少思うところは勿論あるけれど、それよりも腑に落ちた、って言うのかな? 言語化が難しい。押し付けるなんて酷い! とまでは思えないのは、先輩の言っていることも理解できるせいだ。
 今年のガルグ=マク士官学校は、新人の私でも分かるくらいに錚々たる面々が揃っている。このフォドラ大陸を統治する三つの勢力、それらの次期皇帝、国王、盟主となる人材が今年の入学生として名を連ねているのだ。彼らに何かあれば、士官学校を運営するセイロス聖教会が千年かけて築き上げた威信に傷がつく、と言っても過言ではない。だから、いざってときにいくらでも替えがきいて、かつ言い訳にも使える新人の私っていうのは、料理の指導をする立場とするのに最適だった。まあ料理で問題が起きる可能性よりも、訓練や課題で彼らが怪我をする可能性の方がよっぽど大きいわけだし、私自身、そんなに気負ってはいない。その分手当てがもらえるしね。
 そしてこれからのフォドラを担う三人の若者、そのうちの一人であるアドラステア帝国の皇女というのが、今私の隣でじっと私の調理を眺めている、エーデルガルト様だ。



「エーデルガルト様、さっき切ってもらったタマネギ、いただけますか?」

「ええ。……その、慣れてなくて不揃いなんだけど、大丈夫かしら」

「えぇ、すごくきれいじゃないですか、不揃いのうちに入らないですよ」



 本心からの言葉だったのに、エーデルガルト様は「そうかしら」と小さく首を傾げる。完璧主義なのかな。私なんか、面倒臭いとダン、ダン、ダン、ってやっちゃって、大きさなんか全然気にしないのに。でも、彼女くらい丁寧にしてた方が良かったのかもしれない。過去形で考えてしまっているのを、私は全然、自覚できていない。



「それで、これをどうするの?」

「お魚と一緒に煮込むんですけど、その前にタマネギだけ軽く炒めます。そっちの方が、香りが出るので」



 軽く頷いたエーデルガルト様は、予め準備しておいた浅めの鍋の前に立った。お魚の処理を終えるまで待ってもらって、それが済んでから、油をしいて、熱した鍋にタマネギを入れる。夕飯の副菜の一つになる予定のものとは言っても、学生さんたちの分をまとめて作るとなると結構な量だ。その細腕のどこにそんな力があるのか、エーデルガルト様は焦げ付かないよう、器用に鍋を支えながら、タマネギをひっくり返していく。
 ちょっと飴色になるくらいで火を止めて、「ここにお魚を入れたら、水でひたひたにするんです」って一度言葉にしてから、被さるか被さらないかくらいの水を入れたら、「ひたひた……?」と困惑したような声音で繰り返されてしまった。「こう、具材の頭がちょっと出るくらい、ってことです」と言い直した私に、エーデルガルト様は神妙な顔をするばかりだったけれど、「覚えたわ」と、最後には深く頷いてくれた。本当に、真面目な方だ。



「ところで、炒めるのも煮込むのも、同じ鍋を使うのね」

「そうですね」

「その方が洗い物が少なくなるものね。行軍中に調理が必要になったときのことを思えば、理に適っているわ」

「行軍中……ああ、言われてみれば確かに……」



 私なんか、ただ単に「面倒臭いから」って思いで調理道具を使い回しているだけなんだけど、やっぱり士官学校に通っている生徒の視点は違う。そういうのを育ませるためにも「料理当番」っていうのがあるんだろうな。色々考察するという点に関して言えば、彼女がアドラステア帝国の皇女であるエーデルガルト様その人だから、っていうのもあるのかもしれないけれど。
 行軍、そっか、行軍かぁ。賊の討伐、とかもあるもんね。平民からすると頭が上がらない。
 鍋に調味料を入れて、ぐつぐつ煮込む。それが終わったらお皿に取り分けて、チーズをかけ、窯に入れて焼く。そしたら「タマネギのグラタンスープ」のできあがり、なんだけど、でも、焼き上がるまではまあまあ時間がかかるし、彼女だって忙しいだろう。とりあえず今日はここまでで終わりでいいかな? ちらりと隣に立つエーデルガルト様に視線をやった私は、だけど、ちょっとだけ息が止まってしまった。
 天井に程近い明かり取りの窓から、飴のような色をした光が差し込んでいた。黒鷲の学級長を表す赤い外套に映える、彼女の色素の薄い髪が輝いて、淡く発光しているように見えた。
 きれい、って口にしてしまいそうになって、慌てて飲み込む。
 普通だったらお話もできないような人と一緒に料理してるって、すごいな。改めてそう考えるけど、現実味がなさすぎて、何だか夢でも見ているみたいだ。でも、そういえばもう長いこと、そういう感覚が拭えていないや。キアラおばさんとお話したときから、ううん、もう少し前から、ずっと。


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