クリスマスやお食事会が終わってようやく肩の荷が下りたと思っていたのに、世間はもう来月のバレンタインに向けて賑わっているんだから、時の流れって凄まじい。まさに光陰如箭ってやつだ(この前授業でやった。所謂「光陰矢のごとし」のことで、漢文だとこういんじょせん、って言うんだって)
 バレンタインまではまだ一か月近くあるし余裕があるなんてのんびり構えていたけれど、雑誌や動画なんかで紹介されているような人気のチョコレートはどんどん店頭から消えはじめているらしい。売り場の棚にはぽこぽこと空間ができていて、チョコレートの写真と値段の書かれたプレートは早くも売り切れのマークがつけられている。そういう話を聞いてしまうと、ちょっとだけ焦る。ぼんやりしていたら、準備もしきれないままバレンタインって状況になっていてもおかしくない。



「私もさあ、まだ買うつもりなんてなかったのに、女の子たちがめちゃくちゃ群がってるの見てつい買っちゃったよー」

「えっ! リサちゃん、どんなやつ買ったの?」

「えっと……何だったかな、なんか有名なパティシエの……。待ってね、画像探す」



 窓からぼんやりとした光の差し込む昼休み、食べ終わったお弁当を片付けながら、「あったあった、これ」ってリサちゃんの差し出すスマホを覗き込んだ。繊細な箱に収まるはつやつやした小粒のチョコレートたちはなんだか食べ物っていうのが信じられないくらいに可愛くて、参考にさせてもらおうと思っていたのも忘れて、思わず「うわ~」と感嘆のため息を漏らしてしまう。
 光沢のある赤いハートのチョコレート、デフォルメされたお花は花びらの一枚一枚が本物みたいに広がっていて、宝石みたい。あんまりこういうのに興味のなさそうな夏帆ちゃんも「わ、オシャレ」って目を丸くしていて、「ね!」って思わず顔を上げてしまった。



「可愛い~! いいな~!」

「ね、なんか彼氏にあげるの勿体なくなるよ~。どうせ見た目なんか気にしないだろうしさ。……これとおんなじのじゃないけど、ちゃんと夏帆ちゃんにも買ってあるから楽しみにしててね」

「えっ、いいの……!」

「ほんと? うれしー。お返しはホワイトデーでもいい?」

「いや、お返しなんかいいよ。ほんとにちょっとしたやつだもん。……でも夏帆ちゃん、なんか私の彼氏よりちゃんとしたお返しくれそう」

「いやいや、流石にそんなわけないじゃん。彼氏さん、侮られてるな~」



 軽口を言い合う二人に笑いながら、目線を改めて、リサちゃんのスマホに落とす。
 バレンタイン。そっか。もう本当にすぐそこか。
 クリスマスからこんなに立て続けにイベントがあるのは、楽しいけど、ちょっとだけめまぐるしさも感じてしまう。手放しにわくわくできないのは、やっぱりバレンタインそのものに対して緊張感のようなものを抱いているせいだろう。クリスマスと一緒で、センスやら何やらが試されてしまう気がするっていうか。……玲王くんに言ったら、「そんなに難しく考えることかよ?」って笑われてしまいそうだけど。
 でもやっぱり、バレンタインって一大イベントだ。クリスマスと誕生日と並ぶくらい、大事。
 もしも私がお母さんとかクラスの三浦くんくらいに料理が上手だったら、張りきって手作りしたんだとは思う。だけど私は全部材料がセットになっているチョコレートですら失敗してしまうのだ。別に無謀なアレンジをしているわけでもなんでもないのに。地元企業とコラボしてデザートを考案して、華々しい功績をあげている調理部の一員である三浦くんの持つ才能の、ほんのちょこっとだけでも私にあったら良かった。元のレシピの良さを損なわないアレンジを器用にするお母さんのセンスも、爪の先くらいは受け継いでいたら良かった。
 いつぞやの炭ブラウニーを思い出して、こっそりため息をつく。あれを玲王くんが記憶しているらしいってことも、わあって叫びたくなる一因だ。流石に炭にすることはもうないと思うけど、玲王くんの口に入るものだ。あの時はまだ子供だったから、そのあたりをきちんと考えずに渡してしまったけれど、危険物はあげられない。でも市販のものを購入するんだったら、それこそリサちゃんみたいに今からお店を見ておいた方が良いし、早く買いに行くにこしたことはないだろう。
 ――どうしよう。



ちゃんは? バレンタイン、誰かにあげる予定あるの?」



 リサちゃんに尋ねられて、慌てて顔を上げた。「や、全然、全然そんな」言いながら、胸がズキズキする。仕方がないとは言え嘘をついてしまっているわけだから、やっぱりどうしたって心苦しい。



「私はリサちゃんと夏帆ちゃんと……あとお父さんかな……!」



 言葉を選びながら答えたら、それを聞いた夏帆ちゃんが、「え、ちゃんもくれるんだ? 楽しみ」って目を細めてくれるから、つられて笑った。
 実はね、お付き合いをしている人がいるの。二人にもそんな風に打ち明けられたらどんなにか楽だろうと思うけれど、学校で四六時中一緒にいる彼女たちに玲王くんと付き合っていることを話してしまったら、あちこちから生じた綻びが、私の手の中にある秘密を一つ残らず暴いてしまいそうだった。二人の目を気にしすぎるあまり、或いは二人が気遣ってくれるあまり、今みたいに平然と過ごすことができなくなるだろうなっていう想像は、簡単にできた。そうしたら、居心地が悪くなるだろうなっていうのも。
 図書室から戻って来たらしい玲王くんがクラスの男の子に名前を呼ばれたのを、背中だけで聞いている。「なに?」教室のざわめきの中にあっても、わざわざ振り向いて確かめなくても、玲王くんの声はそれ自体がきらきら輝いているみたいに、よく目立って、ちょっと気を抜いただけで、好きだなって思ってしまう。








 バレンタイン。高校生。
 文字をスマホに打ち込んで、洪水みたいに流れてくる情報を一つ一つ眺める。
 一口にバレンタインって言っても、検索結果は手の平から零れ落ちるくらいに出てくる。告白はどうするのがいいかとか、チョコだけじゃなくてプレゼントもあげた方が良いのかとか、手作りは重くないかとか。いやブランドのチョコレートの方が気負わせるんじゃないかとか。でも、どれもが大体恋人に至る前に抱く疑問とか、不安ばかりだった。私みたいに、お付き合いしているのに尚悩んでいる人なんか、あんまりいないらしい。
 インターネットに頼ってばかりいるけれど、スマホがなかったら一体どうやって情報を得ればいいのか分からない。いや、あったところで最終的にそこから取捨選択をして最良と思われるものを選ばなければならないのは自分なんだから、やっぱり「わからない」って答えには行き着いてしまう。誕生日のときもクリスマスのときもそうだった。わからないなりに、自信のないままどうにかやってきた。
 優柔不断で決断力に欠ける。そういうタイプだから、こういうとき物凄く困ってしまう。少なくともバレンタインは「チョコレートをあげる日」なんだから、まだ選択すべき範囲は限定されているけれど。それでもできれば、最善を選びたい。ちょっとでもがっかりしてほしくない。喜んでほしい。笑ってほしい。できたら、その分私を好きになってほしいなんて、流石に欲張りすぎかな。
 クリスマスとか誕生日よりは悩む要素は少ない。そう分かっていたけれど「どうしよう」って気持ちは日に日に増していたから、皆瀬さんから声をかけられたときは、救われた思いがした。
 スマホを閉じてポケットに入れたとき、廊下の方から、ぱたぱたと走る音がした。部活をしている子たちがいなくなった放課後の教室は、もう私を含めても数人しか生徒が残っていない。開きっぱなしだった扉から「ごめんさん、お待たせ!」って飛び込んで来た皆瀬さんは、その数人の注目を一身に浴びても怯む様子はなかった。



「提出物出しに行っただけなのに、先生に捕まっちゃった~……!」

「ううん、あんまり待ってないよ。大丈夫だった?」

「大丈夫大丈夫。ごめんね、私から声かけたのに」

「全然平気!」



 むしろ誘ってもらえてすっごく嬉しい。
 そう笑うと、皆瀬さんは照れたようにその眦を細めた。
 皆瀬さんから「バレンタインの準備とかした? もしまだだったら一緒にお店行かない?」ってメッセージが届いたのが、三日前。そんな風に声をかけてもらえたのが物凄く嬉しくて、有り難くて、飛びつくみたいに「ぜひ!」って返事をした。その約束の日が、皆瀬さんの習い事がない月曜日の今日だった。
 玲王くんとのことを知ってくれている皆瀬さんとは、あれからちょこちょことメッセージのやりとりをしたりしている。休み時間とかそういうときは今まで通りの「別のグループの子」っていう距離感でいるのは、変に会話をしたらお互いボロが出そうだって分かっているからだ。だから放課後とは言え、こうして皆瀬さんと学校でお話するのは、なんだかくすぐったかった。



「じゃあ行こっか」



 荷物をまとめた皆瀬さんに頷いて、その隣を歩いて教室を出る。のっぺりしたリノリウムの廊下は教室と比べるとずっと肌寒かったけれど、うきうきしているせいか、ちっとも気にならなかった。
 球技大会のときに活躍していた背の高い男の子(確か名前は、凪くん、と言っただろうか)が、廊下の壁に背を預けてスマホを弄っている、その前方を通り過ぎる。なんとなく聞こえたゲーム音は、「どこのお店が良いかなあ」って言う皆瀬さんの、柔らかい声に上塗りされるみたいに遠ざかって、やがて、消えた。


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