玲王くんが引いたくじは、どれもこれも、当たりって言って良かった。少なくとも、私が引いたものよりは、絶対。
私たち女子バレーは初戦から、お昼休みに何度か練習試合をさせてもらったことのある隣のクラスと当たることになっていたし、他の競技も三年生ばかりのブロック、なんてことはなかった。試合の時間帯も上手くずれこんでいて、一回戦だけに関して言うなら、どの試合の応援にも行きやすい。これを当たりって言わないで、なんて呼ぶんだろう。
「玲王くん、すごかったねぇ……!」
第二会議室を出てすぐの階段を上りながら、感嘆の息を吐く。でも玲王くんの方は、私の興奮も何食わぬ顔で受け流した。さして大きな感慨もなさそうに、小さく首を傾げて。
「――いや、あんなん可もなく不可もなく、じゃね?」
「そんなことないよ! ほとんどの競技で一回戦から相手が三年生じゃなかった、ってだけですごいもん。女子バレーなんか一年生同士だし、皆も安心すると思う。隣のクラスの子たちも、相手がいつも一緒に練習してる私たちならきっと気楽にできていいと思うし……!」
「ふは、馬鹿。なんでお前は隣のクラスまで気にしてんだよ」
「えっ、練習に付き合ってくれるクラスだもん、気にならない……?」
「なんねえよ、全然」
玲王くんは眉尻を下げて、私を見下ろしている。馬鹿、なんて口にしたばかりとは到底思えない、優しい、ほとんど慈しむような目で。
階段を上りきって、教室まで続く廊下を曲がったとき、空気の匂いが僅かに変わった気がした。窓からの明りがある分、玲王くんの表情は細部までよく見えた。その口元には、柔らかい微笑が落ちていた。窓から差し込む微かな光に、髪の先が滲むみたいに淡く発光していた。どこか紫がかった虹彩に、ともすると見惚れてしまいそうになって、慌てて目を逸らす。いくら放課後とは言え、周囲にはまだ他の学級委員の人たちもちらほらといるのだ。あからさまにどぎまぎしてしまうのは、良くない。
玲王くんは、もっと、私が玲王くんの一挙手一投足にいちいち胸を高鳴らせていることを自覚してほしい。――なんて、こんなの責任転嫁だけど。顔を背けて、小さく咳払いをする。学級委員としての適切な距離感を、ちゃんと取る。
「…………で、でも、バスケ、ごめんね。私がくじ引いちゃったばかりに……」
「だーから、気にすんなって。俺が引けって言ったんじゃん?」
「そうだけど、でもなあ〜……」
あの地獄みたいなブロックを思い出して、思わず目線を落とした。本当に、一番悪い場所だったと思う。おみくじで言ったら、大凶。地方大会で、初戦から優勝候補に当たってしまったみたいなものなんじゃないだろうか。いくらただの球技大会だとしても、皆が盛り上がって、頑張っているのは分かるから、どうしても落ち込んでしまう。
肩を落としたそのとき、背後から私たちを追い抜いていった別のクラスの学級委員の女の子に、ちらりと視線を向けられたのが分かった。なんにも悪いことなんかしてないのに、そういうことにすらいちいちドキッとして、視線の意味を考えてしまう。それも、あんまり良くない方にだ。
悪い癖だ。いくら私のくじ運が相変わらず最悪だったからって、必要以上に落ち込んで打ちのめされる必要なんかないのに、一度躓いてしまうと、他のことまで引っ張られてしまう。「なんでこの子、玲王とこんなに仲よさそうなの?」って、思われたりしてないかなって、胸がざわざわしてしまう。被害妄想も甚だしいだろうって、分かってはいるんだけどな。
白宝じゃ勉強もついていくのに精一杯だし、バレーも上手にできないし、くじ運も、悲しいくらいにない。じゃあ私が胸を張れるものって、なんだろう? 何にも思いつかない。だから、何にもない分私は、人の二倍も、三倍も頑張らなくちゃいけない。それくらいしないと、全然、玲王くんの隣に立つには足りない――。
「いーんだって」
玲王くんがそう言ったとき、だから、びっくりしたのだ。頭の中を覗かれたのかと思ってしまうようなタイミングだったから。
「うちのメンツ、バスケ部いるしさ。中学のときに都大会出たってやつもいるし――俺もバスケ、それなりにできるし」
「………………」
「例え『見渡す限り』三年でも、ヘーキヘーキ」
な? だから気にすんな。そう笑う玲王くんはなんだか意味ありげで、私は何度か頷きながら、さっきの会議での玲王くんの言動を、ほとんど無意識に反芻していた。
他のクラスがそうしていたみたいに、玲王くんは男子の分、私は女子の分を引こうって提案したのに、玲王くんは私に男子のバスケだけを引かせた。何でも良いから、って笑って。実際私は魔のブロックを引き当ててしまったわけだけど――。それで、残りは全部玲王くんが引いてくれたのだ。
玲王くんが引いたのは「当たり」ばっかりだった。春に学級委員のくじを引き当てた不運なんて、嘘みたいに思えた。
「――が引いた最悪のブロックでも、ちゃんと勝つからさ」
だから、安心して見てりゃあいいよ。そう緩く目を細めて。
こうなることを見越して、全部計算して、玲王くんは私に男子バスケの分だけ、くじを引かせたのかな。込み上げてくるものを抑えようと、玲王くんに頷きながら、頭の端でそう考える。だって、そうじゃなかったら廊下で、「見てます……!」って、感極まって泣いていたかもわからなかったから。でも嬉しくて泣きそうなのは本当だったから、変な嗚咽が漏れないよう、こっそり唇を噛む。
もしも。もしも最初の提案通りの形で私たちがくじ引きをしていたら、半分(それも女子ばかり)が初戦で敗退、万一勝てたってそれ以降も大苦戦、っていう目に遭ったっておかしくなかった。私はそれくらい引きが悪いから。だけど、そうしたら私は責任の重さに潰されてしまいかねなかったと思う。
玲王くんが男子バスケの分だけ私に任せたのは、私に仕事をきちんと与える、って意味もあったのかもしれない。どれだけ酷い引きをしても、一番ダメージのないところがどこかを考えた上で。確かに、もしも玲王くんが全部のくじ引きをするって最初に言っていたら、私は首を振って、自分もその責任の一端を負う、って主張したはずだ。だって私は、玲王くんもくじ運がないって思っていたから。
でも、こうして蓋を開けてみると、実はそんなこともなかったのかもしれない。
くじ運のない者同士、って思ってたけど、本当はそうでもないのかも。じゃあ春の学級委員を決めたときは、偶々引いちゃったってことなのかな。確かに、玲王くんはくじ運とかそれ以前に、「なるべくしてなった」って感じだもんね。導かれたみたいなものなのかもしれない。そういえば小さいときも、玲王くんは私と違って――。
目線を落としながら思考を重ねていると、教室を通り過ぎてしまいそうになっていたらしい。
「おいおいおい、行き過ぎ行き過ぎ」
そう声をかけられて、我に返った。玲王くんは笑いの混じった声で言う。「どこ行くつもりだよ、ぼーっとして」って。玲王くんの思惑とか、くじ運について考えていた、なんて口にしたら益々笑われてしまいそうで、言えなかった。誤魔化すように「えへへ」って笑ったら、小さくため息を吐かれてしまって、ちょっと困ったけれど。
誰もいない十月の教室はひっそりしていて、人の気配がない分、寒々しい。持っていたペンケースや書類を片付けて、ペンギンのぶらさがったリュックを背負う。斜めがけのバッグを肩にかけた玲王くんは、私が帰り支度を整えるのを待ってくれていたみたいだった。昇降口までだろうけれど、それでも一緒に帰ってくれる、ってことなんだろう。嬉しいな、って思う。好きだな、とも。玲王くんの心遣いも、優しさも、私のためにしてくれる計算も、何もかも。
左右のリュックの肩紐をそれぞれ握りながら、「帰ろーぜ」って言う玲王くんの元へ、「うん!」って返事をして駆け寄った。
私の持って生まれた運のなさとか、考えていることとか、こうしたらどう思うかとか、感じるかとか、そういうのを細分化して、最善を選んでくれる玲王くんに、込み上げてくるものがたくさんあった。私はもう、こんなにも、抱えきれないくらいの感情でもって玲王くんのことが好きなのに、もっともっと好きになれるんだ、って、びっくりしてしまう。
陽の沈み始めた廊下は、会議の前と比べて、どこか薄暗かった。陽が落ちるのが、ここ数日で物凄く早くなった。涼しいを通り越して、寒いな、って思う日も着実に増えている。街の色もくすんで、空気は乾燥している。もうすっかり秋だ。私がここで玲王くんといるようになって、もう半年も経っていた。
さっきも思ったけど、それってやっぱり奇跡みたいだ。
「――いつもありがとう、玲王くん」
何の説明もなく唐突に口にしたのに、玲王くんは「ん?」って、首を傾げながら何もかもを見透かしているようないつもの目で静かに笑ってくれる。私はそれに、胸の内側が柔らかく震えるような感触を、確かに覚えている。