十二月になると気温もぐっと低くなって、頬を切る風に痛みに似た感覚を覚える。信号待ちの間、自転車に跨がってかじかむ手を擦り合わせながら、早起きして解いていた数学の問題を、頭の中で解き直す。
 最近の私は、目前に控えた定期テストのことで頭がいっぱいだった。球技大会の直後にあった中間テストは、可も無く不可も無く。理数の科目はやっぱり平均点とか、それに少し届かないくらいで、「悪くはねえけどさ」って玲王くんの眉を寄せさせてしまったから、今回こそはと猛勉強していたのだ。
 目標は、八割。今回のテスト範囲は割と取っつきやすくて、(解けるとか解けないっていうのはまた別にして)応用問題でもとりあえずは思考停止に陥らない、っていうのが大きかった。それに、サッカーの練習で忙しい玲王くんが合間を縫っては勉強を見てくれているんだから、情けない姿は見せられない。ここでドンと良い点数を取って、見直してもらうんだ。私がそれなりの点数を取れば「へえ、やるじゃん。」って、きっと玲王くんは褒めてくれる。
 勿論、自分の将来のため、っていうのは第一なんだけど。
 それでも玲王くんもきっと喜んでくれる、って思ったら、力はどんどん漲った。外なのに、想像だけで頬が緩んでしまうくらいには。目線を落として、そっと俯く。去年の今頃は遠かった白宝の制服が、ようやく馴染んできた気がしている。








 クリスマスのことなんか、だからすっかり忘れていたのだ。
 それどころじゃなかったっていうのが、一番大きいと思う。テスト前の学生としては良い心構えなのかもしれないけど、でも、人生で一回しかない「玲王くんと過ごす初めてのクリスマス」がすっぽ抜けているって、彼女としてはどうなんだろう。
 勿論、ハロウィンが終わった辺りから既に街並みはクリスマス一色だったし、テレビなんかでも特集が組まれていた。そういうのを見ていても自分と玲王くんに結びつかなかったのは(勉強に追われていたっていうのもあるけれど)最早「クリスマスは家族で過ごすもの」っていう刷り込みがあったせいなのかもしれない。お母さんの作る七面鳥とか、パイとか、ケーキ、リビングを陣取る大きなツリーの印象が強すぎた。心がまだ中学生のままだったんだと思う。
 そんな私が「クリスマス」の存在をはっきりと意識したのは、その日の朝、教室に入って机に荷物を置いた瞬間だった。「玲王ってクリスマスどうするの?」って言う、皆瀬さんの声が飛び込んで来たとき。
 思わず顔を上げて、玲王くんの席に集まる数人のグループを見る。男子と女子が同じグループって、もう慣れちゃったけれど、女子校出身の私からすると物凄く特別なものに見えた。玲王くんが一緒に居る彼らは、いつも明るくて、華やかだ。
 だけど玲王くんはその中でも、いっとう輝いている。



「――クリスマス? なんで?」

「私たち、予定ない同士でご飯とか行こうって話してるんだけど、玲王もどうかなーって思って」

「カラオケとかさー。……どう?」

「……あー」



 今からもうテストの後の話をするなんて、余裕があるんだなあ。玲王くんを筆頭に、皆瀬さんも、他の子たちも頭いいもんなあ。そんな羨望の思いも確かにあったけれど、それよりも今は、ばくばくと音を立てる心臓を抑えるのに必死だった。
 だって、クリスマス!
 そう、冷静に考えれば、クリスマスって普通、恋人と一緒に過ごす日だ。食事とかして、プレゼントを交換したりする、一大行事!
 自分の椅子を引いて、ペンギンのぶらさがるリュックの中身を一つ一つ取り出しながら、「いけない」とは思いつつも聞き耳を立てる。教室のざわめきは、こういうとき、いつもより一段くらい小さく聞こえるから不思議だった。盗み聞きの才能、あるのかもしれない、あんまり自慢できることではないけれど。



「悪い。俺、クリスマスは空いてないんだわ」



 教室中の会話をすり抜けるみたいに届いた玲王くんの声に、心臓が跳ねる。そ、それってもしかして……! って顔に出そうになったけれど、でも、喜びで手の平をぎゅうと握りしめたその瞬間続けられた、「クリスマス、毎年家族と過ごしててさ」って言葉に、そのまま机に突っ伏してしまいそうだった。
 皆瀬さんたちは「そっかぁ、じゃあ仕方ないねえ」って残念がってはいたけれど、食い下がるようなこともしなかった。私の方が、よっぽど打ちのめされていたのだ。今の今までクリスマスを玲王くんと過ごすことになるかも、なんて思いつきもしていなかったくせに、無理だと分かった途端に落胆するなんて、なんていうか、すっごく馬鹿みたいだったけれど。
 突っ伏すことはできなかったから、机に肘をついて、そのまま両手で顔を覆った。一緒に過ごせないことは仕方ない。仕方ない、けど、プレゼントをあげるくらいはしてもいいかな。おじさまとおばさまとの予定に差し支えないタイミングで、ちょっとでも会えたりしたら、それだけで私としてはもう、充分過ぎるくらいなんだけど。








 そんな風に思っていたから、その日の夜に玲王くんからクリスマスの予定について聞かれたときは、思考停止の上、二、三度聞き返してしまった。



「え、え、でも玲王くん、予定があるって……」



 だって、玲王くんはおじさまとおばさまと過ごすって話じゃなかっただろうか? それとも、別の日ってこと? 確かにクリスマスとイブとがあるわけだから、玲王くんの予定がその片方にあるんだったら、もう片方は私と過ごすために空けることはできるのかもしれない。そう思考を重ねる私に、だけど玲王くんは、スマホの向こうで笑う。「なんだよ、聞いてたのか?」って。



「彼女がいるのに、家族で過ごすわけねえじゃん」



 嘘ついたに決まってるだろ。皆瀬たちには悪いけどさ。って、あんまり悪びれる様子もなくそう続ける玲王くんに、私は息を飲んで、握っていたシャーペンに、ぐ、って力を込めてしまう。そうしながら、こんな話、前もしたなって頭の片隅で考えた。玲王くんも、「うわ、これデジャヴだな」って笑っていたから、同じ事を思い出していたのかもしれない。あの夏の、玲王くんの誕生日のこと。
 私はドキドキしていた。玲王くんの口から漏れた「彼女」に、思いきり動揺していたのだ。折れて飛んでいった芯がノートの隙間に挟まるのを視界の端で追いながら、「――か、彼女」と、噛みしめるように反芻する。玲王くんの彼女にしてもらってから、もう五ヶ月くらい経つっていうのに、その言葉に私は未だ慣れる気がしない。



「そう、彼女」



 そういうのを玲王くんは全部見透かしてるから、わざと意地悪く言うのだ。ぐう、と唸りながら言葉に詰まる私に、玲王くんは明るい声色で笑った。サッカーの練習をたっぷり済ませて、テスト勉強までしているっていうのに、何の疲れも感じさせない声だった。



「ま、細かい予定はテストが終わったら詰めるか。とりあえず、は二十四日、空けとけよ? 友達とパーティするにしろ、家族で食事するにしろ、そこは俺が予約な」

「二十四日……! わ、わかりました……! 何があっても空けとく……!」

「テストが目も当てられなかったら、イブだろうと勉強会だからな?」

「え、やだやだ……! 玲王くんとクリスマスしたい……!」

「はは。じゃー気合い入れて勉強しろよ」

「する……! 頑張る!」



 本当はクリスマスを玲王くんと過ごせるんだったら、勉強会でも何でも嬉しいんだけど。
 二十四日までの日数を指を折って数えながら、胸の内側に生まれた熱に、むず痒いような気持ちになる。膝掛けの下で、足首のあたりを何度も交差させながら、こっそり息を吐いた。プレゼント、どうしよう。どんな服を着よう。色んな悩みが、わあっと頭の中に浮かんだけれど、それよりも今はただただ楽しみで、それだけで、これから始まるテストも乗り越えられる気がしたのだ。


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