迎えに来てくれたばぁやさんの運転する車の中は暖房が効いていたけれど、私の体温を高く維持させていたのは、繋いだままの手の方だったと思う。
 玲王くんの私よりも一回り大きな手は、ずっと私の指を絡めとったままだった。その感触はとびきり優しくて、私はそれだけで胸がいっぱいになる。未だ続く緊張と高揚とが混ざり合って、胸の内側が忙しなく脈打つ。
 イルミネーションの鮮やかな光も、唇に残った感触も、まだありありと私の中に残っていた。いつまでも夢が続いているみたいで、良いのかな、って思ってしまう。良いのかな。こんなに幸せで。いつか罰が当たったりしないかな、夢が覚めるみたいに、代償を与えられたりしないかな、って。
 でも隣の玲王くんは、根拠のない私の不安を拭い去るみたいに、優しいのだ。



「ブランケットあるけど使う?」

「あ、ありがとう……! 使います……!」

「外、結構寒かったな。……風邪ひくなよ?」

「大丈夫! 案外丈夫なんだよ」



 玲王くんは車の中で、繋いだ手に力を入れたり、緩めたりを繰り返しながら、なんてことない話をしてくれる。学校のこと。サッカーのこと。語学の先生がしてくれたっていう面白い小話。私の勉強の進捗について。お父さんやお母さん、タマのこと。それから(例年通りなら)近く開かれることになるだろう両家の食事会のこと。そういう現実的な話は、私の今いる場所が未来に地続きになっているってことを、裏付けでもしてくれるみたいだった。



「食事会なあ。今年はどこだろうなー。二年連続でさっきのホテルってことはないだろうけど」

「どうだろうねえ。……どこでも楽しみだけど、でも、緊張しちゃうなぁ……! 私、あれからおじさまともおばさまともお会いしてないから……」

「はは、いーよ、いつも通りで」



 のこと、二人とも気に入ってんだから。そう続けられて嬉しくはあるけれど、それでもやっぱり落ち着かない。おじさまもおばさまもとても良い方たちだけど、玲王くんと恋人になったっていう以上、どうしたってこれまで通りっていう風にはいかないだろうし。
 ちょっとだけ押し黙る私の内面を見透かすように、玲王くんは「そういえば」って、軽く目線を上げた。少し掠れた、低い声だった。



「……俺と付き合ってるってこと、のおじさんには話してあるんだっけ?」

「あ、えっと、お父さんにはまだ……。なんていうか、タイミングを失っちゃってね。夏に一緒に食事してから、ゆっくり話す機会がなかったっていうのもあるんだけど……」

「夏? 結構前だな」

「そうなの。玲王くんの誕生日プレゼントのお話をしにいった後、一緒にラーメン食べたのが最後かなあ。たまに戻ってはくるんだけど、忙しそうで」

「――ああ」



 あれか、って何かを思い出したとでも言うかのように、玲王くんは緩く頷く。そんな玲王くんの脳裏に浮かんでいるものに想像を巡らせるよりも早く、「玲王くんは?」って聞いてしまったのは、少し気が逸ってしまっていたせいかもしれない。私はちょっとだけ、おじさまと玲王くんのことが心配だった。普段は、あまり触れないようにはしていたけれど。
 玲王くんは、「ん?」って短く尋ね返す。はぐらかしているのかそうでないのかが私には分からなくて、迷ったけれど、結局言葉にしてしまった。



「玲王くんは、その、おじさまには、私たちのことは……」



 お話された、んでしょうか。
 緊張しすぎると敬語になってしまう癖が出て、言いながらほとんど無意識に視線を落としてしまった。だから、私には今玲王くんがどんな顔をしているのか、判然としない。困らせていないか、嫌な思いをさせてしまっていないか、それともどうということもないのか。玲王くん私の質問をどう受け取ったのかがわからない。
 玲王くんは、おじさまにサッカー選手になる夢を反対されている。(それは、厳密に言えばおばさまにもだ。だけど普段から生活する上で顔を合わせることの多いおばさまと、決してそうでないおじさまとでは、意味が少し違ってくるだろう。話を聞いていると、玲王くんは口論になりかけた夏以来、おじさまと、きちんと向き合って話をしてはいないそうだから。)
 玲王くんは独断で、自分の夢を実現するための計画をスタートさせている。ばぁやさんに協力を仰いで、自分の資産や教育資金を使って動いている。おじさまとの会話は減り、顔を合わせても上辺だけの話しかしないと聞いた。そんな中で私と正式にお付き合いを始めたなんてことを伝えるのは、私だったら難しい。おじさまは穏やかで優しく物腰の柔らかい方だけれど、それは多分、私を相手にしているからだと思うし、あの意思の強い瞳は、恐らく自分の息子である玲王くんには違う色に映る。
 少しの沈黙があった。そろりと目を上げたのとほとんど同時に、玲王くんは「ああ」って、息と声の中間のような音を吐き出す。



「俺も父さんにはまだ。……母さんには話したけど」



 ほとんど何の感慨もないような声だった。玲王くんが目を伏せる。長い睫毛の奥にあるその瞳に、車の窓硝子の向こうを彩る、煌々とした、けれどさっきのものよりは少しごてごてしたイルミネーションが映る。玲王くん、ほら、ここ、さっきお話した山際歯医者さんだよ。サンタさん、ちゃんと三人いるんだよ。本当だったら言えたはずの言葉が、喉の奥に引っかかって消える。



「……まあでも、はサッカーとは違うから。あの人も喜ぶんじゃねーの?」



 本当は、その言葉の後に、玲王くんは何かを付け足すつもりだったのかもしれない。小さく吸った息は、だけど言葉にならないまま、玲王くんは全部飲み込んでしまった。それに気がついて、じっと彼の顔を見上げた私に、玲王くんはややあってから眉尻を下げる。――誤魔化すように、私の頭を撫でる。「なんだよ」って。その声だけは、泣けるくらいに優しい。



「変な顔」



 ぐり、って眉間を指の腹で押す玲王くんの方が、よっぽど変な顔だった。
 そう思ったけれど、口にはしなかった。








 玲王くんはお母さんとの約束通り、「遅くならないうちに」私をおうちに送り届けてくれた。
 門扉を通って、玄関へと続く道を歩く。足元にぽつぽつと置かれたライトの灯りは、夢の時間が終わったことを私に教えていた。居間の光が庭に漏れている。そうすると私は「御影玲王の恋人」から「家の一人娘」に否応なく戻されてしまうような感覚に陥る。
 車を降りてからも繋いでいた手を、そっと離した。外の空気は張り詰めたように冷たくて、鼻の頭がひりひりと痛んだ。「今日はありがとう」そうお辞儀をして顔を上げた先で、玲王くんは、微かにその短い眉尻を下げている。「どーいたしまして」と微笑まれて、ドキドキする。



「えっと、今日、すごく楽しかった。ご飯も美味しかったし、イルミネーションもすーっごく綺麗だった……!」




 それで、その、って、ずっと渡しそびれていたプレゼントの入ったバッグに手を伸ばそうとした瞬間だった。玲王くんが、「これ」って、光沢のある小さなショッパーを私に差し出したのは。
 びっくりして、上擦った声が出る。



「クリスマスプレゼント」



 細められた玲王くんの眦と、ショッパーとを慌てて見比べた。ブランドのロゴが金色に印字されたそれは、両手の平に乗せて、丁度良いくらいのサイズだ。私はそれを半ば呆然と受け取って、その重さと、手の平に伝わる持ち手のリボンの感触で我に返る。だって、プレゼント! 渡すことしか、考えていなかった。
 「気に入るかわかんねえけどさ、もらって」と小さく首を傾げる玲王くんに、思わず背筋を伸ばす。



「い、いいんでしょうか、いただいてしまって……!」

「良いに決まってんじゃん。返されても困るわ」

「や、だ、だってあんな、たくさん素敵な場所に連れて行ってもらったのに、その上プレゼントなんて、罰が当たる……!」

「罰なんか当たってたまるかよ」

「…………あ、当たらないかなあ……!」

「当たらねーっつの」



 声にならない声が出そうになって、咄嗟に口元を押さえる。じわじわ広がる喜びを身体の奥に押し込んで、それから玲王くんからのプレゼントをぎゅうって抱きしめた。「ありがとう……!」って。中身が何かなんて全然想像つかないけれど、玲王くんからのプレゼントだ。なんだって嬉しいし、なんだって宝物になる。生涯大切にする。死ぬときは棺に入れて貰う。それくらい、うれしい。



「あ、あの、私からもプレゼントがあって……!」



 振り切った感情のおかげだろう。私が何の逡巡もなく、玲王くんにそう言えたのは。
 喜んで貰えるか、全然分からない。自信はそんなにない。迷走した結果私が選んだのは、男子がもらって嬉しいプレゼントランキング上位にあったあんまりにもオーソドックスなものだし、夏帆ちゃんのお姉さんと違って手作りなんかでもない。それに玲王くんは多分、もっとちゃんとしたブランドの、すごくいいものを持っていると思う。つけているところは、今のところ見たことがないけれど。
 玲王くんは私の差し出した、今日半日連れ歩いてちょっと草臥れてしまった包みを、ちょっとだけ目を丸くして見つめてから受け取った。「あ、あんまり好みじゃなかったら、ごめんなさい……」と予防線を張った私に、「や、何でも嬉しいわ」って、緩く首を振って。



「……あけてい?」



 だめ、と咄嗟に言いそうになった。でも「何でも嬉しい」って言ってくれた玲王くんを信じて、ちょっと時間を空けてから、小さく頷く。
 玲王くんにはそれがちゃんと、渋々なされたものに見えたらしい。笑いながらクリスマス用のラッピングを器用に解く玲王くんの手つきは、どこまでも丁寧だった。その時の私の心拍数っていったら、これまでの人生でも歴代三位には入っていたんじゃないかな、って思うけど、玲王くんは私がそこまで緊張していたなんてこと、きっと知らない。








 ワンピースを脱いで、お風呂に入って芯まで温まって、お風呂上がりの諸々のルーチンを終えて、玲王くんに送っておいたメッセージに返信があったのを確かめて(勿論それにも先に、お返事はしておいた)、それからようやく、玲王くんが私にくれたクリスマスプレゼントを確かめた私は、すっかり息を飲んでしまう。
 袋の中には小さなベルベッド地の箱が入っていて、まさか指輪かとかつての玲王くんの言葉を思い出して心臓が破裂しそうになったけれど、違った。中はちいさな石が一つついた、ピンクゴールドの、繊細なブレスレットだった。



「か、かわい……っ!」



 あまりの可愛さに、わあ、って声が漏れてしまう。恐る恐る手に取って、自分の腕に当ててみる。似合う……かな、こんなに大人っぽくて華奢なブレスレット、私なんかがつけていいのかな。洗練されたデザインは、背伸びしたって足りない気がする。でも、すごく素敵だ。
 試しに一度つけてみようと思ったけれど、あんまりにも不器用すぎるせいか、数分の奮闘虚しく片手じゃ上手くつけられなかった。金具部分が小さいせいもあるんだけど。仕方なく腕に乗せた状態で写真を撮って、さっき送ってからまだ返事のない玲王くんに、立て続けになってしまうとは知りつつも送信する。「ブレスレット、すっごくかわいい! 大事にします、ありがとう!」ってメッセージを添えて。
 既読は一瞬でついて、思わずドキッとした。お付き合いを始めて、もうすぐ半年。だけど私はまだ、新鮮に緊張している。慣れることなく、ドキドキしている。それでもやがて「つけらんねーのかよ笑」って返事が届いて、たったそれだけで呆気なくその緊張は霧散するから、私はそのままの感情でもって泣きたくなった。



「今度、ちゃんとつけてるとこ見せて」



 そんな何気ない言葉ですら、私は殴られたように思うのだ。
 そういう感情を全部飲み込んで、「うん! つける!」って返事をして、何往復かのメッセージのやりとりをする中で、玲王くんは「俺も、ありがとな」って言ってくれた。「マフラー、大切にする」って。
 それで、ついさっきのことを思い出す。私のプレゼントしたマフラーをまじまじと見た玲王くんが、それを首に巻いてくれたこと。緊張しすぎて、目の前が黒と白で点滅していた。耳の奥がきんと鳴って、鼻の痛みが妙に鮮明だった。
 玲王くんは、なんでも、どんなものでも似合う人だった。私が迷いに迷って選んだその色じゃなくたって、多分何でも着こなせた。でも、それにして良かった、って思った。「この色好き」って、言ってくれたから。
 玲王くんが目を細めて「ありがとな」って言った、その柔らかい、熱の孕んだ声が、ずっとこびりついていた。いつまでも、鮮烈すぎるくらいに、強く、強く。


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