04
凪くんって、ほんとによく寝る。
隣の席でどうしても視界に入る分余計にそう思ってしまうのかもしれないけれど、凪くんが起きている姿を見ることは滅多にない。たまに目を開けていると思ったらスマホでゲームをしているとか、授業中だったらパンを食べているかで、授業なんかまともに受けた試しがないのだ。他人事ながら心配になる。テストとか成績とか、大丈夫なのかな、って。他人を心配している余裕なんか、そもそも私にはないのに。
だけどこんな人、中学まで在籍していた椿山には勿論、去年の教室にだっていなかった。いや、厳密に言えばいたのかもしれない。たまに先生の目を盗んで寝ちゃうとか、うとうとしちゃっているって人は。でも毎日朝から夕方までのほとんどの時間を爆睡している人なんて、私は凪くんの他に知らない。
彼の突っ伏した頭の前に立てられた教科書(何のガードにもなっていない)はいつだって一時間目の授業のもので、私はせめて、授業の度にそれだけでもこっそり取り替えてあげられはしないかって考える。凪くんが寝ているっていうのは、そんなことをしたってバレバレだったんだけど、でもせめてそれくらいはなんとかならないかなって。そしたら先生たちの怒りも少しくらいは減るんじゃないか、って。
やきもきする私に、去年も凪くんと同じクラスだったっていう枝森ちゃんが「凪はね~、どーしようもないよ」って首を振る。
教室の廊下側にある席を借りて、皆瀬さんと枝森ちゃんと三人でお昼ご飯を食べているときだった。「どーしようもない」って言われている凪くんは今も、私の席の隣で突っ伏していた。
「凪、去年もずっとああだったもん。教室の移動があっても寝てるし、行事も一切協力しないし、起きたと思ったらゲームしてるし――あと、喋ると呪われるしね」
「呪われる!?」
日常生活においてあまり馴染みのない言葉が出てきて目を丸くする。枝森ちゃんは、だけど大真面目だ。中身の少なくなってやや凹んだ紙パックのジュースを片手に、皆瀬さんと私の顔を順々に見る。
「そう。前同じクラスだった子が言ってたよ。その子の友達が凪くんと話した翌日彼氏にフラれたんだって」
「ほんとに……!?」
「えー、そんなのたまたまじゃない?」
「でもフラれるなんて、本当だったら大変じゃない!?」
「ん? ちゃんて彼氏いたんだっけ?」
「い…………ないけど!」
「ね、いないよね~。さんは、好きな人がいるんだよね」
「あっ、そう、そうなの、好きな人がいます……!」
「あーじゃあまずいねちゃん、もう呪われてるわ……。その人から嫌われちゃうかもよ~」
「えっうそ!」
「枝森ちゃん、適当言わないの。そんなわけないでしょ」
私の失言にフォローをしてくれた皆瀬さんが眉根を寄せて注意するのに、枝森ちゃんは首を傾げて「ごめんごめん、冗談だよ」って笑う。「逆に、幸せが訪れるパワースポットって言ってる人もいたから、そっち信じたら?」って、彼女はそんな風に続けたけれど、皆瀬さんはますます胡乱げな目をしながら「そっちもうさんくさ!」って口にした。でも、呪いよりはポジティブでいいんじゃないかな、パワースポット。神社とかみたいで。……今のところ、一か月近く彼の隣の席にいても、何か幸運が舞い込んだような気は特にしていないけれど。でも逆に言えば、何度か話しているのに不幸な目にも遭ってないし、フラれてないし、玲王くんに嫌われたとかも(……多分)ないと思うから、だったらやっぱり枝森ちゃんの言っていることは噂の域を出ない、眉唾だ。皆瀬さんの言う通り、フラれちゃったって人は「たまたま」だったんだろう。
残りが半分くらいになったお弁当を咀嚼しながら、ちらりと教室の反対側にいる凪くんの姿を見る。周りがどれだけ騒がしくても、先生に名前を呼ばれても、あんな風にすやすや眠り続ける凪くんは、ある意味ものすごく強い人であるように見える。他人からの目を気にせず堂々としていて、そういう意味では、彼は玲王くんに少し似ている。
いずれにせよ、凪くんは「呪い」だとか「パワースポット」だとか、そんな風に噂されてしまうくらい――言葉は悪いけれど――変人扱いされていた、ってことなんだろう。誰と話すこともなく、部活に入っている様子もなく、移動教室のときも稀にしか移動せず。聞いた話だと彼は神奈川の出身で、寮に入っているらしい(あの、うちと学校の中間地点くらいにある二棟の白っぽい建物だ)。親元を離れて暮らすっていうのは、きっとそれだけ大変なんだろうな。授業中も眠くなっちゃうくらい、何かストレスがあるのかもしれない。そう思うとなんだか胸にくるものがあった。
席替えをするまでの間くらい、仕方ないって割り切ろう――そうぼんやり考える。隣なんだからお前が起こせ、って先生に目で責められるのが辛くても、連帯責任とばかりに、凪くんの代わりに私に問題を解くように言われても。
皆瀬さんと枝森ちゃんはもう、別の話題に移っていた。「あ、あとで職員室に行かなくちゃいけないんだった」そんなことを皆瀬さんがぼやいた瞬間、枕にしていた凪くんの手首が、机の上から半分だけ落ちるのを見た。
にはぼかして伝えたが、うちのサッカー部があそこまで意識もレベルも低いとは思わなかった。
レベルアップのためというよりは、ただただルーティンの消化として漫然となされる練習メニュー。和気藹々と言えば聞こえは良いが、部員の表情も気が抜けていて気迫がない。監督もそれを良しとしているようだった。本気でサッカーをやっているやつなんて、あのサッカー部には一人もいないんじゃないか? あれじゃあ全国なんて、夢のまた夢だ。
先日、父さんには改めて釘を刺された。
直接サッカーのことについて触れられたのは、あの夏以来だ。派手な金の動きからも俺がしていたことは察していただろうに、父さんはこれまで俺に何も言ってはこなかったから。勿論、だからと言ってそれで認められたと思うほど俺は馬鹿じゃなかった。わかっていたのだ。いつかまた忠告される日がくると。あの人が俺を認めるはずがなかった。応援なんかしてくれているわけがなかった。
「あきらめろ」と、いつかの言葉をあの日と同じ目で言われた。反論の一つもせずに父さんの持論を聞く俺は、殊勝で聞き分けのいい息子に見えただろうか。父さんの言葉は滑らかだった。この人の言葉には、その人生に裏打ちされた説得力があった。引きつけるだけの力があった。滑らかで耳に残る低い声で、どれだけの人間の人生を操ってきたのか。父さんは言う。人の可能性は生まれながらにして決まっている。お前はライオンの息子。約束された将来がある。サッカー選手なんて会社経営ほどには稼げはしない――。
まあ、そうなんだろうな、実際のところ。
でも、じゃあ俺の欲は、夢はどうしたらいい? 初めて欲しいと思ったんだ。そのためにここまでやってきたんだ。だけどサッカー選手になるどころか、うちの高校のサッカー部をどうにかするっていうスタート地点にすら立ててはいない俺に、父さんを言い負かすことができるほどの力がないのもまた事実だった。じゃあ、受け入れるのか? 答えは否だ。それで素直に従えることができる人間だったら、最初からこんな道を選びはしていない。
――夢のまた夢だ、なんて言ってられねえ。
どうにかするんだ。父さんが何も文句を言えなくなるくらいに。うちのサッカー部を改革する。俺の力で今居る連中の地力を底上げして、部全体のレベルを上げる。――それから誰か、俺程度にポテンシャルのあるヤツを他の部活から引き抜いてでも良いから見つけ出す。恨まれたっていい。なんだってやってやる。
「玲王くんならなんとかできるよ」
この前が俺に向けてくれた真っ直ぐな言葉が、父さんの呪いを、塗り潰すというよりは柔らかすぎる響きでもって脳裏に浮かぶ。
はいつも裏表がなかった。掛け値のない本音だけを俺に向けてくれていた。それに俺がどれだけ救われているかなんて、あいつはきっと知らないんだろうけどさ。
だから、なんでもできる気がしたんだ。どんな不可能でも、父さんの圧力があったとしても、が俺を信じてくれるなら。――そう言ったら、流石にちょっと重いか。