04
玲王くんがサッカーに力を注いでいるのはもはや白宝高校の生徒たちの間では周知の事実となっていたけれど、彼もまた凪くんのように文化祭の準備から離れて部活に専念していたかというと、そういうわけでもない。二年生になって私同様学級委員の任を下りた玲王くんは去年のように先頭に立ってクラスを導いたりすることはなかったものの、適宜クラスの子たちにアドバイスをしたり、自分のできる範囲での手伝いは率先して行っていたのだ(部活も勉強も学校行事も、全てを完璧にこなす玲王くんは、やっぱり私には超人に見えた)。
誰からも頼りにされている玲王くんだから、文化祭を目前に控えた時分ともなると夜でも連絡がくるらしい。「あ」とスマホの向こうで短く呟いた後、玲王くんは「悪い、ちょっと返信していい?」ってわざわざ尋ねてくれた。
「いいよいいよ。クラスの子?」
「そうそう。去年の白宝祭で売上金の管理どうしてたかだって。――こんなん別に今聞かなくたって明日でもいいだろ」
「あー、でもそういうの、一回気になると心配になっちゃうよね。気持ち、わかるかも」
「へー? 心配性なんだなー、お前」
「心配性だよ~!? なんでも心配しちゃうもん」
「はは、ストレスやばそー」
玲王くんはそれから返信に集中しているのか、ちょっとの間無言になる。「いいよ」って言ったくせに、私の心を膜とも言えない塵のようなものが薄ら覆うのは、誰かもわからない相手に嫉妬しているからなんだろう。女の子かな、男の子かな。聞きたいような、聞きたくないような。気にしないように、中断していた作業を再開する。今度は裁縫を頼まれたのだ。針に糸が通らなくて、つい呼吸を止めてしまう。
「玲王もよくやるよねー。部活でほとんど免除されてるようなもんなんだから、全部人に任せちゃえば良いのに」
数日前、忙しそうに駆けずり回る玲王くんを尻目にそう言ったのは面倒くさがり屋の凪くんで、彼はその言葉通り、先週完成させた林檎のステッキの製作以外のことは雲津くんたちに頼まれても決してやろうとしなかった。「やることやったんだからこれ以上俺に求められても無理―」だって。その精神は、でもちょっと見習いたい。頼まれ事を断れずに引き受けすぎて潰れちゃうよりは、だってずっと健全だと思うから。
何とか糸が通って息を吐いた瞬間だった。玲王くんが「うし」って短く言ったのは。
「返信おわりっと。ごめんな」
「いえいえ。玲王くんのクラスも大変そうだね」
あんまり詳しくは聞かされてないけれど、玲王くんのクラスは白宝祭で喫茶店をやるらしい。去年私たちのクラスがやったカップケーキと紅茶のお店を思い出して、何だか懐かしくなる。当日家庭科室と教室を何往復もしたこととか、三浦くんの作るカップケーキがとんでもなく美味しかったこと、最後に玲王くんと二人で、誰もいない教室でカップケーキを食べたこと。まだたったの一年なのに、すごく昔のことみたいに思えてしまう。あの時はまだ、玲王くんとどう関わったらいいのかわからないでいた。好きって気持ちをこねくりまわして、無理矢理内側に押し込んでいただけだった。
「……去年とは、やっぱり違う?」
裁縫ができないらしい男子の分の衣装に慎重に羽根を縫い付けながら(クライマックスで出てくる天使の役だ。ほとんど出番はないけれど、ちゃんと天使って分かるようにしなくちゃいけないから、ちょっと気を遣う)尋ねた私に、玲王くんは「あ~……」って、ちょっと言葉を濁した。
まさか次の瞬間、想像もしていなかった言葉を吐き出されるとは思ってもみなかったのだ。
「……思い思いの衣装に着替えて、なんて言葉で無理矢理生徒会の審議を通したっぽいけど、要するにコスプレ喫茶なんだよな。うちのクラス」
「…………コスプレ喫茶!?」
コスプレってあのコスプレ!?
びっくりしすぎて連呼してしまった私に、玲王くんは「そーそーあのコスプレ」って、笑いながら返した。他にどんなコスプレがあるんだよ、って続けられて、ちょっと返答に詰まる。
「――え、まって、それって玲王くんもやるの!?」
「やるよ? 細かいとこは女子に任せちゃってるから、当日どんなの着るかまでは知らねーけど」
「えっえっ、い、行きたい、見たすぎる、あーでもでも絶対混むよね……!? いやでも並んででも行きたい……!」
「ふは、いーよ無理しなくて。写真撮っとくから、後で送るし」
「写真はありがたいけど生で見たいんだよ~!!」
あんまりそういうことには明るくないけれど、コスプレ喫茶って言ったらやっぱメイドさんとか、執事とかなのかな? 想像力が貧弱すぎて、他にバニーくらいしか浮かばない(高校の文化祭で、バニーは絶対ないって分かってるはずなのに)。でも、でも絶対すごいに決まってる。だって玲王くんなんだもん。何を着ても似合う、恋人の欲目じゃなくて、それは事実だ。
反面女子に任せてる、って玲王くんの言葉が胸の内側に引っかかって、私はそれを首を振って払い落とした。嫉妬なんて醜い。だけどいいな、いいな、っていう羨望は、それだけじゃ私の声色から離れてはくれなかった。「いいなー……!」って、心からの声が漏れてしまう。止めることなんかできなかった。思ったことはすぐに口から出てしまうたちだった。
「玲王くんのクラスの子たちが羨ましい……」
同じクラスだったらよかった。また一緒に、文化祭にかかわりたかった。
そう続けた私の言葉に、だけど玲王くんはちょっとだけ長く間を取った。
私が「ん?」って思うか思わないかくらいの、絶妙な間だ。やがてスマホの向こうで、その沈黙を破るみたいに、玲王くんが小さく咳払いをする。私の背後で、クッションと同化しているタマが寝ぼけて「ぴゃ」って鳴いたのよりも、ずっと小さな音だった。
「……お前ってさあ」
呆れたような言葉のその語尾が、空気に滲むみたいに掠れている。
「お前って、ほんと正直だよなあ」
姿は見えないのに、私は玲王くんが今どんな顔をしているのか、なんとなくわかった気がした。
眉尻を下げて、目を伏せて、睫毛がその頬に影を落としていて。それでちょっとだけ口角をあげて笑っている。――そんな気がする。
私は思わず居住まいを正した。どうしてかは分からない。だけど持っていた針と衣装を机に置いて、足の上に両手を揃えてしまう。でも、良かった。直後「のそういうとこ、好きだわ」って、まさかそんな言葉が次の瞬間飛んで来るとは思ってもなかったから、もし針を持っていたままなら、多分私、布ごと皮膚の一枚くらい突き破っちゃってたと思うから。
「す!?」
「そ、好き」
「………………!!」
玲王くんはこうやって不意打ちでドキドキさせてくることがあるから、困る。電話でよかったって思うしかない。熱くなった頬を押さえながら、「あ、ありがとうございます……! これからも精進します……!」とお礼を言った私に、玲王くんはふはって、息だけで笑った。
私も玲王くんの好きなところ、いっぱいある。才能に甘えないところ、表情が豊かなところ、笑うとき口が大きく開くところ、視野が広くて公明正大なところ。絶対的な支配力。時折顔を覗かせる少し意地悪なところ。長い指。サッカーをしているときの、結ばれた髪。「凪」って、凪くんを呼ぶときの、ちょっと真ん中が間延びする声。私の時は、そうじゃないもんね。薄闇の中でも、いつも玲王くんは私を振り返って待っている。光で包んでくれる。
「俺も劇、見に行くから。と凪の出る劇」
玲王くんが、柔らかい毛並みの生き物を撫でるみたいな穏やかな声で言うから、つい、「でも私も凪くんも、出番全然ないよ」って言った。玲王くんは「凪に至っては台詞ないし、は三つだもんな?」って、笑う。私が話した取るに足らないことですら何だって覚えてくれている玲王くんが、私はやっぱり好きだった。