03



 凪誠士郎。
 万年寝太郎って呼ばれている程度には何事も睡眠優先。普段つるむような友達はゼロで、起きているときはゲームに集中。学校の行事やクラスの集まりにはほとんど参加せず、移動教室も寝過ごすことが多い。選択は世界史。授業そっちのけで早食いもするし、それで教師から叱られてもどこ吹く風だった。良く言えば常識に縛られない自由奔放な人間(悪く言えば普通に変なヤツ)。他人と会話をすることはほとんどないせいか、話すと呪われる悪魔の子だの、むしろ幸運が訪れる歩くパワースポットだの好き勝手言われている――。
 要するに、凪誠士郎は俺の理解を大きく超えた、今まで俺の周りにいなかったタイプの人間だった。ギラギラしてなくて、ありとあらゆるものに対しての興味関心が薄い。夢は若いうちに稼ぎきって早期リタイア。さっさと隠居してスローライフを送りたい、なんていうくらい向上心も野心もない男。
 でも、その身体能力は周囲の人間の平均を大きく上回っているのだ。あれでサッカー未経験でルールもよくは知らないなんて、一体誰が信じるんだ? 身体のバネも、その長身も、しなやかな手足も嗅覚も反射神経も、何もかもがサッカーをするために生まれてきたようなもんだった。あんなうっすいスマホをトラップできるんだ。俺と一緒じゃなくたって(俺と一緒じゃなきゃ困るが)サッカーをするべき人間だった。こんなところで埋もれて良い存在じゃない。俺の夢のために、俺はあいつを無理にでも引き摺り込まなくてはならなかったし、あいつは俺と共に世界一にならなければいけなかった。
 他のサッカー部員と違ってアイドルにも肉にもつられなさそうだってのは分かっていたけれど、無理矢理サッカー部に連れて行って説得を続けて、「断る方が面倒臭い」と思わせてしまえば問題ないと思った。凪の「さっさと稼いで早期リタイア」の夢を叶えるにも、その辺の企業に入るよりサッカー選手になった方が手っ取り早かったし、何よりやっぱり、俺には凪が、天性の才能を持った怪物にしか見えなかったから。
 俺が見つけた俺の宝物は、俺と一緒にサッカー選手になるべきだった。俺は、そう信じていたのだ。








「練習試合?」



 スマホの向こうの玲王くんの言葉を鸚鵡返しする私に、玲王くんは「そ」って短く口にした。
 私が勉強をしている、いつもの時間だった。「二日連続で邪魔してごめんな」って玲王くんは謝ってくれたけど、邪魔だなんて思うわけがなかったから、「ううん」って笑ってシャーペンを置いた。私も、話がしたかったのだ。今朝、凪くんが私に彼女さんだの彼氏さんだの言ってくれて、困ったけれど実は少しだけ嬉しかったこととか。昼休みの後教室に戻ってきた凪くんが私に「屋上にいたのに見つかっちゃったんだけど……あの人、ほんとしつこいね」ってぼやいたこと。あと、玲王くんが放課後に凪くんを迎えに来たとき、一瞬だけ玲王くんと目があってドキドキしたこと。玲王くんが引き摺っていった凪くんと、あの後一体どんな話をしたのかも知りたかった。
 でも玲王くんは、「練習試合、決まったんだよ」って、色んな段階を全部飛ばしたみたいにして言ったのだ。すぐには飲め込めなくて戸惑ってしまったけれど、それも仕方ない。



「練習試合ってサッカー部が? ……随分急だねえ」

「まあ、ちょい先の話だけどな。……父さんの差し金だよ。俺が言いなりにならないからって強硬手段に出やがった。負けたら諦めろ、ってことなんだろうな。俺の夢へのプレゼントだ、なんて煽ってくるくらいなんだから」

「プ、プレゼント……!?」



 確かにそれは、玲王くんが煽りって受け取ってしまうのも無理はないだろう。おじさまと玲王くんの間にある溝が可視化されたことに、勝手にハラハラする。私はどうしたって玲王くんの側に立ってしまうけれど、それでも昔から良くしてくれているおじさまを憎むことまではできなかった。複雑な感情のはけ口を上手く作れなくて「うう……」って唸る私に、玲王くんは私の葛藤ごと全部見透かしたみたいに「いーよ、無理すんなって」って笑う。それだけで許されたような気になるなんて狡いって、わかってるけれど。



「あの……その練習試合って、都内の学校相手? 地方大会でも最後の方まで残ってるような……」

「や、青森だよ。青森の強いとこ」

「青森!」

「駄々田って知らね? 全国常連の超強豪校なんだけど」



 そう続けられて、返答に困ってしまう。薄ら名前は聞いたことがあるような気がするけれど、自信がなかったのだ。だだだ、って口の中で反芻しながら、通話状態のスマホをいじって検索する。「だだだ 青森 サッカー部」それだけでずらっと目を瞠るような実績が並んでいたから、びっくりした。私が想像した「地方大会の最後の方まで残っているような都内の高校」の数段上のチームだってことは、それだけで明らかだった。



「えー! 駄々田高校って、すごく強いところじゃん……!」

、今調べただろ」

「ご、ごめんなさい、調べた……」

「ふ、だよな」



 検索したのがバレて笑われてしまったのは恥ずかしかったけれど、でも、何となく玲王くんの声がさっきよりもずっと柔らかくなった気がして、ほっとする。
 玲王くんは、ちょっとイライラしていた。昨日「逸材を見つけた」って凪くんのことを話していたのとは真逆の、棘のある声をしていた。でも、おじさまがそんな風に関わっているんだったら仕方ないだろう。おじさまはサッカー選手っていう夢に進もうとする玲王くんを快くは思っていない。サッカー選手としてではなく、自分の後継者として生きてほしいと考えているから、だからこうして玲王くんの夢を潰そうとしている。――玲王くんが怒るのも当然だったし、私もそういうところは、本音を言うと、ちょっとどうなのかなって思ってしまう。おじさまを悪くは、表だっては言えないけれど。
 「でも」と、玲王くんは不意に続けた。さっきまでとは打って変わった芯のある声に、意識が奪われる。姿が見えなくても、玲王くんにはいつも強い力が備わっていた。生命力っていうか、私を引きつける力。自信に満ち溢れていて、ちょっと強引で、でも根底には相手への敬意がある。だから皆玲王くんに惹かれるし、ついていきたくなる。サッカー部の皆だって、ヨクボーとか特大のにんじんとかじゃなくて、きっと、玲王くんだったからついていこうって決めた。小さい頃からずっと近くで見ていたから、わかる。
 だからきっと、凪くんもそれに引っ張られたんじゃないかなって、思うのだ。



「――凪がサッカー部、入ってくれたんだよ」



 玲王くんの言葉は、皮膚の外側から時間をかけて内側に染みこむみたいに、私の中に広がっていった。それはなんだか、不思議な感覚だった。指先から頭のてっぺん、足の方にまで熱が伝わっていくみたいだった。玲王くんの夢が、今まで以上に近づいた気がした。凪くんの存在はもうそれくらい、玲王くんの夢に必要なものだって、私自身も認識していたのだ、きっと。



「凪くんが……!」

「入部届け出すの、すげえ渋々だったけどな」



 玲王くんは、呆けた声を出す私にそう続ける。



「だから、勝つよ。駄々田に勝って、父さんの目論見を打ち砕く。――俺と凪がいて負けるわけがないって、証明する」



 青森駄々田高校っていう強敵を前に、玲王くんがあの凪くんをどう口説き落としたのか、私はちゃんとは知らない。
 だけど、欲しいものは必ず手に入れる玲王くんが、やっと見つけた「才能の人」を逃すわけがなかった。何事にも無気力な凪くんが玲王くんとサッカーをする姿は、やっぱり私には想像がつかなかったけれど。でも、目の前の視界が一気に開けたみたいだった。カーテンも窓も閉めきっている部屋で、そんなはずないのに、強い風が正面から吹き付けたみたいな感覚があった。心臓はばくばくしていたし、目の奥が強く点滅していた。すごい、って思った。何もかもをその手に掴む玲王くんが。きっとこれからも玲王くんは、目の前の障害を全部蹴散らして生きていくんだろう。お父さんも乗り越えて、本当にいつかW杯で優勝しちゃうんだろう。凪くんと一緒に。
 それがどれだけの希望を私に与えているかなんて、玲王くんは知らないんだろうな。



「うん、うん、すごいね……! 私、応援する、一番応援する」



 できたら一番近くで、玲王くんを見ていたい。
 思いつきだったのは、確かだ。だって私、今までそんなこと考えもしていなかったから。希望者は殺到するんだろうなって思っていたけれど、自分をそこに関連付けたことは、一度もなかったから。だけど、それは口をついて出ていた。私の脳による精査をすり抜けて、濾過されないままに外に飛び出していた。



「私、玲王くんのこと近くで応援したい。サッカー部のマネージャー、やりたい……!」



 渾身の思いを、玲王くんに「駄目」って笑いながら即答されるなんて、ちっとも思っていなかったけれど。
 部屋の外で、タマがガリガリ、爪で扉を引っ掻いていた。想定外の返答に思わず漏れた「ええ~……!?」って声の隙間を縫って、それは私の耳に、しっかり届いていた。でも、駄目って、なんで!? なんでそんな、瞬殺で!?  私がどんなに喚いても、玲王くんはでも、私の希望を決して通してはくれなかった。タマのガリガリに根負けして立ち上がったとき、玲王くんは物凄く優しい声で、「お前はだめだっつの」って、念を押すみたいに言うから、どんな顔をしたらいいのか、全然わからなかった。