緊張してたんだろうな、あれ。
球技大会の初戦、最初のサーブで一歩も動けなかったは、けれどその後、周囲の声かけやフォローもあってか何とかボールを繋いでいた。
とは言え未経験者っていうのはモロに出ているから、傍から見てればのところは分かりやすく穴ではある。ただ幸運なことに、向こうもを積極的に狙うほどの余裕はなさそうだった。力量としては、きっと大差ないんだろうな。バレー部と経験者がそれぞれのチームに二人か、或いは三人ずついて、未経験者をフォローしている。向こうもこっちと同じ一年生っていうのもあって、随分穏やかな試合展開に見えた。
アンダーやオーバーで相手のコートに返すことも多い流れだ。隣のコートでついさっき始まった、二年生同士の男子の試合に比べたら、こっちはどうにもボール遊びの域を出ていない。勿論、試合をしているたちからしちゃあ、遊びでもなんでもないんだろうけどさ。俺からしたら怪我でもされた方が心配だから、正直無駄にハラハラしなくて済んで良かった。我ながら、丁度良い対戦相手を引いたと思う、本当に。
第一体育館と違って、キャットウォークが二辺にしか作られていない第二体育館の試合は、観戦の生徒でごった返している。それでも試合を真下に臨める良い場所を陣取れたのは、皆瀬たちが観客の入れ替わるタイミングで場所を取っておいてくれたからだ。女子が頭につけている揃いの水色のリボンは遠目からでも良く目立って、合流もしやすかった。「賢いよなー、それ」と褒めた俺に、皆瀬は「いや、賢いより可愛いって言ってよ!」って笑っていたけれど、それには曖昧に笑って頷くに留めた。
「おーす。今バレーどんな?」
トイレにでも行ってきたのか、遅れてやってきたクラスメイトに「取ったり取られたりだなー」と答える。実際さっきから得点はつかず離れず。シーソーゲームのまま、ゆるゆると進んでいる。
落下防止の手すりに身体を預ける男は、「ほんとだ、良い試合してるんだな」と得点ボードに目線をやって、それからコートの中に視線を落とした。「お」と短く漏らされた言葉に、視線の先を追う。の姿が、そこにある。
「さんじゃん」
ローテが回って、丁度にサーブが回ってきたところだった。にとっては、これが今日初めてのサーブだ。ボールを受け取ったは、エンドラインの外側に向かって緊張した面持ちで歩いている。――どっからどう見てもガチガチで、思わず笑う。
「さん、がんばれ〜!」
真隣にいる皆瀬たちがあげた声が届いたのだろう。はびくりと肩を揺らして、一度ボールを手から落とした。それが爪先に当たったものだから、ボールはころころと床を転がっていってしまう。
慌ててそれを追いかけるに、笑っちゃ可哀想だよな、と思いつつも、堪えられなかった。周囲からは分かりやすく笑い声が漏れていて、は照れくさそうに、顔を赤らめながら俯いている。
だけど、それで緊張が解れたのかもしれない。それか、もうどうにでもなれ、とでも思ったのか。ボールを手にポジションまで戻って来たは、深呼吸をして、それから、丁寧なアンダーでサーブを打った。ちょっともたついたフォームからは考えられない、綺麗なサーブだった。――いいじゃん。心の中で、そう思う。その軌道を目で追いながら、千風はコートの中に飛び込んでいく。
緩く弧を描いたボールは、相手のコートの真ん中にいた女子の腕に、綺麗に吸い込まれていった。球はそのまま、セッターのトスを経て、経験者らしい相手のアタッカーによってこっちのコートに返される。それなりに鋭いスパイクだったし、あれを拾えないのは、仕方ないだろう。コート内に叩きつけられ、ワンバウンドしたボールを、千風がジャンプしながらキャッチする。
「ごめん〜! 取れなかった……」
「いや、今の私だった、ごめん!」
無意識に呼吸が止まっていたことに気がついて、そっと息を吐いた。「ドンマイ〜! 次とれるよ〜!」叫ぶ皆瀬たちの声を聞きながら、頬杖をつく。「あ〜らら、惜しい」隣のクラスメイトに「な」と短く頷いて、の姿を目で追った。
点は取られてしまったが、サーブ権が移ったおかげで要らない緊張をせずに済むことに、実を言うと、俺はこっそり安堵していた。綺麗なサーブだったけど、正直、あれを続けて何回も見ているのはキツい。ハラハラして、心臓が持たないのだ。のこととなると、どうにも、変に気を張ってしまって疲れるから困る。――親か何かか、俺は。
ネットに引っかかるとか、特大ホームランをかますとか、味方の後頭部に叩きつけるとか、そういう分かりやすいミスをしないで済んだだけ、良かった。もしそんなことでもしたら、いくらただの球技大会とは言え、最初のミスと相まって、は滅茶苦茶落ち込んだだろうから。の暗い顔なんて、好んで見たいわけじゃない。
相手からのサーブに備え構えるの、 綺麗に編み込まれた後ろ頭を、視界の真ん中に置く。女子が揃いでつけている水色のリボンは妙に新鮮で、無意識に、目に焼き付けようとしていた。いいな、あれ。ぼんやりそう思う。
その時隣にいたクラスメイトの男が息だけで笑ったのは、一体何に対してだったのか。「さんてさあ」目線だけを送る。不意にその口から漏れたの名前、その意図を汲み取るために。
「なんかあの子、動きが可愛いよな。見てて飽きないわ」
「は?」
可愛い。
可愛いってなんだよ。
腹の底がざわりと蠢いたような感覚を、吐き出す前に飲み込んだ。反射で余計なことを言ってしまいそうだったが、待て待て、とこっそり首を振る。「そういう意味」じゃないだろ、これは。じっと男の横顔を見る。その目に浮かぶ感情を、数秒の時間をかけて読み取る。てか、そもそもこいつ、彼女いたじゃん、って思い出してからは早かった。
もしもこいつが彼女持ちじゃなかったら、いらない牽制もしてしまったのかもしれないけれど。
「……お前が言うとそれ、対動物みたいに聞こえるんだよな」
肩を竦め、そう呟いた。それは、きっと正解に限りなく近かったのだろう。そいつは「あー、それだわ。さん、ちょっと小動物っぽいんだ」と納得したように頷くもんだから、ちょっとだけ笑えた。無意識についた息は、微かに安堵の色も混ざっていた気がした。
手すりに肘をつき、今も尚続いている試合を眺める。チームメイトが後ろに弾いてしまったボールを追いかけるは一生懸命で、小動物っぽいかって言われりゃあ、まあそれは否定はできない。でも、のそういうひたむきなところが、俺はどうしようもなく好きだった。
ひとりでに浮かんでくる感情を腹の底に押し込める代わりに、誰にもばれないよう、手で口元を隠しながら小さく笑う。
俺の彼女、すげえ可愛いんだよ。って、誰にも言えないことを、胸に放り込む。
接戦で、物凄く良い試合だったと我ながら思うんだけど、最終的には結局一セットも取れないままストレート負けを喫してしまった。
私たちの目標は一回戦突破だったから、それも達成できなくて、明らかに足を引っ張ってしまった私としては物凄く申し訳なかった。だって、最初のサーブが取れていたら、せめて一セットは取れていたかもしれなかったから。でも、新藤さんも夏帆ちゃんも、皆も、誰も私を責めなかった。「苦手だったサーブ、全部ちゃんと決まったじゃん!」とか、「最後までボール追いかけてくれて嬉しかったよ」とか、良いところばかりを見つけてくれた。嬉しくて、でもやっぱり申し訳なくて、ちょっと泣きそうだった。
「皆頑張ったよお! お疲れ様!」
そう言って笑ってくれるこのメンバーで勝てなかったことが、悔しくてたまらなかった。
試合が終わった直後、二階のキャットウォークで応援してくれていた皆は、びっくりするくらい温かく私たちを迎えてくれた。「お疲れ様〜!」って、大きく手を振ってくれる皆瀬さんたちのすぐ隣に、玲王くんもいた。玲王くんは手すりに肘をついて、笑っていた。その口が、「おつかれ」ってゆっくり動いたとき、どれだけ心が軽くなったか。もしも周りの誰も見ていなかったら、私、きっと大きく手を振り返しちゃったと思う。「あんまり見に来てほしくない」なんて思っていたくせに。
玲王くんの存在そのものが、魔法みたいだった。私の沈んだ心をすくいあげて、光で包み込んでくれるようだった。
多分、格好悪いところもいっぱい見られちゃったんだろう。だけど、こうして最後まで見守ってもらえていたことが、何よりも嬉しかった。玲王くんのことを見つめて、笑みを返す。こんなので伝わるか、全然わからなかったけれど、「玲王くんもがんばってね」って、口の動きだけで言った。眉尻を下げて笑う玲王くんは、そうと分からないくらい、微かに頷いたように見えて、私はなんだか、たったそれだけで、今日の自分が報われたような気がしていた。