「え、手作りしたらいいじゃん!」



 お世話になっている人や家族とか、お友達、仲の良いクラスの男子にあげるのだと売り場のチョコレートを大した逡巡もなく籠に放り込んでいた皆瀬さんは、私の方を向き直ってそう言った。
 白宝高校から程近い百貨店の催事場は、学校帰りと思しき制服姿の女子高生たちや、小さな子供を連れた主婦なんかで賑わっていて、気を抜くと皆瀬さんと離ればなれになってしまいそうだった。皆瀬さんと違ってまだほとんど空っぽの籠を腕に引っかけた私は、お父さんが好きそうなヘーゼルナッツチョコレートの詰め合わせを手に取ったまま、どんな顔をしたら良いか分からずに、苦い笑いを浮かべてしまう。先の彼女の言葉は、「手作りとかしないの?」っていう質問に「八割くらいは買うつもりでいる」って素直に答えた結果、受け止めることになったものだった。
 手作りできるだけの力があったら、そりゃあ悩まないんだけど。
 バレンタインのために設けられたチョコレート売り場は、これでもかってくらい華やかだった。ショーケースに並ぶ見本のチョコレートはどれも手に取って眺めたいくらい綺麗で、繊細で、もしこれをバレンタインに渡されたら、勿体なくて食べられないなってくらいキラキラしていた。こんな可愛いチョコレートと私の作る物体Xだったら、前者の方が良いに決まっている。間違いなく焦げてないし、味は保証されているし、お腹も痛くならないもん。



「手作りとか絶対喜ぶでしょー。そういうの好きそうじゃない? れ…………――さんの彼氏」

「そ、そうかなあ……」



 白宝高校の制服を着た子たちを何人か見かけていることを考慮に入れてか、皆瀬さんは「玲王」って言いかけたのを飲み込んでわざわざ言い直してくれるから、有り難い。



「ていうか今まではどうしてたの? ちゃんと付き合い始めたのが夏からって言っても、それまでだって関わりはあったわけでしょ? 形だけでもあげたりは……」

「うーん……小学生の低学年のときにあげたのが最後かなあ……。その時はなんか手作りに無性に憧れて、レシピ見て作ったんだけどめちゃくちゃ失敗しちゃって……。以来料理ってものに苦手意識がすごいんだよね」

「えー、意外。さんて家庭的に見えるし、そういうの得意そうなのに」

「や、全然! 不器用だよ、私!」



 お世辞かもしれないけれど、慌てて首を振る。この「得意そうに見える」って言葉、でも、喜んで良いのかどうか分からない。すごいできる人って思われていたのに、蓋を開けてみたらそうでもないってバレてしまうんだったら、むしろ「できなそうなのに案外できる」って方が得なんじゃないだろうか? 何事も、失望されてしまうよりは、見直される方が絶対良いに決まってる。
 うーんと唸っていたら、背後の棚を眺めていた女の子たちが「これ良くない?」って話す声が聞こえた。はしゃいだ声音にそっと振り向けば、プリーツに千鳥柄の紛れたそのスカートから、彼女らが私たちと同じ白宝の生徒だってことが分かる。でも全然知らない子たちだから、クラスがものすっごく離れているか、先輩だろう。皆瀬さんはちらりと彼女たちを見た後、自然な所作で「あっち見たいなあ。行っても良い?」って少し離れたところを指差した。まるでこれから起きることを、全部見透かしているみたいな仕草だった。



「でも御影くん、この辺りのお店で買ったらおんなじチョコめっちゃもらいそうじゃん。流石にチョコは被りたくないな~」



 皆瀬さんと歩き出した瞬間、背中から聞こえてきた会話に、ひゅ、と息が止まった。
 もう一度振り向きそうになったけど、皆瀬さんに手首を引っ張られて、どうにか堪える。だから、有り難かった。そうじゃなかったら私、無駄にその話をしていた女の子たちのことを眺めて、いらないことばっかり記憶しちゃってたと思うから。
 混雑している通路を無理に抜け出したから、他のお客さんが持っていた籠とか、バッグとかに身体のあちこちがぶつかって、迷惑そうにされてしまった。すみません、通ります、って、皆瀬さんはこんな時でも堂々としていたから、私も一緒にたくさん会釈をした。でも少し空いていたラッピング用品の並ぶ棚まで来たとき、皆瀬さんは私を振り向いて「ごめんね」って言ったのだ。さっきたくさん口にしていた「すみません」とは随分違う、気遣わしげな温度と色だった。



「ほんとごめん。お店、学校から離れたところにしたら良かったね。迂闊だったな~……。そうだ、今から別のところ行く? このあたりだったら他にも――」

「ううん、平気だよ。気遣ってくれてありがとう」

「……本当?」

「本当!」



 それでも心配そうに顔を覗き込んでくれる皆瀬さんに、きちんと笑う。
 皆瀬さんは私の手をぎゅうっと握ってくれていた。人の密度が高いところからそうでもないところに来たおかげで、知らないうちに薄ら汗ばんでいたお腹のあたりがすうすうしたけれど、皆瀬さんに繋がれていた手だけは温かかった。



「ああいうのは、全然平気」



 だから、もう一度確かめるみたいに呟いたのだ。



「玲王くんが他の女の子からたくさんチョコもらうだろうなーっていうのは想像してるし、それを玲王くんがきちんと受け取るのも、そうだろうなーって思うよ。バレンタインだし、告白も、されちゃうんだろうなあっていうのも、わかる」



 同じ催事場とは思えないくらい、そこは人気がなかった。小学生らしき女の子が、お母さんと一緒にリボンを眺めているくらいで。私はそれが、かつての自分に見えた。ブラウニーだったら簡単って書いてあるから、って、自分の力を過信してキッチンに立った、まだ幼い私。あの時はまだ私の傍にはルークがいて、玲王くんと自分が全く違う存在だって思うには、彼の近くにいすぎていた。



「本命チョコたくさんもらってたら、そりゃあ、もやもやしないわけじゃないし、自分に自信あるとかじゃないから、胃とかキリキリしそうだけど……。でも、そういうの、全部大切にする玲王くんだから好きなの。――人の気持ちを、絶対に無碍にしないところが好き」



 玲王くんの恋人として彼と一緒に居た半年は、それに、私に底なしの力を与えるのだ。
 玲王くんはバレンタインに渡されたチョコレートを全部受け取るだろう。可愛い子からも、はっとするくらい綺麗な人からも、頭の良い子からも、面白い子からも、たくさんたくさんもらうだろう。でも私は玲王くんが、私のことを一番好きでいてくれているってことが、もう分かっている。誕生日を、クリスマスを、たくさんのなんでもない日を一緒に過ごした自負が、私の根っこにある。些細なことで拗ねてしまうし、いらない嫉妬もするし、その度私は玲王くんに弱いところを見せてしまうけれど、玲王くんはそんな私を笑ってくれるから、だから、いいのだ、もう。



「平気だよ」



 そう自分に言い聞かせるように言ったら、皆瀬さんは掴んでいた私の手に、また少し力を加えた。皆瀬さんの大きな瞳は真っ直ぐ私を見つめていて、それに物凄く熱が籠もっていたから、ドキッとする。
 「さん」って、皆瀬さんは私の名前を呼んだ。どうしてか感極まったような、水分を含んだ声だった。



「やっぱ手作りにしよ。昔とは違うんだって、成長したところ見せちゃお。さんの彼氏、買ったやつより絶対喜ぶから」



 私も料理は駄目だから力になれないけど。
 面食らっているところにそう付け加えられて、それが脳に染みこむまで少し時間がかかってしまった。だけど何秒か経って、皆瀬さんの言葉が全部理解できたとき、思わず笑った。「皆瀬さん、得意そうなのに」って、さっき自分が言われたことをそのまま口にする。皆瀬さんはちょっと居心地悪そうに首を傾げて、「良く言われる」って呟いた。


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