おじさまやお父さんたちの前で私とのことを話す玲王くんは、私と同い年とは到底思えないくらい堂々としていた。
学校での玲王くんとも、普段私と一緒にいるときの玲王くんとも違うその横顔は酷く大人びていて、目を奪われる。玲王くんは、状況に応じて自分の言動を相応しいものに切り替えることが上手いのだ。すごいなあ、ってドキドキする胸をそっと押さえる。私が同じ事をしようとしたら、きっと、どもって、みっともなく声を震わせてしまうんだろうなって思う。
玲王くんは真っ直ぐ前を見ていた。テーブルに向かい合って座るお父さんとおじさまを、口元にだけ細やかな微笑を携えて、じっと。
今日こうして自分たちのことを報告する上でもう一つ心配だったのは、玲王くんとおじさまのことだった。サッカーのことで揉めた去年の夏から、話をするどころか、ほとんど顔を合わせていないって聞いていたから。だから、いざとなったら助け船を出すつもりでいたのだ。緩衝材になれたらって思った。例えそれが、最終的には何の解決にもならない、その場限りのものでしかなかったとしても。
だけど、そう考えていた私は一度肩すかしを食らってしまうことになる。
約束の時間におじさまたちがやって来たとき、二人の間に何か険悪めいたものが横たわっているようには、私には思えなかった。玲王くんは去年までと同様の態度でおじさまとお話していたし、おじさまも、新年のご挨拶をする私に優しい目で応えてくれた。二人は私が考えていたよりもぎくしゃくしているわけじゃなかったのかもしれない。そう思ったのだ。こんな雰囲気なら、サッカーのことだって熱意を持ってお話したら分かってもらえたりするんじゃないかな、って。お気楽な私らしい、都合の良い思考回路で。
でも、全然そうじゃなかった。私がそんな風に思えたのは、彼らが私に、「そういうふうに」見えるよう振る舞っていたからに過ぎなかった。
そう気がついたのは、おじさまが「嬉しいことじゃないか」って微笑んだ、直後のことだ。
私たちが正式にお付き合いを始めたことを、おじさまは心から祝福してくださった。それだけは間違いなかった。
「いつか二人が本当にそうなってくれることが夢だった。――嬉しいよ」
瞬間、私の頭の上で、玲王くんが息を飲んだ音を聞く。
考えるよりも先に玲王くんの顔を見上げた私は、玲王くんの瞳に滲んだあの色を、なんて形容したら良かったんだろう。
玲王くんは怒っていた。いつも余裕があって、負の感情なんか少しも表に出さない玲王くんが浮かべていたはずの微笑は、怒りの色に塗り替えられていた。いや、だけど厳密に言えばそれは、怒りだけじゃないのだ。玲王くんは多分、ちょっと、悲しかった。
私がその「悲しい」を溶かしてあげたかったなんて思うのは、傲慢だったかな。
おじさまとおばさま、お父さんとお母さんが駐車場へと向かう背中が私たちの位置から見えなくなって、思わず肩から力を抜いたとき、隣にいた玲王くんはさっきまでよりも随分柔らかい声で私の名前を呼んだ。
「頑張ったな。……疲れただろ」
見上げると、玲王くんは微かに眉尻を下げて私を見ている。さっきまでずっとおじさまとお話していたせいか、その眉の感じに血の繋がりを覚えてしまった。今それを口にしたら玲王くんは嫌がるだろうから、言わないけれど。
玲王くんの言う「疲れた」という言葉を否定するように緩く首を振る。「平気だよ」って笑いながら。だけど実際のところ、いつもよりずっと濃密なお食事会だった気がする。玲王くんにどう接したら良いか分からなくて、緊張でガチガチになっていた去年よりも、ずっと。硬くなっていた全身から力が抜けたような感覚に、こっそり息を吐く。
「私よりも玲王くんだよ。今日は私の代わりにおじさまやお父さんにお話してくれて、ありがとう」
「それはいーって、別に。つか、最後までずっと緊張してただろ。……料理の味、ちゃんと分かったか?」
「そ、それはあんまりわかんなかった……」
「だよなあ。……悪かったな、父さんの相手させちゃってさ。煩わしかっただろ」
「そんな、煩わしいなんて全然! 緊張は……少し……いや、すごくしたけど……!」
報告を済ませた後のお食事の最中、おじさまは玲王くんよりも、お父さんよりも、私にたくさん話しかけてくださった。白宝のこととか、中学までやっていたピアノのこととか、陶芸のお話とか(おじさまは、私に陶芸の才が全くないことをご存知ないのかもしれない。)不自然なくらい、おじさまは玲王くんに話題を振らなかった。何か学校でのことを直接本人から聞き出そうとはしたりしなかったし、私にも、学校での玲王くんの様子を尋ねたりしなかった。お父さんが玲王くんに接するときのそれとは、対極にあるようだった。
そうしていると、玲王くんとおじさまの間に入った亀裂のようなものは鮮明に浮かび上がってしまう。もしも私に勇気があって、二人の関係を私がどうにかしてあげようって言う気概というか、一種の図々しさのようなものを持っていたら、私は敢えてサッカーのことを話題にあげたかもしれないけれど、そんなことできるわけがなかった。
私にできるのは、玲王くんとおじさまを見守ることだけだ。サッカーのこととか、親子関係に首を突っ込むことを、玲王くんはきっと望んでいない。それくらいの弁えは、私だって持っている。だから、「緊張、いっぱいしたけど、おじさまとお話できて楽しかったよ」と、引かれた線のこちら側で言う。――これだって、嘘ではない。
「――ならいいんだけどさ」
そう口にする玲王くんに、そろそろ行くか、ってホテルの出口を指し示される。解散の流れになったとき、二人で少し話をしてから帰る、って玲王くんが臆面も無くお父さんたちに伝えてくれたおかげで、予想外にこうして一緒にいられる時間ができたのだ。
玲王くんの隣を歩くうち、柔らかな絨毯の感触が、硬いものに変わる。自動ドアが開いて空気の種類が変わったとき、玲王くんは今日ここでおきたことを箱に放り込むみたいに、小さな息を吐いた。
「終わったなー……」
独りごちるような声は、もしかしたら私に聞かせるためのものではなかったのかもしれなくて、だから私は心の中だけで、うん、って言う。
直後、「どっか行きたいとこある?」って玲王くんは聞いてくれたけれど、お腹はいっぱいだし、今日のお食事会は昼からだったから外はまだ明るい。ちょっと考えて、言葉を探しながら「じゃあ、お散歩したい」って言う私に、玲王くんは「そんなんでいいのかよ」って笑った。
そんなんでいいよ。こうして一緒にいられるだけで充分嬉しい。言えないまま、心の中で思う。玲王くんの笑顔は、さっきまでの作ったものと全然違って、歪みが少しも無くて、きれいだ。
玲王くん。あの時喉元まで出かかった声は、玲王くんのジャケットの裾を掴んだ瞬間、呆気なく消えてしまった。お父さんが、私の代わりにたくさんの言葉を紡いでくれたから。お父さんが掬い上げてくれたから。
私は鋭い方では決してないけれど、あの時お父さんが言った言葉が玲王くんに刺さった夥しい数の棘を溶かしてくれたってことくらい、分かる。
「手、貸して」
空気の冷たさに縮こまって歩く私に、玲王くんが振り向いて言う。車も人の往来も多い道だったけれど、ちょっと躊躇って、手を差し出した。左腕につけてもらったブレスレットが重力に従って僅かにずれ落ちるのを感じながら、私のものよりもずっと皮の厚くて、大きな玲王くんの手に触れる。
「……つめてえ手」
指を絡められたとき、ビル群の隙間から差し込んだ白い光りが玲王くんの輪郭を滲ませた。そのとき、呼吸が一瞬、止まったのだ。玲王くんの笑顔が、ちょっと泣きそうに見えたから。
私たちの頭上に広がる色素の薄い空には、引っ掻き傷みたいな雲がいくつも浮かんでいた。それと同じものが、玲王くんの中にもあるような気がした。