そりゃあ、玲王くんと一緒に学級委員ができるんだったら、誰だってやりたいよね。
 今日の休み時間のことは私の皮膚の内側にぺったり張り付いていて、その存在はいつだって、閃くみたいに私の眼前に落ちていた。それに気がつく度、頭の端っこの方が、ずんと重くなる。
 だって玲王くんだ。成績優秀、眉目秀麗、快活で分け隔てなくて気前が良くて公正で、いつだって真っ直ぐで、同じ教室にいるだけで、空気が良い色に変わる。揉め事も、困ったことも、玲王くんに相談すれば大抵解決したし、玲王くんはスマートで、恩に着せるようなことも絶対しなかった。だから皆、玲王くんのことが好きだった。玲王くんの周りは、いつだってたくさんの人たちで溢れていた。春から見ていたから、そんなの、知っている。
 雰囲気のいい、明るいクラスだ。そんな中で学級委員に立候補したい、玲王くんと一緒にやりたい、って子がいるのは、当たり前だ。
 当たり前なのだ。



「…………おーい、、聞いてるか?」

「はいっ?」



 はぁ、ってため息を吐いた瞬間、目の前で手をヒラヒラされて、はっと我に返る。
 玲王くんの引いてくれている私の自転車のタイヤが、のんびりした速度で回っていた。ハンドルに添えられた玲王くんの、血管がくっきり浮き出ている手が視界に入る。太陽は浮かぶ筋雲に隠れることなく出ていたけれど、空気はすっかり秋めいて随分ひんやりとしていて、長袖のブラウスの上にカーディガンを着て、丁度良いくらいだった。背負ったリュックは、今日使った教科書やノートや参考書がずっしり入っていて、重い。見覚えのある梢の木が立ち並ぶ遊歩道は、私の通学路だ。
 他の生徒たちと下校の時間を少しずらしてから学校を出て、十数分が経っていた。大通りの並木道を抜けて、住宅街の先へと続く遊歩道を二人で歩きながら、玲王くんは、ちょっと呆れたように首を傾げている。
 そういうの、一つ一つを確認した瞬間、さあっと血の気が引く。ただでさえ忙しい玲王くんの時間を使わせてもらっているのに、考え事なんてしている場合じゃない。貴重な「一緒に帰れる日」なのだ。なんでぼんやりしちゃっていたんだろう。



「…………やっぱ今聞いてなかっただろ、俺の話」

「き、聞いて……なかったです、すみません……」

「大分ボケッとしてたもんなー」

「考え事しちゃってて……!」

「ふーん、考え事ねぇ…………。…………ってこんな話、前もしなかったか? 俺達」

「…………し、したかも…………」



 言われて、ちょっと考えてから神妙に頷く。
 あれは確か、夏休みの始まる直前だっただろうか。突き抜けるくらい空が高い日だった。真っ白な入道雲がくもり一つない青空に浮かんでいて、燦々とした光は仮借なく地上を照らしていた。あの時も二人で、こんな風に下校していて、私が玲王くんの隣で考え事をしていたんだっけ。
 思い出して、申し訳ない気持ちになる。だけど玲王くんは、さして気にもしていない風に笑った。分けられた前髪の下で、その両の瞳が細められる。悪戯っぽい、いつもの玲王くんの笑顔だった。



、結構いー度胸してるよなー? 俺の隣、そんな退屈かよ?」

「そ、そんなわけないじゃん……! ええと、ごめんなさい……どうも魂が抜けがちで……」

「ははっ、魂ってなんだよ、面白」

「え、なんかこう……気的な……何か……」

「気ねぇ。……ま、俺の前以外で抜けねぇならいいよ、別に」



 そう続けられながら、ぽん、って頭に手を置かれて、瞬間ぎゅ、と心臓が縮んだ。声にならない声が出そうになって、慌てて口元を両手で押さえる。多分、面白がられているんだろうな。私の反応を見て、玲王くんは声を殺して笑っていたから。



「き、気を付けます…………」



 私は普段から割とぼんやりしがちな人間だから、こればっかりは、本当に意識してないと駄目だと思うけど。



「ん」



 ちょっと反省している私に、自転車を片手で支えながら、玲王くんは本当に自然な所作で手を差し出す。こういう仕草まで普段と変わらなくて、私はちょっと躊躇った。それは、全然、悪い意味での逡巡ではなかった。
 顔が熱いのを自覚しながら玲王くんに手を差し出しかけて、はっとした。手がじんわり汗ばんでいる気がしたのだ。「まってまって」って、制服の裾で手の平をごしごし拭く。こんなのも、あの時と一緒だな、なんて、頭の端で思いながら。



「なんだよ、まだ手汗気にしてんの?」

「するよ……っ! 私なんか年中、冬ですら手汗かくんだから……!」

「お、言ったな? なら、冬になったら確かめさせろよ?」

「………………!」



 玲王くんはさらっと言ってのけたけれど、私はその玲王くんの言葉に、胸の内側を掻き回されたように思ってしまった。息が詰まる。冬になったら。先の話をされるのが、こんなに嬉しいなんて知らなかったのだ。
 顔がどんどん熱くなって、誤魔化すように俯いた。恐る恐る手を差し出して、玲王くんのそれに重ねる。やっぱり玲王くんの手はさらさらだった。私のものよりずっと骨張っていて、大きくて、包み込むみたいに大きい玲王くんの手に、私は今でもドキドキしてしまう。



「……あったけえ手」



 笑いながら、玲王くんは指を柔らかく絡めてくれる。その温度と感触に、私はまだ、全然慣れる気がしなくて、どんな顔をしたらいいのか分からなくて、空いている手で頬を押さえた。私の心拍が手から玲王くんに伝わってしまいそうで、怖かった。
 冬になったら。冬になっても、こうして歩いてくれるんだ。
 石畳でできた遊歩道は、湿った葉っぱや土が残っていて、その上を歩くと何だかふにゃふにゃした。その感触も相まって、何だか夢の中にいるみたいで、こっそり息を吐いた。胸が震えた気がした。
 こんな風に玲王くんが私のことを大切にしてくれるんだったら、学級委員じゃなくなっちゃうくらい、なんだよ、って思う。――なんだよ、全然、大丈夫だよ。って。
 例え学級委員の任期が終わって、どれだけ寂しくても、玲王くんの隣に立つ誰かに醜い嫉妬をしちゃったとしても、玲王くんがこうして一緒に歩いてくれるんだったら、もう何にも辛いことなんか、ないのだ。
 からからと、自転車のタイヤがゆっくりゆっくり回っていた。無意識に繋いだ手に力を込めたら、隣を歩いていた玲王くんが、小さく笑った気配があって、それだけでもう、充分だと思った。


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