01
俺レベルの人間がせめて三人でもいてくれれば――。
それがどれだけ高望みなものなのかってことくらい、俺だって分かっていた。
かつてお世話になったトレーナーの筋田さんには、特訓前の段階から「全ての能力値がユースの選手と遜色ない」と舌を巻かれた(その時は自分の能力が平凡なサッカー選手と変わらないってことに、俺自身がっかりはしたけれど)。基本技術を教えてくれたコーチの木曽さんにだって、器用さを褒められた記憶しかない。そこから戦術や理論、語学を学び、最新鋭の技術のもとトレーニングを重ねてきた俺は、今や「平凡」とは言い難いだろう。――自分で言うのもなんだけどな。
でも、だからこそ「俺レベルの選手」を探すことが難しいってことは分かっていたのだ。
こんなのがどこにでも転がっているわけじゃないって知っていた。それでも天才が欲しかった。どの盤上をもひっくり返す才能を持った人間が欲しかった。神に愛された、眠れる俊才。俺と同じ夢を見てくれる最高のパートナー。
そんなヤツがいてくれたら、俺の夢は現実に大きく近づくのに。
簡単には見つからないと分かっていたからこそ、サッカー経験者であるはずのサッカー部員ですら俺のお眼鏡に適うやつがいない時点で、まずい気はしていた。他の運動部からセンスがありそうなやつをいくら引き抜いてみても、全国優勝への道なんか霞んで曖昧だ。いくら良い方にシミュレーションをしてみたところで、良くて全国二回戦敗退くらいか。奇跡的に試合で上振れしたとしても、全国区の猛者たちを相手にするには今のメンツでは頼りないだろう。どう考えても、負ける。あと一歩及ばないとかじゃなくて、全国常連校とうちとじゃ、簡単には覆せない圧倒的な差がある。
例えば今年俺たちが破竹の勢いで地方大会を勝ち抜き、全国へ出場すれば、それを見た才ある中学生らが来年、再来年、その先に集まることはあり得るだろう。知名度は優秀な人材を呼び、そしていつか彼らが白宝の名を頂きに届かせることもあるかもしれない。
でも、それじゃあ駄目なのだ。未来ではなく、それは今でなくてはならない。両親を、父さんを納得させるために、それくらい実現できなくては話にならない。そうでなくては、俺は御影コーポレーションの後継者としての道を歩まされるだろう。獅子の子として生きろと足輪をつけられるのだ。そうでなくとも、今見逃されている全てをありとあらゆる手段をもって封じ込められてしまえば、この夢は間違いなく遠のくのだ。
まずい。詰んでるかもしんねえ。
腹の奥でそんな思いが顔を覗かせていた。父さんのどこか哀れみの混じった目がいつまでも脳裏にちらついていた。いつかの「諦めろ」はべたりと鼓膜に張り付いて剥がれなかった。だけど同じくらい、の「なんとかできるよ」が俺の隣で寄り添って、くっついてくれていたのだ。それがどれだけの勇気を俺に与えてくれていたかなんて、はきっと知らない。
この間のテストで、は(数学は辛うじてではあったけれど)どの教科も平均点をとってきた。俺も部活のことがあったから去年ほどつきっきりで見てはやれたわけではなかったけれど、予備校効果ってのもあったんだろう。終わった直後は「もう当分数字見たくない……」なんて泣き言を言っていたが、それでも落とした問題や授業でやった面倒な問題と格闘しているところを見ると、偉いよな、って思う。懸命なが好きだ。どんなときも全力で走っているが、俺は好きだ。
が夢のために頑張っている姿を見ると、背中を押されるような気がするのだ。俺だってできる、やれるって。まだ諦めるには早い、が応援してくれているんだから。みっともないところ、見せてたまるか。夢を叶えた先で笑うが、俺は見たかったのだ。W杯の金杯を手にした俺の隣にがいてくれたらどれだけいいかと、本気で思っているのだ。
諦めてたまるかよ。改めてそう思う。
この学校にいるかもしれない原石を、絶対見つけてやる。どれだけ探しても見つからなかったら、その時はまた別の道を考える。ばぁやが俺に言ったように、得意の分析をするのだ。もし今の道が駄目だったとしても、なんとかなる。なんとかしてやる。俺にはそれだけの力があるはずだった。だって俺は、獅子の子なのだから。
昼休み、屋上で練習していたけん玉同好会の見学(面白い技を連発してみせてくれたのには感動したが、でもサッカーセンスがありそうなやつは流石にいなかった)を終えて階段を下りていた俺が、踊り場に座り込んでゲームをしていたそいつの背を蹴ってしまったのは、焦りが俺を侵食し始めた五月の中頃だった。
苦戦を強いられ続けている原石探しにやきもきしていたとは言え、視野が狭まっていたのはこちらの落ち度だ。いくらそいつが階段の内側、死角の位置に座っていたとしても、普段だったらその存在に気がつけたはずなのだから。
でも、そういうのも含めて、全部運命だったのかもな。口には出せないけど、そう思うよ。
その背を蹴った瞬間の感触に、腹が冷えた。体幹がしっかりしてくれていたから、そいつ自身が転がり落ちる心配はなかったとは言え、その手にあったスマホが宙に浮いたのを見たから。咄嗟に謝罪の言葉が口から出るも、あのスマホはきっと数秒後には床に叩きつけられるはずだ。画面が割れて、ブラックアウト。あれは恐らく、完全に壊れてしまう――。
蹴りの衝撃で手から離れたスマホを、けれどそいつは床に落下させまいと飛び出した。
「――え」
その時の衝撃を、映像を、俺は忘れないだろう。そいつは十七段分の階段を文字通り飛んだのだ。一瞬だったはずなのに、俺の目にはそれがコマ送りに見えた。そいつの指先の動きが、窓から差し込んでいた光の色が、その画面に映ったゲームの画面が、俺の細胞一つ一つに染みこむみたいに鮮明に見えた。全身が総毛立ったのは、スマホが落ちる寸前、そいつがそれを足の甲でトラップしてみせたからだ。超絶技巧。果たしてスマホは、そいつの手の中に再び収まる。
その跳躍力、身体のバネ、筋肉のしなやかさ、長い手足、反応速度、反射神経。どれをとっても一級品だった。そいつは才能の塊だった。目を奪われた。「ここにいた」と思った。「やっと見つけた」とも。どんな盤上でもひっくり返せる才能を持った人間。サッカーの神に愛された天才。俺の探していた、俺の夢を一緒に追いかけてくれるパートナー。
ゲーム画面の映るスマホに目を落とし、そいつはあろうことか「お、セーフ。まだ生きてる」と独りごちた。そんな姿にもぞっとした。勿論、いい意味でだ。
見た覚えのない顔をしていた。何か部活に入っているわけじゃないだろう。だけどこれだけセンスがあるのだ。俺が知らないだけで、幽霊部員のサッカー部だろうか。それとも経験者? 中学まで有数のチームにいたとか、親兄弟がプロ選手とか? いや、何だっていい。この際こいつがずぶの素人で、サッカーなんかルールも知らなかったとしても構わない。やっと見つけたのだ。離してなるものかと思った。俺の夢のために、こいつは間違いなく必要な人間だった。「すげえなお前」掛け値ない本音が、喉から漏れる。
「――俺とサッカーやんね?」
そう尋ねた俺に、そいつは何の感情も映してはいないようなぼんやりした目を向けていた。
そいつがの話していた、「隣の席の凪くん」だって知るのは、それから数分後のことだ。