皆瀬さんにおすすめされた何種類かの動画からそれを選んだのは、タイトルに「小学生でもできる」って言葉が添えられていたからだ。それと、サムネイルにあった生チョコレートが物凄く美味しそうだったから。簡単で美味しそうって、お菓子作り初心者にはとってもありがたい。
 サムネイルは色も雰囲気も随分ポップだったのに、動画の投稿者であるその人(ささらお料理チャンネルのささらさん)は、そこからは想像もできないくらいにやわい、だけど大人びた声をしていた。おっとりした人なんだろう。姿は見えなくても、想像がつく。



「生チョコレートって美味しいですよねえ。口の中でふわって溶けて、幸せになれちゃいますよね。子供のときに初めて食べて、こんな美味しいものが世の中にあるんだー!って感動して、そこからずっと好き」



 そういうの、あるある。心の中で動画と会話してしまう癖って、いつかなくなるものなのかな。メイク動画でもなんでも、絶対頭の中で会話してしまう。ぼーっとしてるときなんかは声にまで出しちゃって我に返るから、本当によくない。
 ささらお料理チャンネルは、お料理中の手元だけを映すスタイルらしい。生来のままの短く切り揃えられた爪の、白く華奢な指が、端から端までお洒落なキッチンに材料を並べていく。



「本当に簡単だから、お菓子作りが初めての人も安心してください。火の扱いさえ気を付ければ、小学生でもできるよ。あ、でも小学生はなるべくおうちの方と作ろうね。怪我したら大変だから。……材料は、今回はバターなしで、こちらの三つだけです。全部スーパーで買えるよ」



 ミルクチョコレート、生クリーム、それからココアパウダー。わざわざささらさんの動画の通りに並べ直した後、画面の端っこにぽんと浮かんだ、やっぱりポップすぎるくらい可愛いフォントで書かれた分量と見比べて、指さしで確認する。うん、大丈夫。全部揃っている。
 いつも使っているスマホじゃなくてお母さんのiPadを借りたのは、単純に画面が大きくて見やすいからだ。失敗したりしないかな。ドキドキしながら、エプロンの下の胸に手を当てる。「何かあったら呼んでいいからね」って言ってくれたお母さんは、この後始まるドラマを観るためにタマを抱っこしてリビングに行ってしまったから、私はこれから一人で――いや、この画面の向こうにいるささらさんと一緒にこの生チョコレートを完成させなければならない。勿論、よっぽどの「何か」があったら私はリビングにいるお母さんに助けを求める予定ではいる。だけど、なるべくなら頼りたくなかった。玲王くんにあげるチョコは自力で作りたいのだ。小さいときのように、最後の最後まで意地を張ることはしなくとも。
 平日の夜、いつもだったら課題や予習をしている時間だった。中学生の頃だったら、もう眠くなり始めるような時間帯。そんなバレンタインの前夜に、髪を頭の後ろに括って、夕飯の後片付けがすっかり済んだキッチンに私は一人立っている。同じくらいの気合と不安を、背中に背負ったまま。



「使う道具も最初に見ていきましょうかね。小さめのバットとボウル、それからお鍋とヘラ……ヘラは耐熱性の、ゴムとかシリコンのやつがいいな。シリコン製は一個あると便利だよ~」



 ささらさんが手にした黒いヘラは、うちにあるのとほとんど同じものだった。それだけで、ちょっとほっとする。材料は、失敗しても良いように三回分。生チョコは日持ちしないって言うから前日に作ることにしたんだけど、難易度と天秤にかけた上で選んだとは言え、前日っていう時間のなさも不安要素の一つだ。だけどできたら難なく作り終えて、焦ることなく明日のバレンタインを迎えたい。



「……小学生でもできるって言ってるもん、大丈夫」



 独りごちながら、まだ出番の遠そうなヘラを握りしめた、その瞬間だった。エプロンのポケットに入れておいたスマホが緩く震えたのは。
 どうやら「今日はちょっとお返事できないと思います。先におやすみなさいって言っておくね」「おやすみなさい!」って送っておいたメッセージに、練習終わりの玲王くんが気付いて返信をしてくれたらしい。ポケットからスマホを取り出して確かめる。御影玲王、って浮かんだその文字に、私はいつも新鮮に、幸せをもらっている。



「ん。おやすみ。あんま無理すんなよ」



 私がこれから何をしようとしているかをきちんと察しているらしい短いその言葉に、胸がいっぱいになってしまって、困った。お返事できないと思うって最初に言っていたくせに「がんばるね!」のスタンプを送ってしまったから、玲王くんはきっと、今頃呆れているだろう。
 玲王くんから一個、スタンプで返事が来たのを見届ける。さっきまであったはずの不安が、物凄く小さくなった気がする。それくらい、玲王くんの存在は私に力を与えてくれる。
 ふわふわした気持ちで目線を上げると、ささらさんはお鍋に生クリームを注いでいたから、「ん?」って声をあげてしまった。概要欄にある作り方では(予めざっと目だけ通しておいたのだ)、まずチョコを刻んでいたはずだ。動画を一時停止するのを忘れたままスマホを弄っていたせいで、先に進んでしまっているらしい。そう気がついて、ちょっとだけ慌てた。



「わー、待って待って……!」



 一旦動画を止めようと、指先で画面をタップする。ここからちょっと戻して、目を離してしまったところから再生し直さなくちゃいけない。
 本当にうっかりしてるってうか、おっちょこちょいっていうか。マルチタスクができないって、色んなところで損していると思う。こういうところから一つ一つ直していかないと、将来上手くいくものもいかなくなるだろう。それはやっぱり、避けたいな。玲王くんの隣に立ってもおかしくない人にならなくちゃいけないんだから。
 停止した画面の中で、お鍋の中で揺れていた白が止まって、生クリームの、跳ねたまん丸の雫が宙に浮かんでいた。それが場違いに生まれた小さな真珠みたいで、なんだか妙にきれいだった。








 調理時間は一時間半だったはずなのに、完成したときには夜が更けきっていた。上手く固まらなくて、一回やり直したのが原因だ。お母さん曰く、生クリームの温度が低すぎたらしい。あと、チョコと混ぜるときはすぐに混ぜない方が良いんだって。どうしてもチョコレートが上手く溶けなかったら先にレンジで温めて、ってささらさんも言っていたけど、混ぜてしまってからではどうにもならなくて、二回目は予めチョコを温めておいた。二十秒くらいじゃないかなってお母さんに言われたから、その通りにしたのも功を奏したらしい。
 一人で作りたいって息巻いていたのに、情けない。だけどお母さんのアドバイスを受けてできあがったチョコレートは、自分一人で作ったものとは全然違った。見た目は勿論、味だって。とは言え、玲王くんが普段口にしているような高級チョコとか、パティシエが作ったものに比べたら劣ってしまうだろう。切り分けるとき、ちょっと歪んじゃったし。でも、ココアパウダーを纏った生チョコレートはころんとして、可愛かった。ココアパウダーの仄かな苦みはチョコレートの甘さを引き立てて、きれいにまとまっていた。美味しかったのだ。やればできるんだって、自画自賛したくなるくらいには。
 お母さんにも褒められて、二人でキッチンの片付けをした後、舞い上がったままベッドに入った。夢の中で玲王くんが私の作ったチョコレートを、それはちょっと褒めすぎだよってくらい褒め倒してくれたのが、有頂天になるくらい嬉しかった。








 いつもよりずっと夜更かししてしまったせいだろう。私が翌朝寝坊して、遅刻ギリギリに登校してしまったのは。
 玲王くんへのチョコレートを冷蔵庫に入れっぱなしにしたままだったのも、そのせいだ。


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