06
玲王くんがサッカー部に入部したっていう話は女の子たちの間でも少しずつ広まりはじめてはいたけれど、マネージャーが決まったっていう話は、ついぞ耳にしなかった。
玲王くんを狙う女子同士で牽制し合っているのだ。いや、玲王くんの要求レベルが高すぎて並大抵の生徒では務まらないのだ。それ以前に、放課後も休日も、下手したら昼休みですら、全てをサッカー部に捧げる覚悟でないとマネージャーとして受け入れてもらえないのだ。そしてそこまで懸けたとしても、想定しうるリターンがあまりにも少なすぎる。――こんなにもマネージャーが決まらない現状に関して、様々な憶測が私たちの間をすり抜けるように囁かれていたけれど、どれもがある程度は本当だったんじゃないかな、って思っている。玲王くんと同じクラスの女の子が何人かお試しで手伝ったけれど、仕事がめまぐるしくて玲王くんに近づくどころじゃなかったって話しているのを聞いたし。玲王くんと仲良くなれないんじゃマネージャーなんかやったって意味ないよねって言う声は、方々から聞こえてきていたから。
ほっとしたのか、複雑だったのか。自問自答するけれど、やっぱりそれにも「両方」って答えなくちゃいけないと思う。誰か、そんな条件でもマネージャーをやりたいなんていう奇特な人が一人でもいたら私はきっと気が気じゃなかったし、かといって煩雑な仕事が玲王くんたち部員にのしかかるのも大変だろうなって思っていたから。
でも、それでもやっぱり「女子マネの不在」が与える安堵感の方が、私には重要だったのかもしれない。自分の感情ばっかりなそれは決してきれいなものではないから、あまり口にはできないけれど。
そして、それじゃあ女の子の口の端に上っていたあれらの条件を並べたとき、果たして私にサッカー部のマネージャーが務まったのかと考えると、それもどうしたって「無理かもなぁ」という結論に達してしまうのだ。
放課後もお休みの日も、昼休みも、全てをサッカーに捧げる覚悟。玲王くんを応援して、玲王くんのために走り回って、全国に行く玲王くんや凪くんたちの斜め後ろで、同じ夢を見せてもらう――そういうキラキラした側面ばかりを見ていた私は、日陰になった部分を見ようとしていなかった。だってそうしたら私、今やっていることを諦めて、放り出さなくちゃいけない。
玲王くんが私を拒絶したのは、尤もだった。将来のために努力している私を、私自身が蔑ろにしようとするのは、やっぱり良くないことだったのだ。
「とは言えやっぱり気になるから、サッカー部の練習試合、見に行っても良いですか……!」
スマホの向こうで、は決死の覚悟といった口ぶりで俺にそう尋ねる。
青森駄々田との練習試合を今週末に控えた、ある夜のことだった。から「忙しいとは思うのですが十分ほどお話させてほしいです」と腰低く頼まれて、眺めていた駄々田の練習試合映像を一度停止したのが、つい数分前のことだ(もっと話せるけど、とは言ったけれど、は遠慮しているのか、「大丈夫! 忙しいと思うし、すぐ終わるので!」と譲らなかった)。
練習試合に向けての特訓、凪のケア(極度の面倒くさがりだが、そのパターンはある程度決まっているから慣れてしまうとさほど苦でもない)、諸々の雑務に分析、やることは数え切れないくらいにあって、のことは勿論気に掛かってはいたけれど、それでもどうしても後回しになっていたのは認めなくてはいけなかったから、からこうして連絡をくれたことは嬉しかった。「最近ごめんな、構えなくて」開口一番そう伝えた俺に、は「え! いいよいいよ、気にしてないよ、全然」と言ってくれたから、ほっとした。
俺の返答を待たずに、はたたみかけるように続ける。ひょっとしたら、俺の負担を思って、それだけ早く電話を切ろうとしてくれているのかもしれなかった。
「日曜日、うちのサッカーコートで練習試合をやるんだよね? 私、その日図書室で皆瀬さんと勉強会を装う約束してるから」
「装う約束なのかよ」
「や、ちゃんと勉強会もするよ!? で、その後偶然を装ってその時間サッカーコートの傍を通りかかろうと思ってるの。そうしたら偶々見かけた風で応援できるとおもうんだけど……大丈夫かな!?」
「はは、いいよ、全然それで」
「やったー!」
じゃあ、皆瀬さんにもそう伝えておくね!
そう明るく口にするに、口元が綻びそうになる。マネージャーの件でちょっと嫌な思いをさせたかな、と思っていたから、同時にほっとした。
「試合、楽しみ。玲王くんと凪くんと、部員の皆さんのこと、いっぱい応援するね」
「ん、サンキュ」
この数日で、コンビネーションを含めた練習は佳境に入ろうとしていた。凪は勿論、他の部員連中はこの数週間で間違いなくパワーアップしているし、ばぁやに頼んで入手した駄々田の試合映像を分析して、作戦も何パターンか考えているところだ。全国常連の強豪校様はこっちを無名のボンボン私立校としか見ちゃいない分、舐めてかかってくるだろう。そこを俺と凪とで、風穴を開けてやるのだ。鼻っ面を明かしてやる。そう考えると、今からわくわくする。
俺が「あのさ」と口にしたのは用事の済んだが通話を切ろうとする気配を何となく察したせいもあるけれど、でもやっぱり一番は、一度ちゃんと謝りたかったからだ。
「マネージャーのこと、ごめんな」
やりたかったって言ってたよ、と口にした凪を思い出す。はスマホの向こうで「え?」と、いつもの丸い声で聞き返す。
「折角やりたいって言ってくれたのに、突っぱねて悪かったなって思ってたんだ」
「え、いいよ、そんな、全然。ほとんど思いつきだったし、玲王くんの言った通り、私、勉強しなきゃだったし……!」
あれから二週間余り。恐らくはその間に噛み砕いて、昇華させて、納得していたのだろう。この前と違って、表層に未練を滲ませない、あっさりした声だった。「時間が二倍あったらよかったのにね」とは、続けていたけれど。
「そうしたら私、二倍になった時間でマネージャーやったのに。勉強もしてマネージャーも応援もして、全部手に入れられたらよかった。でも、そんなのできないから、勉強しながら応援するのが正しいんだって、折り合いつけたんだ」
それにね。がそこで言葉を切る。不自然な間が空いて、それで「ん?」って、続きを促しながら聞き返した。まさかが「…………他にマネージャーさんが決まってたら、嫉妬で泣いてたかもだけど、その、いない、って聞いたので、だったら、なんというか…………苦しいとかは、ないかなって…………」なんて歯切れ悪く言うと思わなかったのだ。
頭を殴られたような衝撃があった。目を見開いて、停止されたまま薄暗くなったタブレットの画面を凝視してしまう。イヤホンから聞こえるの咳払いは、微かに震えていた。喉の奥から込み上げてきた笑いは、喜びと安堵と、愛おしさからくるものだった。
お前がマネージャーなんかして、誰かと必要以上に距離を狭めるのが嫌だった。誰であろうと、を恋愛対象に置いてほしくなかった。それが凪だろうと、絶対に。でも、視野狭かったな、俺。俺がそう思うのと同じように、だってそうだった。
――二人揃って嫉妬していたなんて、馬鹿みたいだ。
「あ、あの、玲王くん忙しいだろうから、そろそろ切るね。……ええと、今日はありがとう。おやすみなさい」
逃げるようにそう言うを制止する。「待って」と言えば、はちゃんと、聞いてくれる。俺の言葉を待ってくれる。そういう素直なところが好きだった。
「電話、俺が十分じゃヤだ」
「え」
「…………もーちょい一緒にいて」
続けた言葉に、が分かりやすく息を飲む。顔、全然見えないけど、多分表情に全部出ているんだろうな。二年になってから電話ばっかで、最近は全然顔を見て話せていないけれど。
会いたいな、って思う。一緒に歩いた帰り道が、蝉時雨の遊歩道が、清澄な空が、喉に張り付く冬の空気が、どうしてか全部遠いもののように思えてしまって、懐かしくてたまらない。でも、もそうだったのかもしれない。「……あの、今度、部活終わるまで待ってるから、その、一緒に帰ったりとか、したい、な。練習試合の後でいいから」途切れ途切れのお願いがあんまりにも可愛かったから、堪えられなくて、つい笑った。