08
の様子がおかしい。
思考の沼に入り込んでしまったときや周囲との関係に思い悩んで雁字搦めになっているとき特有の危なっかしさとそこから俺を遠ざけようとする余所余所しさが、やりとりに滲み出ているのだ。がそれを隠そうとしているのも。――そういうの、わかるんだけどな、俺。丁度去年の今頃、白宝祭の終わった後くらいのときのに似ている気がして、どうにも気になった。
白宝祭のことで悩んでいるのかもしれない。
は本番三日前でラストシーンの演奏っていう大役を急遽引き受けることになっていた(この前隣の教室で見かけたを含む謎の集団は、どうやらその練習をしていたところだったらしい。三日前って、マジで急だもんな)。「大丈夫、多分できそう!」「がんばります!」そういう明るく前向きなメッセージは適宜届いていたが、内心どう思っていたのか、何か思い悩むことがあったのかどうかは分からない。こっちの電話、断られちまったんじゃあな。練習するから、って言われたら、無理強いもできなかった。
こういうときクラスが違うってやっぱ不便だ。凪に聞いたら「えー知らない、元気なんじゃないの」と興味なさそうに返された。隣の席のくせに、こいつ、マジでに興味ねえの。こんなときじゃなかったらその無関心さにほっとするんだけどな。俺も大概自分勝手だ。
やっぱり同じクラスだったら良かった。そうしたらの抱えている不安だって解消してやれたかもしれないし、話だってもっと聞いてやれた。サッカー部のマネだって、あいつを取り巻く事情や俺の感情、全部無視して「やってくれ」って言っていたら、もしかしたら何か違ったのかもしれない。なんて、全部たらればだ。
「そっちのクラス、最後の公演見に行くわ」
今朝送ったメッセージには、「は~い!」って挙手する犬のスタンプで返事がきていた。「どうしよう、緊張する~! 失敗したらどうしよう……!」って、普段のだったらそうやって、言葉にして言ってくれたんだろう。そんで、俺は「大丈夫だって。ちゃんと練習してただろ?」って、の背中に乗っている重荷を取り除いたはずだった。
感じていることや考えていること、自分の中で煮詰めてないで、こっちに見せてくれたら良かった。そうしてくれないから俺はをとっ捕まえて、向き合ってもらうしかない。――でもそれは、この白宝祭が終わってからか。ここまで来ちゃったんじゃあな。
後は文化祭の開会を待つばかりとなった白宝高校は、去年同様、随分華やかだった。花や風船で彩られたアーチ。窓から垂れ下がった横断幕。一歩校舎に足を踏み入れれば、所狭しと貼られたポスターやガーランドでもっと学祭らしい雰囲気になる。
「あ、玲王くんだー! おはよう!」
「玲王のクラス、今日絶対行くね~」
「おー、ありがとなー」
ばぁやの車から降りた瞬間女子生徒に囲まれるのは日常茶飯事で、俺はそれに笑顔で応えながら、ほとんど無意識にの姿を探した。
黒いリュック。そこからぶらさがった、ちょっとくたびれはじめたペンギン。柔らかい髪。でもどこにも見つからなかった。――見つけたって声をかけられるわけじゃないのにな。「話しかけたって死ぬわけじゃないんだし」凪の言葉が脳裏を過ぎったけれど、それでもが困ることはしたくなかった。
「玲王!」と声をかけられ顔を上げたのは、昇降口に続く階段を上り切った直後だ。焦った様子で俺に駆け寄る男たちは、揃って同じクラスの軽音部連中だった。何かクラスでトラブルでもあったのだろうか。でもこいつら、俺と一緒であんまりクラスの出し物に協力はしてなかった気がすんだよな。重大な事案が発生してその解決のために奔走するんだとしたら、きっとこいつらじゃない。
靴を履き替えながら、「おー、どしたー?」って、なるべくのんびりと尋ねる。浮ついた空気の中で、こいつらだけが妙に神妙な顔でいるのが気になった。ほとんど世界の終わりみたいな。――あれ、でも神澤がいねえじゃん。ギターボーカルをしているって話のクラスメイトの不在に気がついたときだ。「玲王頼む」って、袖を掴まれたのは。
「助けてくれ……!」
「は?」って、思いのほか大きな声が出た。
いつの間にか俺を取り囲む形で立つ三人の表情は、ほとんど縋るようだった。
十時からの一回目の公演は、何とか無事に終わった。
緊張しすぎてちょっと台詞噛んじゃったし、長いワンピースの内側で両足はガクガクに震えていたけれど。でも私は台詞の三つしかない未亡人B。比べものにならないくらいの台詞量の皆瀬さんに比べたら、ずっとずっと楽だった。
ラストシーンの演奏の方は、だけど上手くできたと思う。やっぱりお客さんの目はこっちよりも中央に立つ白雪姫たちに行くし、私たちはほとんど裏方と変わらない(枝森ちゃんがトライアングルを強く叩きすぎたのが誰かのツボに入って、笑いが伝染しそうになったことくらいだ。大変だったのは)。お客さんからはたくさん拍手をもらったし、「皆瀬さんかわい~!」「面白かったよ~」って、方々から嬉しい言葉が飛び交っていて、安心した。凪くんと作った林檎のステッキは――やっぱりハートに見えなくもなかったみたいだけど。でも、私の肩に乗っていた夥しい数の錘の一つが、溶けたような気がしていた。
終演後、お客さんのいなくなった教室で、私たちは一息吐く。
「お疲れ~! すごい良かったじゃん。残り二回も頑張りましょう! 次は一時からだから、飯食って、十分前には戻って来てねー」
雲津くんの張り上げた声に各々返事をしながら、私は皆瀬さんと枝森ちゃんとパンフレットを覗き込んでいる。
「隣のカフェは行きたいじゃん。でも三十分後にあるステージライブも見たいよね……」
「軽音学部のやつでしょ? 私カフェだったらそっち行きたいけどなー。隣のクラスって御曹司いるし、絶対めちゃくちゃ並ぶじゃん。今も廊下すごいよ~?」
「御曹司って。……まあでも、ほんとそれなんだよねえ……」
皆瀬さんと枝森ちゃんの会話にうんうんって頷いていたとき、ポケットに入れていたスマホが振動したのに、めちゃくちゃびっくりしてしまった。ワンピースの布地が薄いせいでバイブがしっかり伝わったのだ。慌てて取り出して確認する。その一連の動作の間で、だけど私は、玲王くんからだって想像がついていた。
写真をくれる、って言っていたし、もしかしたら休憩中に送ってくれたのかもしれない。今見ないほうがいいかも、とは思ったけど、でもだめだった。全然我慢できる気がしなかった。ドキドキしながらスマホを握る。皆瀬さんは兎も角、何も知らない枝森ちゃんの目に入ったら大変だ。枝森ちゃんがパンフレットを指差して皆瀬さんと話しているのを確認して、角度を気にしながらスマホのロックを解除した。思った通り、玲王くんからのメッセージ通知だった。でも、期待していた添付ファイルはない。どうしたんだろう。「ちゃんはどっちがいい? ステージとカフェ」枝森ちゃんが尋ねてくれた、ちょうどそのタイミングで、私は息を飲む。
「えっ」
上擦った声は、思ったよりも大きく響いてしまった。「どうしたの?」目を丸くした皆瀬さんの問いかけに、私はあとちょっとで「玲王くんが」って言ってしまいそうだった。皆瀬さんと枝森ちゃんと、それからスマホの画面を交互に見る。この時私の頭は制限時間ギリギリで解法を思いついたときのそれに似ていた。
限界までに動く頭で、私はなんとか、平静を装う。装って、「す、ステージいきたい」と、口にする。さっきの枝森ちゃんの問いかけに、自然に答えたみたいになるように。
皆瀬さんが「えっ」と言うのは尤もだった。だって今このタイミングでなければ、隣のクラスのカフェに行くことは困難になってしまうから。でも、だめだった。玲王くんからの連絡を受けた今、私の「行きたい」は一つだけになってしまっていた。
「十一時半からの軽音学部のステージ、病人が出て助っ人で出ることになった。時間あったら見に来て」
スマホに浮かんでいたそれを無意識に指で隠しながら、「ステージが良いです……!」と口にした。それだけで何となく察してくれたらしい皆瀬さんは、どこまでも聡い女の子だった。
そのステージで自分がとんでもなく打ちのめされることになるなんて、私は知らなかったのだ。