「すっごいびっくりしたぁ…………!」
日付が変わるか変わらないかの時間帯だった。
「急でごめんなさい。今日の夜、お話できますか?」とから連絡が来て、遅くなっても待っていられるなら、って返事をしたのが今日の放課後、学校を出た、ばぁやの運転するリムジンの中だった。
と皆瀬が教室の真ん中で話し込んでいたときから、ゆうに数時間が経っていた。
数時間。それでもからすれば、衝撃や興奮は冷めやらないらしい。いつもは眠くなってる頃だってのに、スマホの向こうで声を上擦らせながら話すが面白くて、口元が緩む。どーせ見えないって分かってはいるものの、つい手の平で口元を隠してしまった。今日の疲労が、ゆるゆると解れていくのは、の声が心地良いからだろう。
「や、勿論喜んでしまっては皆瀬さんに大変申し訳ないんだけど、でもやっぱりその、正直ちょっともや……としていたところがなかったわけではなかったので……」
「うんうん」
「なんか、めちゃくちゃ棚からぼた餅……」
めちゃくちゃ棚からぼた餅。その言葉に思わずふは、と息を出して笑う。
「――杓子果報?」
「そう、杓子果報……!」
この前授業で習ったやつ……! と感慨深げに言われるものだから、益々笑えてしまった。
はここ最近、ずっと上の空だった。俺と帰ってる、ってのに、何か思案するように眉を寄せて歩いていたくらいには。
その時から十中八九、学級委員の継続に関して思うところがあるんだろうな、ってのは察していた。本人に確認したわけじゃあなかったけれど、がぼんやりし始めたのは、皆瀬たちのグループが俺に学級委員を続ける意思があるかどうかを聞きに来た後くらいからだったし。何より、昔からは分かりやすい。顔を見ていれば、何を考えているのかはある程度は想像できた。
小さく咳払いしたは、あのね、と小さな秘密を打ち明けるみたいに、改まって続ける。
「……ほんとは、その、私、ちょっとモヤモヤしてたの。皆瀬さんと玲王くんが学級委員やるの、ちょっとだけ……」
素直に口にするに、「うん」って、短く答える。知ってたよ、とは言わないけどな。
意を決したような言い方は、告解する信者じみていた。そんなに申し訳なさそうにしなくても良いだろうに。実際逆の立場で考えたら、そりゃ俺だって腹の底で嫉妬心が芽生えるのは否定しない。例えば、と三浦。二人が教壇に立つ姿を毎週黙って見てろ、って言われたら、やっぱ良い気分にはならないしな。
そうあり得る話ではなかったが、そんな可能性が万に一つでもあるんだったら、後期の学級委員をそのまま引き受けてその芽を潰しておいた方が、よっぽどマシだった。――いちいち口にするのはダセェからしないけど、俺がまた学級委員を引き受けたのは、半分くらいはそういう理由があったんだよ。どっちみち学級委員くらい大した時間のロスにもならないし、変にストレスを溜めるくらいだったら断然、こっちの方が合理的だったしな。
はそういうの、全然気付いていないんだろう。感情の滲んだ音で、はぁ、と息を吐く。
「こんな形で引き受けることになって、皆瀬さんには申し訳ないなって思うけど、やっぱりわ〜ってなっちゃう……。玲王くんとまた一緒に学級委員できるの、すごくうれしい……。この前のホームルームも、これで最後なんだって思ったら寂しかったから……」
いや、でもこんなの、性格悪いかな……。
ほとんど独りごちるように言うの声は感情の上下が妙に激しくて、思わず笑った。
つーか、それで悪かったら俺なんかどーすんだよ。「正直でいーじゃん?」って口にしたら、んん、と口ごもられる。美徳だろ、それ。俺より全然マシ。
は気付いてない。俺が何となく、こうなるんじゃないかって予想していたことなんて。そういう方に転がるように、指でこっそりついてみせたことなんて。
言えるわけねーよな。開きっぱなしのノートに目を伏せる。持っていたシャーペンは今どうにも手持ち無沙汰で、指先でくるくる回転している。
皆瀬が放課後に身動きが取れない人間なのは、元々知っていた。部活の類はやっていないものの、稽古事で自由が一切ないのだと嘆いていたのを聞いたことがあったから。「サボれないし、もーほんと最悪なんだよね。息苦しいよ、ほんと」と眉を顰めていたのは、夏休みの前の勉強会でのことだったか。そんな皆瀬が、ほど余裕を持って委員会の仕事ができないのは明白だった。――そして根は真面目なあいつが、その状況をどう思うかも、ある程度は推測できていたのだ。
「皆瀬さん、放課後すっごい忙しいんだって。習字とかね、習ってるんだって。すっごい字が綺麗なの。頭良い人の字だった……! あ、でもね、私の字も褒めてくれたの。優しいよね……」
「うんうん、やさしーな」
「それでね、会議に出られないから、玲王くんの負担になるのが嫌なんだって。全部押し付けちゃうことになるのは不本意だから、って、真面目な人だね……!」
「ん、だな」
「こんな形で任せちゃってごめんね、って謝られた……すごく良い人だった……」
――全部知ってるよ。
皆瀬の字がやたら上手いのも、あいつが話しやすい、良いやつなのも。放課後の会議には総じて出られないだろうことも、責任感の強い皆瀬がその状況を許容できず、を頼ったのも。日付の記された学級委員会議のプリントを片手に困った顔で相談してきた皆瀬に、「どうしても難しいってんなら、いっそに頼めば? あいつは多分断らないし、未経験のやつに任せるよりはそっちが良いと思うけど」って言ったのは、俺なんだから。
どうせ続けてやるんなら、また一緒にやりてーな、って思ってたのは、俺も一緒だ。でも「周囲の人間に関係がバレたくない」っていうの気持ちを優先すると、大っぴらに「二人で続ける」とは主張しにくかった。立候補したい、って皆瀬も言ってた手前もあって。だから、こうなるように少し計算したのだ。本当は皆瀬がほとんど全ての会議に出られないだろうことも、皆瀬自身がそれを心苦しく思うタイプの人間だってのも、あいつが学級委員をやりたいって言い出したときから分かってたのに、ギリギリまで知らないふりをしていた。状況と、皆瀬の性格、それを考慮に入れれば、後は押した方向に転がるだろうって分かっていたのだ。
なるようになっただけだ。どのみち皆瀬には、学級委員なんてやってる余裕がなかった、ってだけの話なんだから。ただ、もっと早い段階でそれを指摘しなかったのは、そっちの方が代わりをやるヤツが現われないだろう、って腹積もりがあったからだ。――いくらそれで傷つくやつはいないとは言え、汚いな。こんなの、には見せらんねえわ。
開いたノートに書かれた計算式に目を落とす自分の口元が微かに緩んでいることは、それでも自覚していたけれど。
こういう性格の悪さは、お前の見えないところに隠しておかなきゃな。
「でも皆瀬さん、すごく素敵な人だった……。お話できてよかったぁ。今回のことがなかったら、あんまり喋らなかったと思うから、それもめちゃくちゃ棚からぼた餅……」
「あー、あいつ良いヤツだよな。案外と気が合うんじゃねえの? 良い機会だし、もっと話してみりゃいいじゃん」
「そ、そんな滅相もない……ドキドキしちゃって無理かも……」
「は? ドキドキ? なんでだよ」
思いがけない言葉に、思わず声をあげてしまう。はスマホの向こうで何を思いだしたのか、声にならない声をちょっとだけ漏らして、「び、びじんすぎて……」とため息混じりに口にする。「私が男の子だったら、好きになっちゃってたかも……」すっごく良い匂いしたんだよ、って馬鹿みたいなことを言うもんだから、それは流石にチョロすぎんだろ、って、頬杖をつきながら笑った。