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「気にしないで、白雪姫。私たち七人は全員夫を失っていて地雷はあちこちに埋まっているけれど、大抵のことは笑って流せるの。…………『大抵のこと』は、だけど」



 与えられた三つの台詞の中で一番長くて噛みやすいものを口にし終えたとき、ほっと肩の力が抜けた。最前列に座っていたご父兄とみられる夫婦が私の台詞に好意的に笑ってくれたのも、緊張が緩んだ大きな理由の一つだと思う。
 十三時から始まった二回目の公演は、白宝の生徒は勿論、別の学校の女子とか、ご父兄、恐らく学校見学もかねてやって来たのだろう中学生の姿なんかもあって、立ち見も出るくらいの盛況ぶりだった。どうやら隣の喫茶店に入るのを諦めた人たちがこっちに流れてきた、っていう状況でもあるらしいけれど、それでもありがたい。
 とは言えお客さんのひしめき合う客席の方を見るとガチガチに緊張してしまうから、白雪姫を演じる皆瀬さんを視界の真ん中に置いた。私なんか比じゃないくらいの台詞量があるはずなのに、皆瀬さんは堂々としていて、きれいだった。プレッシャーなんかものともしていないようだった。そういうところ、玲王くんに似ていた。余計なことを考えてしまいそうになって、こっそり頭を振った。
 「白雪姫と七人の未亡人たち」は、名前の通り白雪姫がモチーフになっていて、美しさのあまり継母の不興を買って殺されそうになった白雪姫が姦しい七人の未亡人の住む家で暮らすことになる、ハートウォーミングなストーリーだ。私の演じる水難事故で夫を失った未亡人Bは穏やかで大らかな性格で、長く共に暮らしているのにどうしてか馬が合わない者同士のDとFの仲を取り持つことが多い(だからあとの台詞は、「まあまあ、みんな仲良くしましょうよ」と「でも無事で本当によかった」っていう、のんびりしたものだけ。他の未亡人たちよりも一歩引いて物事を眺めているから台詞が少なくて、私としてもありがたい)。
 白雪姫ほど出ずっぱりというわけではないけれど、台詞がない割に出番が多いのは、どうしても白雪姫と行動を共にすることが多いからだろう。白雪姫が未亡人達の暮らす家にやって来るシーンは勿論、白雪姫が街中で魔女に扮した継母に襲われるシーンも、継母の話を聞いた未亡人達が鬼姑論争で盛り上がるシーンも、白雪姫が本当に殺されてしまうシーンも、台詞はほとんどないなりに舞台上にはいなくてはならない。
 でもやっぱり、一番しくじれないのは、ラストの演奏かな。
 他にも楽器はあるとは言え、メロディラインに関しては私に託されている。有名な曲なのは練習する上で有り難かったけれど、その分どうしたってミスも分かりやすくなってしまうから、失敗はできなかった。舞台の端で指を組みながら、ドキドキする心臓を紛らわすように細く長く息を吐く。体育館のものと比べたらずっと細やかなステージなのに、私は玲王くんみたいに、堂々とはいられない。








 急遽代理で出演したライブが終わって教室に戻れば、廊下は長蛇の列になっていた。不在にしたのは一時間強程度だったが、その間、係を交代してくれた生徒は大変だっただろう。



「あ、玲王くん戻って来たー!」



 俺の存在をみとめたその声の主が列を成していた客のものだったのか、クラスメイトのものだったのかは判然としない。方々からの歓声と悲鳴、好意的な視線。それらを背負って「ごめん、大変だったろ」と言えば、係の仕事の隙をつくようにして女子に囲まれた。
 俺が代理でライブに出ていたことは、教室を仕切っていたクラスメイトたちにも既に伝わっていたらしい。「ねえ玲王、うちらもライブ見たかったんだけど!」「玲王くんがいない間、玲王くん目当てのお客さんが大変だったんだよー」って、半分本気、半分冗談と言った声色で責められてしまい、「あー、ごめんな」と、深刻にならない程度に謝った。「その分今から手伝うからさ」そう言えば、女子たちの表情はぱっと明るくなる。こういう切り替えの早いとこ、助かるよな。
 ライブの後、から何か反応があるかと思ったが、何もなかった。確か十三時から二回目の公演があるって言ってたし、バタバタしていたんだろう。友達と一緒にいるなら連絡だってしにくいしな。どのみちこの後顔は見に行けるわけだし、いいか。今日じゃなくたって、話ならいつだってできる。
 衣装に着替えてから給仕に入った。のクラスの方から悲鳴とどよめきが聞こえたのは、十三時をいくらか過ぎた頃だった。








 ――こうなったらああしよう。ああなったらこうしよう。
 心配性の私は普段からありとあらゆる「もしも」を考えて、自分の取るべき行動を決めている。勿論、ある程度だけど。でも、だからこそ不測の事態には弱かった。自分が想定していなかったことが起きた時、私の思考は呆気なく止まってしまうのだ。それこそさっきの、体育館での玲王くんや、熱狂する皆を見たときとか。――もっと酷いと、去年タマが私の部屋でぐったりしていたのを見たときみたいに。
 だからこれも、そういうのと一緒だ。
 買い物に訪れた街で、魔女に扮する継母が白雪姫を襲撃するシーンだった。その時私はやっぱり舞台の隅っこにいて、白雪姫が一人あちこちの店を見て回るのを、他の未亡人たちと見守っていた。往来の多い街中は、明るく賑やかだ。舞台の後ろ側を行き来する通行人も、台詞はないながらもその雰囲気を出すのに一役買っている。
 穏やかな日常風景は、だけど継母の襲来によって崩れ去る。魔法でお前を殺すと白雪姫を脅す継母の手にあるのは、凪くんと私が作った林檎のステッキだ。実際には継母は魔法は使えないから、ただのお飾りでしかないんだけど。
 この後、継母は私たち未亡人に取り囲まれて逃げ帰ることになる。DとFが白雪姫に危険が及んだことに対する責任をなすりつけ合っているところを「まあまあ、みんな仲良くしましょうよ」と諫めるのが、私の仕事。噛まないように。飛ばないように。変な間を開けないように。ドキドキしながらシミュレーションをする。でも、多分この台詞は大丈夫。台詞自体短いし、間も取りやすいから、練習でも失敗したことがない――。
 だけど、大丈夫なんかじゃなかった。想定していなかったことが、この時起こってしまったから。
 白雪姫と口論になった継母がステッキを振りかざして、勢いよく下ろした瞬間だった。振り下ろした先に、小道具の木箱があった。



「あっ」



 鈍い音だった。
 継母役の子の短いそれは、どんな色も孕んでいなかった。偶然だった。決して継母役の子が悪かったわけでも、そこに木箱を設置した小道具係が悪かったわけでもなかった。私はそういう風に考える頭があるくせに、いつも自責する。なんで呆気なく壊れるようなものを作っちゃったんだろう、って。何か一つ工程を足していたら、調べていたら、壊れにくいように何か手を加えることはできたかもしれなかったのに。そうしたら今ここで、あのステッキは壊れなかったかもしれないのに。
 ステッキの林檎部分は、足元の木箱とぶつかった。破片が空を舞って、表面の赤と紙粘土の白が散らばった。それが全部スローモーションに見えた。花が散ったようにも見えた。悲鳴が誰の口から出たものだったのかは分からない。私ではなかったことだけは確かだった。血の気が引いて、声なんか二度と出ないんじゃないかってくらい、身体の奥に消えてしまったから。
 明らかな事故に、観客からもどよめきがあがっていた。舞台の上に立つ誰もが、すぐには動けなかった。



「あのハートの杖、壊れちゃったの?」



 客席から発せられた、無邪気な子供の声が耳に届く。原形を留めていないステッキは粉々になって、本当に、林檎じゃなくて、元からハートだったみたいに見えた。