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「――ね、さっきのなんだったの? 玲王くん」

って、さんだよね」

「そういえばあの二人って幼馴染みなんだっけ。去年、一時期話題になってたの覚えてる」

「あー、あったあったそんな話。……え、でもそれであんな風に追っかける……?」

「さあ……?」

「皆瀬さん、なんか知らないの?」

「んー?」



 玲王がクラスから持ってきてくれた林檎の底を、ステッキの直径と同じだけ切り取るようにペンで印をつけていく。この後は鋏でその部分を切り抜いて、ボンドで柄と固定――どこかで変に手間取らなければ、最後の公演には充分間に合いそうだった。
 さっきまで顔を付き合わせてどうするか話し合っていた私たちだけど、方向性が決まってしまえば手持ち無沙汰になる人は案外多い。だからさっきのあの二人について水が向けられるのは、仕方のないことなんだろう。結構派手に出て行ったしね、二人とも(実際女子だけじゃなくて、男子たちも気にしているみたいだった。「え、あの二人ってどういう関係?」「なんだっけ、幼馴染み?」で終わるくらいの、表面を撫でる程度の興味だったようだけど)。
 玲王は、教室から飛び出したさんを追いかけて出て行った。教室にそれなりの動揺とざわめきを残して。「」って、さんを切迫めいた声で呼んで。――あれでただの幼馴染みだなんて、でも、もう無理があるんじゃないかな。そう思うのは、私が真実を知っているからなのかもしれないけれど。
 昨日の放課後くらいからさんはちょっと様子がおかしくて、今日も一日、どこか上の空だった。あれだけ行きたいって言っていた玲王のクラスの前を足早に通り過ぎて、それでも直前で出演を知らされたらしいライブに行って、どうしてか益々暗い顔になっていた。思うところがあるなら話してくれたらいいのに。でも何も知らない枝森ちゃんもいたし、難しかったのかもしれない(「え、ちゃん大丈夫かな? うちらも追っかける?」って、玲王が飛び出して行った後私に相談してきた枝森ちゃんは、今も教室の扉に、心配そうに目を向けている)。
 あの子の気持ちは全部わかる、なんて言う気は勿論ないけれど、でも、さんが何に傷ついて、どんなことで悩んでいるのかくらいは、ちょっとはわかるつもりだ。あの子は玲王が大好きだから。
 玲王が選んだ自分の価値を信じられなくて、玲王に相応しくなるために色んなことに全力だった。玲王の夢を応援するためにサッカーの勉強もしたいから、って、サッカー大好きおじさんのブログ(だったっけ?)とかまでわざわざ見て、練習試合の相手校についてもしっかり調べていた。そういうひたむきなさんを、玲王も好きなんだろうなって思ったよ。
 だから全部、話しちゃえばいいと思ってた。不安も恐怖も心配ごとも、全部玲王に打ち明けてしまえばいいって。玲王だって、そのためにこうしてわざわざうちのクラスに首を突っ込んだんだから。さんが関わってなければ、だって、流石の玲王もそんなことまでしないでしょ?
 玲王がさんのきもちを無碍にすることなんか、絶対ない。さんからしたら、でも、お節介だったのかな。私が玲王にさんの居場所を教えようとしたタイミングで彼女は教室の外に走って行ってしまったから。……あとで謝っておこう。あの子は笑って、「気にしないで」って言うんだろうけど。
 林檎の上の方に、できるだけ綿を押し込める。下部の布を余らせ、摘まんでから慎重に鋏を入れる位置を決める。私が何も言わなくても、言葉を濁しても、女の子たちは噂話が大好きで、「でも玲王くん、結構ガチトーンで名前呼んでたよね」「わかる。びっくりしたよあれ」「普段話してるとこあんま見ないけどさ、強いよねーやっぱ、幼馴染みは」って、話している。



「でもやっぱさっきの、幼馴染みってよりはさ」

「ねえ、ごめんこれ誰かかわってくれない? 鋏いれるの緊張して手が震える……!」



 本当は全然震えてなんかいないし、緊張もしてないけれど。
 話題を断ち切るように大きな声を出した途端、皆の目が一斉に私に向けられた。「え、やろっか?」と手を差し出してくれた子に、林檎と鋏を「うれしい~、ありがとう」って手渡すのは、我ながら自然な流れだったと思う。



「人が作ったのに手入れるの、怖いよねえ」

「失敗したらやばいもんね。もう後が無いし」

「あ~、やめてやめて私も手震えちゃうそういうこと言われると」



 そのまま話題をそこに留めてくれるように、「後ろから支えるよ!」ってわざと冗談を言った。「いや逆に邪魔でしょ」って笑う皆と似たような声をあげながら、閉められた扉の奥を見る。その人の流れの中に、さんや玲王の頭はない。
 玲王がどういう選択を取るかは、知らない。
 でもさんを追いかけていった先で何があっても、どんな話をしても、さんはきっと「大丈夫」なんだと思う。玲王にはさんを、そういう風にする力がある。そういう関係を羨ましく思う気持ちがないなんて嘘でも言えないけれど、だからこそ応援しているのだ。
 白宝祭が終わったら、一年生のときに二人で行ったあのカフェに、さんをもう一度誘おう、と、ぼんやり考える。玲王との話をしてもらって、私の恋バナも聞いて貰うのだ。今の私に好きな子はいないから、ただの理想の男の子の話になっちゃうけどね。でもさんはきっと、にこにこ笑って聞いてくれる。それできっと、「またお茶冷めちゃったね」って、私たちは言うんだろう。
 今の私には、それだけで充分だった。








 は、は、って、短い呼吸を繰り返す。
 人いきれのする校舎の、人が少ない方へ走りながら、痛む横腹に知らないふりをした。
 頭の中には今日一日皆瀬さんと一緒に漫然と見続けていたパンフレットの映像が焼き付いていて、だから私は、校舎のどこで何が展示されているのか、どんな発表があるのかを、大体把握していた。体育館や講堂なんかは一日中使われていて人が多いから、だめ。化学室は化学部が子供向けに蚕の繭で飾りを作る催しをしていたはずだから、そこもだめ。
 文化祭として開放された校舎はどこにも人の目があった。走る私を大勢の人が振り返っていたし、ぶつかりかけて「あぶな!」って怒られた(ごめんなさい!って、その都度謝ったけれど、誰にもぶつからなかったのは本当に幸運だったと思う)。私の頭の中には去年の映像がこびりついていて、あの日玲王くんに連れて行かれた美術室の奥の空き教室だったら人はいないだろうって分かっていたけれど、何か悪い意味でジンクスめいたものを感じてしまって、そこに向かうことはできなかった。
 そうしているうちに息があがって、正常な判断ができなくなる。人が居ない方、居ない方にだけ進む私は、そういう習性を持つ虫みたいなものだった。玲王くんが追いかけてきているのも分かっていたし、その距離が段々詰められているのも分かっていた。「! おい!」って、怒ったような声で呼ばれるのを、逃げながら聞いていた。なにやってるんだろう、私は。規制のためにはられたテープを乗り越えて、階段を駆け上がる。このまま階段を上ったら、屋上についてしまうことも、私は知っていた。そうなればどこにも逃げ場はない、ってことも。
 わかっていたのだ、本当に。
 屋上へと続く扉は普段だったら開いているはずなのに、事故防止のためだろう、今日はしっかり鍵がかけられていて、私ははっきりと絶望する。開いたところで、意味なんかなかったのに。一段飛ばしで階段を駆け上がってくる、玲王くんの足音に、どうしたらいいのか分からなくなる。ダン、って、最後の一段を踏みしめたようなその音に、思わず背筋が伸びた。それでも、「」って呼ばれて、どうにか振り向いたのだ、私は。



「逃げんな、馬鹿」



 呼吸一つ乱れていない玲王くんは、泣きそうな、苛立ったような顔で私を見ていた。