05



 の希望を突っぱねはしたが、別にマネージャーが全く必要ないってわけじゃない。備品の整理だの点検だの、そういう細々した作業は大雑把な男よりも女子の方が向いているだろうし、マネージャーがそういった諸々を負ってくれるのであれば、何かと助かるのは間違いなかったから。
 現に、知り合いの何人かには話の流れで「募集中」とは言ったのだ。練習の邪魔にならなくて、公私混同せずに仕事はきちっとしてくれるんだったら、別に俺目当ての入部であっても構わなかった。身近に女子が居た方が、遠い先の「アイドル」や「肉」よりもわかりやすく部員のやる気は底上げできただろうし。
 ただ、見学までは来てくれても、本気で手伝おうって意思のあるヤツがいなかったのだ。――「練習がガチすぎて引いたんでしょ」って凪は言うけど。俺達は確かにガチだけど、マネージャーは俺達ほどきつくはないと思うけどな。ただ、放課後も休日もほとんどが部活で潰れることになるから、それが敬遠された理由なんだろうとは推測している。うちの学校って、結構忙しいヤツ多いから。
 まあ、希望者がいないんじゃ仕方ない。スコア管理も備品に関するあれこれも、全部俺達でやりゃあ良いだけの話だ。
 にやらせるよりは、そっちの方がずっと良かった。








 凪が「うへー……」と面倒臭そうに息を吐いたのは、俺の作った当番表を、凪が視界に入れたからだ。後日部員に配ろうと、仕事を各々に振り分けておいたもの。俺の荷物から落ちた当番表に並んだ文字を、練習を終えて部室の床に倒れていた凪は、目だけで追う。



「ボール磨きにドリンク作り……めんどくさ。……やっぱマネージャー、居た方がいいんじゃないの」



 凪の場合、女子がどうこうと言うよりかは単に自分が楽をしたいためであることは間違いない。



「凪の分は俺が代わりにやっといてやるよ。お前はサッカーだけしてればいいんだから」



 お世辞にも綺麗とは言い難い床に突っ伏した姿勢のまま動けずにいる凪の頭を、そう口にしながら無意識に撫でる。凪は全くの無抵抗だ。「おわ」とは漏らしたけどな。とも俺のとも違う、ふわふわした髪の感触が妙に面白くて、昔ルークにしたみたいに、わしゃわしゃ掻き混ぜた。凪ってちょっと、大型犬ぽいよな。無害で大人しくて、静かなやつ。
 他のヤツにだったら、勿論こんなことはしない。浮かれているのだ。ちゃんと自覚はある。俺は浮き足立っていた。サッカーが、今まで以上に楽しくて仕方が無かった。
 凪誠士郎が俺の想像以上の天才だったから、って言えば伝わりやすいと思う。そのボールコントロールの精密さには度肝を抜かれたし、面倒くさがりですぐ「疲れたーおんぶしてー」とは言うものの、体力だってちゃんとある。柔軟性もズバ抜けていて、どんなパスでもシュートに繋げる決定力もあった。足りないのは経験だけなんだから、相棒ながらに末恐ろしい。凪の存在は、間違いなく俺の未来を変えた。
 夢を叶えるために俺に足りなかったピースを、凪が埋めてくれたのだ。これでどうして、わくわくしないって言うだろう。
 乱れた髪もそのままに、だけど凪は言う。「マネージャー希望、いたじゃん、一人」何の他意も裏表もない、淡々とした声音だった。それだけで俺は、思考を切り替えられた。



「――頼めば良かったのに」



 端の折れた当番表に目線だけを向けながら、凪は口の端から零すようにそう言う。ほとんど抑揚のない、感情の乗っていない、いつもの凪の声だった。独り言ではなく、俺に向けて放った言葉だった。
 その日、他のサッカー部員はうちの施設での練習があったから、部室には俺と凪の二人だけだった。窓からは橙の西日が差し込んで、薄暗くなりはじめていた部室の一部に四角の光だまりを作っていた。夕陽に煌めく微細な塵の中で、凪はその目を眠たげに伏せる。



「やりたかったって言ってたよ、あの人」

「あー…………」



 凪の言う「あの人」が誰を指すのか察するのは、難しいことじゃあなかった。
 ――のことだ。
 、マネージャーのこと凪に話したのか。「やりたかったけど断られた」って。凪の頭を見下ろしながら考える。
 普通に考えたら別に、何も不思議な話じゃない。と凪は同じクラスだし、そうじゃなくても二人は隣の席だ。共通の話題があるなら、話すこともあるだろう。ただ、俺以外の男には人見知りをしがちなが凪と話している姿は、ちょっと想像しにくかった。それだけだ。
 とマネージャーの件で話をしたのは、凪が入部してくれた日のことだったから、もう一週間近く前の話だ。その時は思いつきだったようだけど、本気ではあったらしい。普段聞き分けの良いにしては珍しく、妙にしつこかった。粘るは真剣で、俺が「駄目だ」っつってんのに、「なんで? なんで?」って何度か食い下がっていた。あの必死さを思い出すと、ちょっと笑いそうになる。
 嬉しかったよ。口にはしなかっただけで。
 誤魔化すように咳払いする。凪の目が開いて、俺にその双眸が向けられる。



は駄目。やらせらんねえよ。勉強しなきゃだしな、あいつ」

「えー、本人やりたいって言ってんのに?」

「それでも駄目だ」



 にやらせるくらいだったら、マネージャーなんかいなくていい。
 あいつは将来のために今は勉強に集中しなくてはならない時期だし、余計なことに時間を割くべきじゃない。マネージャーの業務に向いていない、とは思わないが(実際あいつは細かい作業が得意だし、去年学級委員のときにそうしていたみたいに、専用のノートを作って諸々管理してくれるだろう。心配りもできるから、むしろ、重宝されるのは想像がついた)、けれど「サッカー部」にのような人間が必要でも、「サッカー部」がに必要だとは思わないのだ。



「いーじゃん。やってもらえばよかったのに」



 脳の表層あたりで重ねていただけの思考は、凪の声で停止する。



「俺、ジャージ洗ってほしかったなー。洗濯面倒だし」

「……いや、洗濯は各々家でやれよ。ビブスなら兎も角個人のジャージってなると流石にマネの仕事じゃねえわ」

「え、そうなんだ。めんど……。洗濯なんか滅多にしないよ俺」

「あーまあ、凪は寮生活だしなあ……。わかった、凪のは俺のとまとめるから、それ脱いだら寄越せよ」

「マジ。やったー」



 やったー、とか言う割に、凪は動こうとはしなかった。連日の練習で疲弊しきっているのだ。「うわ、脱ぐのめんどくさ……」とぼやいたのに、「そこまでかよ」って笑ってしまう。変わっているけど、面白いヤツだ。俺は凪のことが好きだ。サッカーが関わらなければ、多分ほとんど話もしなかっただろうということは間違いないけれど。
 凪が横になったままの体勢で脱ぎだしたのを視界の端に置きながら、俺達二人しかいない部室をぐるりと見回す。並んだロッカーベンチとスコアボード、備品は種類毎にまとめてあるが、整理されたとは言い難いし個数の把握もできていないだろう。窓がほとんどない分どうしても空気が籠もりがちなのがマイナス面ではある、俺達サッカー部の部室。
 普段他の部員も使っているそこは、一朝一夕じゃ拭いきれない男臭さがあった。今は見あたらないが、たまに女子には見せらんねえもんが落ちていることもある。誰かが見栄で買ったコンドームとかな。中途半端に減った制汗剤の缶、片方だけの靴下、空いたペットボトル――休憩中の会話だって下世話なもんだ。
 だから「駄目」なのだ。
 アイドルや女優に釣られる男子高校生は、身近に女子がいりゃあそりゃやる気になる。良いところを見せようとするだろうし、試合でも奇跡的な力を発揮するかもしれない。でもその対象がになるのは許せない。目の前で他の男と話しているだけでも気になるのに、あいつが誰かに好意でも向けられてみろ。こっちがサッカーどころじゃなくなるだろ?
 表向きに「俺の彼女だから」と宣言できないをここに置くほど、度量が広くできちゃいないのだ、俺は。
 ――かっこ悪すぎて、こんなこと誰にも言えないけどさ。



「うわ、これムズ」



 横着して寝そべりながら着替える凪のズボンがからまっていたのに、思わず笑う。凪にの話を早々にしたのだって、牽制だったんだ。そう言ったらお前は多分「何それ、必要なさすぎ」って、感情の読み取りにくい目を伏せて言うんだろうな。分かっていたから、言わなかった。