08
思った通り、駄々田の連中は揃いも揃って俺達を下に見ていた。
長く一緒にいるとどうにも振る舞いや表情が似通ってしまうものなのか、どいつもこいつも同じように日焼けをした、嫌な目付きの男たちだった。その中で特に目立っていたのは、キャプテンの舐岡了――駄々田のエースストライカーだ。
「なんで俺らがこんな弱ぇトコと戦らなきゃいけないんすかぁ?」
舐岡は挨拶もしないうちから向こうの監督にそうデカい声で尋ねる。曰く、この試合は「金持ちの道楽」で、俺達は「世間知らずのボンボン」。「この試合でお坊ちゃん達の夢を木っ端微塵にしてやるよ」だそうだ。
――ま、そりゃそうだよな。折角遠路はるばる関東に遠征に来たってのに、有名どころでもなんでもない、名前も聞いた事のないような格下の相手をさせられるんだから。憤りたくなるのも分かる。
そもそもこの試合自体、父さんの力が水面下で働いたことで決まったものだ。恐らく何かしらの忖度は働いたんだろうが、それもせいぜい相手方の監督に対してのものと考えるのが自然だろう。全国にも行けない「下手くそ」の相手をしたところで、向こうの選手にメリットは少しもない。実力差がありすぎる試合なんて、正直無意味だ。
実際動画を観て分かったが、駄々田はちゃんと強い。一人一人の質が高いのは勿論だが、高校生離れしたフィジカルを持つ舐岡の強みを生かしたプレイスタイルは、今年も全国で通用するだろう。対策を間違えれば苦戦は必至、というのは間違いない。
でもな、この試合が終わったとき、膝をつくのはお前達の方だ。
普段は下ろしている髪を頭頂部の後ろにまとめる。着ていたジャージを脱ぎ捨てた瞬間、視界に入ったのは凪だった。駄々田の圧に気圧されている他の部員と違って、凪はどれだけ煽られても素知らぬ顔をしている。俺は凪の、そういうところが好きだった。
充分価値のある試合だと思うぜ。お前らはここで「本物の天才」を知って、青森に帰れるんだからさ。
まあ、今ここでそんなこと言っても、お前らにはわかんねえか。
「わ、わ、え、なんか、待って、試合もう始まってるかも!」
「え、ほんとに?」
十時半、って聞いていたからそれに間に合うように向かったはずなのに、サッカーコートでは既に試合が始まっているらしい。練習試合って公式戦とは違うから、開始時間っておおよそでしかなかったのかもしれない。そうと知っていたら、もう少し早く図書室を出たのに。最早しても仕方のない後悔に、気持ちだけが逸る。
コートと外を仕切るフェンスに指を引っかけて、ほとんど額がぶつかるくらいの距離まで顔を近づける。私よりも数歩遅れてやって来た皆瀬さんは「うわー、ほんとだ。もう始まってるね」って、私よりも余裕のある声で口にした。やっぱりこの練習試合のことは他の生徒に知られていなかったのか、私たちの傍で観戦している人は、試合に出ないサッカー部の人たちと、玲王くんのばぁやさん(目が合ったので、小さくではあったけれどお辞儀をした。ご挨拶は試合の後にさせてもらうことにする)。それから見覚えのない、スーツを着た若い女性くらいだった。
「わー、わー、どうなってるんだろ? はじまったばっか?」
慌てすぎて、誰にともなく口にしてしまう。初夏に片足を突っ込んだ今の季節は、少し走っただけでもブラウスの下にしっとりと汗をかいてしまって、どうしても不快だ。
試合はつい先ほど始まったばかりだったのか、ボールはコートの真ん中あたりにあった。保持しているのはオレンジ色のユニフォームを着た選手だから、駄々田側だろう。
駄々田の選手は、まず全員背が高い。彼らと同じくらいの体格の選手なんて、白宝には凪くんくらいしかいないんじゃないだろうか? 目まぐるしい速さのパス回しは、だけどその体格からは想像もつかないくらい緻密に計算されているように見えた。それだけで、鳥肌が立ちそうになる。全国レベルの人たちって、こんなにすごいんだ。圧倒的なんだ。これで本当に、私と同い年とか、それくらいなんだ。
「えー、すごいね。上手いチームなの? 相手のオレンジの人たちって」
「うん、そうみたい……! 高校サッカー大好きおじさんのブログでは、文句なしのAランクって書かれてた」
「高校サッカー大好きおじさん……?」
「そう、高校サッカー大好きおじさん……!」
実際、彼らのボールコントロールは素人の目から見ても一級品だった。その証拠に、ラインは徐々に下がっている。これは、不利だ。白宝の選手たちは彼らのパス回しに振り回されて、ボールをカットすることができずにいる――。
玲王くん以外は。
この時の衝撃を、一体どんな風に表現したらいいだろう。
私の語彙力がいくら豊富でも、だけど、どうしようもなかった。私の目はその時玲王くん以外の全てを遮断していたし、その玲王くんですら、滲んで曖昧だった。
サッカーをする玲王くんを見たのは、この時が初めてだったから。
サッカーのこと、私は全然わからない。作戦がどうとか、フォーメーションがどうとか、それらの長所や短所とか、定石とか。せいぜい用語をちょっとだけ覚えたくらい。でも駄々田のパスを読んでいたとでもいうかのようにカットした玲王くんは、多分、全部を計算していた。
「――行くぞ白宝!」
玲王くんの良く通る声は、文字通り、皆の息を吹き返させる。
広く開いた中央のスペースを短いパスで繋ぐことで、さっきまで下げられていた前線はどんどん押し上げられていく。「わ、玲王すご」隣の皆瀬さんがそう呟いたのに、フェンスを握りしめることしかできない。意識していないと、息をするのを忘れてしまう。私が決して行くことを許されなかったこのフェンスの向こう側。でも、そんなの当たり前だ。私には玲王くんみたいな覚悟がなかった。
駄々田のキャプテンらしき選手が怒声をあげる。「なにやってんだ! 挟んで潰せ!」でも玲王くんは、両サイドからのプレスを物ともしなかった。ボールを相手選手の股の間にくぐらせて、ドリブルで抜けたのだ。だけど、それでもまだゴールまでは遠い。玲王くんには再び、三人の選手が食らいつく――。
あんまりにも美しいものとか、尊いものを見ると、泣きたくなることってないだろうか。
私にとって、今がそれだった。
玲王くんは三人に囲まれたまま、鋭いパスを出した。ゴール前に飛び出していた凪くんに向かって、それは綺麗な弧を描く。彼にはコートの上のものが、全部見えているみたいだった。どうしてそんなことが可能なのか、私には理解できなかった。でも、間違いない、これは全部、玲王くんの努力が集約した結果だ。彼が積み重ねた一年近くが、今ここにある。私は今、それを見ているのだ、この目で。
ボールを受けようとした凪くんは、相手選手のタックルを受けてその体勢を崩す。その激しさに、皆瀬さんが息を飲んだ。ゴールに対して背中を向いてしまった凪くんは、けれど地面を蹴って、宙に浮かせた踵で背中側に落ちかけていたボールをトラップする。まるで、どう動けばそうなるかをミリ単位で分かっているみたいに。
「俺のパスだけを待ってろ」「俺だけを信じてサッカーをしろ」。玲王くんが凪くんにそう話したのをこの時の私が知る由はなかったけれど、でも、この時の私にはそれが、奇跡的なバランスでもって計算し尽くされたもののように思えたのだ。
空中で身体を捻った凪くんは、自身が一度トラップしたことで宙に浮いたボールをその勢いのままに蹴る。玲王くんが見つけた、彼に「天才」と呼ばれる男の子。いつも私の隣で寝ているだけだった。誰とも話をしようとしなかった。無気力で、でも時々彼の持つ才能が顔を出して、だけどまたそれを平気で埋めてしまう人。ほんとだ。と思った。ほんとだ、玲王くん。
「――すごい」
凪くんってほんとに、天才だ。
綺麗なシュートだった。今まさに目の前で見ていたはずなのに、それが本当に起きたものだったのか信じられないくらいだった。ゴールポストの内側で勢いを失って転がったボールは、だけどそれが夢じゃないことを知らしめていた。心臓の鼓動が煩いくらいだった。頬を張られたような気がした。それぐらい、全部が衝撃的だった。
「…………すごい」
確かめるようにもう一度呟く。目の奥が、痛くて、同じくらいに熱い。玲王くんが、部員の皆が、湧き上がるような勢いでもって凪くんに駆け寄る。凪くんの背中に飛びついた玲王くんは、私の知らない笑顔をしていた。きらきら、ばちばちしていた。光があちこちで爆ぜるみたいだった。玲王くんは遠かった。去年の私が感じていた遠さよりも、もっと遠いところにいた。
フェンスを握りしめていた指は、力を入れすぎたせいで、いつの間にか白くなっている。
指先の感覚がなくなりかけていたのも、今のゴールで泣いてしまっていたことも、一緒に試合を観ていた女性がどこかに電話をしながらその場から離れていったことも、皆瀬さんに声をかけられるまで、私は全然気がつかなかった。