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「サッカー部のマネージャーなんかしてたら、の勉強する時間がなくなっちまうだろ?」



 玲王くんは最終的にはそう言って、私の希望をばっさり退けた。
 それは、どこかに切り口を見つけることのできないほどの正論だ。「勉強」って言葉を出されてしまうと私がぐうの音も出せなくなること、玲王くんはきちんと理解している。伝家の宝刀みたいに、ちゃんと大事にとってある。
 玲王くんの言う通り、春から予備校に通い始めた私がマネージャーを務めるのは、あまりにも非現実的な話だった。予備校には毎日通っているわけではないけれど、授業の都度マネージャー業が停止するとあっては部員にも迷惑がかかるだろう。例え他にもマネージャーがいたとしても。それに、近くにはいたかったけれど、近すぎるのも駄目だ。私たちの関係は内緒にしてほしいって言っているのに、マネージャーなんかやっていたら、どうしたってそれと矛盾することになる。親密さが外に滲んでは、意味がない。
 そういうのを考慮に入れれば、「は駄目」って言う玲王くんの気持ちも分かるのだ。冷静に考えたら、そりゃあ、「駄目」だ。中途半端になるくらいだったら、初めから手を出さない方が良いし、私たちの表向きの関係性は、「幼馴染み」としてどこまでも平行であるべきだ。
 タマを膝に抱っこしたまま、私はだけどまだ縋りたい気持ちが残っていて、未練がましく「うう……」と唸った。嘘でもいいから、「仕方ねえなあ」って言ってほしかった。だけど玲王くんは「だーめ」って、最後までそう言い続けるのだ。腕の中のタマは私の左腕に顎を預けて、ぐう、って、小さく鳴いていた。私も一緒に、ぐう、って泣きたかった。








「ねえ、あんたやらないの? マネージャー」



 次の日、凪くんがやって来たらこちらから声をかけようと思っていた私は、想定外にも彼から先手を打たれてしまった。
 その時私はたまたま昇降口で一緒になったリサちゃんとおしゃべりしていて、盛り上がった会話になかなか離れがたく、二人で教室の前にいたのだ。凪くんに話しかけられる直前、リサちゃんがぎょっとした顔をして私の頭の上を見ていたから何事かと思ったけれど、成る程、凪くんが近づいてきたのに驚いていたらしい。「うわ、歩くパワースポットの人だ、でかっ」って口にしたリサちゃんは(不運に見舞われるって噂じゃなくて、逆の方を信じているのが、底抜けに明るいリサちゃんらしい)、彼が私に用事があるらしいと察して、私と凪くんの顔を不思議そうに見比べて、それから「じゃあ、私いくね。また今度」って二つ先にある自分の教室へと向かって行った。
 改めて振り返れば、凪くんはいつにも増して疲れ切っている様子だ。少し湿っているのか、その猫っ毛がいつもより寝ていて、薄ら制汗剤と汗の混ざった匂いがして、目が疲労に滲んでいる。ちゃんとしまりきっていないリュックのチャックから、見慣れたロゴのタオルが飛び出ているのを見て、思わず「もしかして、朝練?」って尋ねてしまった。凪くんの質問に答えるより早く。
 凪くんはだけど、それに気分を害した様子はなかった。



「そー。無理。朝練あるなんて聞いてない。眠たいー……」

「練習試合あるって言ってたもんね。忙しいだろうねえ……」

「きつい。めんどくさい。もーやだ、やめたーい」

「い、一日でそんな……」



 ぼやきながら足取り重く教室に入っていく凪くんの背を追う。「あ、おはよーさん」「自転車おつかれ~」って、方々からかけてもらう挨拶一つ一つに返事をしながら、凪くんの丸まった背中を見る。交友関係を広げる気のない凪くんは誰からも声をかけられないけれど、彼がそれを気にしている様子は一切なかった。それが清々しかった。
 妙に猫背だけど、今さっきリサちゃんが「でかっ」って思わず漏らしちゃった通り、凪くんは長身だ。ちゃんと立ったら玲王くんよりも大きいんじゃないだろうか。制服の上から筋肉量が分かるとか、そんな慧眼は私は持っていないけれど、でも玲王くんが認めたくらいだ。凪くんがサッカーをするのに適した身体であることは間違いない。そうしてみると、昨日までは上手く結びつけることのできなかった「凪くん」と「サッカー」が、急に近しいものに感じられるから不思議だった。これだけ背が高かったら、すごいシュートとか、決めちゃうんだろうな。「すごいシュート」を具体的に表現しろって言われたら、何も思いつかないけど。
 凪くんは自分の席にリュックサックを放ると、荷物の整理もそこそこにそれを枕にして突っ伏してしまう。いつもしているゲームをする余裕もない、ってことなんだろうか。「大変そうだねえ……」って、返事は期待せずに声をかけてから私も席につく。賑やかな教室の隅っこにいる私たちに、誰かが目をやることはない。



「そー思うなら手伝ってよ。玲王の彼女さんなんでしょ、あんた」

「ん、いや、だから彼女さんはやめてって……」

「そんで、着替えさして。ドリンク飲まして。教室から部室までおぶって行き来してー」

「それは全部マネージャーの業務を超えてない?」

「超えてるかー」

「超えてるよぉ……」



 私が凪くんをおんぶするのはどう考えたって物理的に無理だしね。
 どこから冗談で、どこまで本気なのか、凪くんの言葉は分かりにくい。本人が真顔だから、私も笑わずに返してはいるけれど。
 教室にひっかけられた時計を見る。予鈴が鳴るまであと数分あるのを確かめて、それから、「マネージャーはねえ、断られたから、できないんだ」って、言った。私なんかの話より本当は、凪くんが入ることになったサッカー部の話が聞きたかったけれど、教室の入り口と今とで二度に渡ってそのことについて触れられてしまったら、ちゃんと伝えておいたほうが良い気がしたのだ。
 凪くんは私の言葉に、顎の角度を僅かに変えてこっちを見る。



「え、なんで? ずるくない?」

「や、わ、私はやりたいなあって思ったんだよ? ルールもわかんないけど……わかんないなりに、何かお手伝いできたらって……」

「ルールとか、そんなの俺だってわかんないけど」

「凪くんは特別なんだよ……」

「ふーん」



 特別とか、そーじゃないとか、よくわかんないや。そんな贅沢なことをぼやきながら、凪くんは私の顔をじっと見つめる。重たい瞼をした眠たげな目は、玲王くんのそれとは、全然形が違う。



「でも、兎に角私は駄目なんだって。勉強に集中しろって。まあ、実際本当にその通りなんだけど……」

「えー、しなくていいでしょ勉強なんか……」

「いや、私そんな頭よくないから、落ちこぼれの部類だからさ……」

「へー意外。頭良さそうなのに」

「あ、ありがとう……?」



 凪くん、この前の数学で私を助けてくれたこと、忘れちゃったんだろうか。「頭が良い」って言うのは、凪くんみたいな人のことを言うんだと思う。テストの最中に眠って赤点をとってしまってもケロっとしていて、だけどその気になったら、片手間でどんな難問だって解いちゃえる、凪くんみたいな人。口にしたって同意してもらえないだろうから、飲み込んでしまうけれど。
 凪くんはそれで納得したのか、飽きたのか、ようやくスマホをポケットから取り出して、いつものアプリを起動していた。じゃじゃーん、って、騒がしい教室の空気に溶け込むように、音楽が鳴る。あと数分で先生きちゃうよ、って思ったけれど、凪くんはそういうの、全部気にしていないみたいで、それが妙に格好良く見えた。