運動はそんなに得意じゃないし、分かりやすく足を引っ張ってしまう少人数の競技はなるべく避けたいと思っていたから、バレーボールの人数が足りなかったのは幸いだった。
 春よりは上手く扱えるようになったチョークで、さっき女子だけで集まって決めた、それぞれの競技の参加者の書かれたメモを確認しながら、ひとりひとりの名字を黒板に書いていく。女子のバレーボールのチームは、現役のバレー部の子が一人と、中学のときに部活でやってたって言う夏帆ちゃん、あとは授業くらいでしかボールに触ったことないって子が、私とリサちゃんを含めて四人。バスケもテニスも卓球も、経験者と未経験者がバランス良くばらけているみたいだったけれど、どこも勝利にはさほど貪欲じゃなさそうで、ちょっと安心した。熱量が違うと、どうしてもいざこざの原因になりがちだって、夏帆ちゃんがちらっと話していたから。
 男子がいる球技大会って、一体どんな感じなんだろう。熱気とか盛り上がりとか、全然違うのかな。椿山にも球技大会はあったけれど、全体的にのほほんとしていて、お遊びの域を出なかった。やっぱり、高校ともなると違うのかなあ。なんてったって、共学だもん。想像がつかなくて、男子達の集まる教室の、窓側の方を見た。水曜日の六限、ホームルームの時間だった。すんなり決まった女子と違って、男子たちはまだ、話し合いが済んでいない。黒板も、男子の欄はまるっと空白だ。
 手持ち無沙汰になって教卓の上に視線を落としたとき、どわ、と空気が振動した。男子たちが笑うと、女子のそれとは違う揺れがあるのに、私はまだ、あんまり慣れていない。



「うわー、マジで決まんねぇ〜」

「バレーに出てくれって!」

「いや、御影、テニスも上手かったよな?」

「いっそ玲王はもう全部出ろよ! そしたら全種目でうちが優勝だろ!」



 大きな輪っかの中心で、「馬鹿、ルール違反だっての」って笑う玲王くんのことを、本当はきっと、教室中にいる誰もが意識の端に引っかけている。玲王くんがどの種目に出るのか、みんなが気にしている。
 まだ暑さは残るものの、陽の差し方や、空気の匂いから、夏の面影が失せ始めていた。指の先についたチョークの粉を、ポケットから取り出したハンカチで拭う。アーチ型の窓から伸びた半円の光の先が、足元に落ちていた。一人の教壇で、私はどうにも居心地の悪い思いをしながら、もう一度男子の輪に視線を向ける。来月の今頃、私はもう学級委員じゃなくなっていて、こんな風に真っ直ぐに、玲王くんを見てはいられなくなるんだなって、心の端っこで思っている。








、バレーできんの?」

「えっ」



 スマホの向こうからの言葉に、力を入れすぎたシャーペンの先で、芯がぼきりと折れた。
 「急でごめん。今電話できたりする?」って、玲王くんから突然連絡が来たのが、ほんの数分前、丁度十時半を過ぎたあたりのことだ。今日の予定が全て前倒しで済んだおかげで、ちょっと時間ができたんだって。それで玲王くんは、今日の数学の解き直しをしてたんだ、って言った私に、「あー、どれ?」って、スマホの向こうで問題集を開いて、付き合ってくれていた。私が詰まっていた問題を、玲王くんは先から少しずつ解いていくみたいに、丁寧に教えてくれる。柔らかい沈黙の中に、時折こうした雑談を織り交ぜながら。



「だって球技大会、バレーだろ? 



 私が玲王くんの言葉にびっくりしたのは、私がバレーに出ることを、玲王くんがきちんと認識していたからだ。結局男子の話し合いが終わったのは、チャイムが鳴るギリギリのタイミングだったから、女子がどうなったかなんて、見てないだろうと思っていた。黒板だって、その後日直の子が消してくれたし。
 私は、男子の話し合いがどうまとまったかについては、知っている。生徒会に競技に出場する生徒の名簿を提出するために、玲王くんからメモを預かっていたから。でも、そうじゃなくても、玲王くんがバスケに出ることになった、っていうのは、クラスの皆が知っていた。女の子たちが、「玲王、結局何にしたの?」って、放課後に聞きに行っていたから。
 でも、玲王くんの方も知っていてくれてたなんて、全然、思ってもみなかった。



「れ、玲王くん、なんで私がバレーって知ってるの?」



 思わず尋ねたら、スピーカーにしたスマホの向こうで、息だけで、玲王くんが笑った。その空気の震えにすら、わ、となる。落ち着かなくて、ノートに目を落として、ほとんど無意識に、かちかちって、シャーペンの芯を新しく出す。「なんでって――」って笑い声混じりに言うその声が、私の鼓膜を、撫でるみたいな優しさで震わせる。



の彼氏だからじゃん?」

「……っ!!」



 ばき。
 ちょっと出し過ぎてしまった芯は、呆気なく折れて机の端に飛んでいった。
 口元を押さえて、ともすれば漏れてしまいそうになる声を必死で飲み込む。もう、うえ、って声に出してしまいそうだった。もしベッドにいたら、そのまま転げ回っちゃっていたかも分からなかった。こっちの音声だけをミュートにして、一旦「わー!」って叫びたかった。
 彼氏だからじゃん?
 玲王くんの声が、耳の奥でわんわん反響している。ぐるぐる回ってるとかじゃなくて、ぴったりくっついている。
 それくらい私が今の玲王くんの言葉に殴られたみたいに思ってるなんて、きっと玲王くんは知らない。



「おーい?」



 でも、堪えるあまり、不自然な沈黙を作ってしまったんだろう。声をかけられて、慌てて「は、はいっ」って背筋を伸ばす。



「なんだ、切れたかと思った」

「き、切れてない、切れてないです……。ごめんなさい、ボーっとしちゃった……!」

「なんだよ? 今、ボーッとするとこだったか?」

「だ、だって……!!」



 玲王くんが急に殺し文句言うから。
 でも、そんなこと言えるわけない。シャーペンを持っていない方の手で頬を数回叩いて、ぶんぶん首を振る。
 本当は、上手く呼吸ができないくらいにドキドキしていた。もうカーテンの向こうは夜なのに、目の端っこあたりで、丁度湖面に反射するみたいに、ちかちか光が瞬いていた。嬉しかった。学校では、学級委員同士としての会話をするのが関の山だけれど、玲王くんがそうして、私を特別に見てくれているんだったら、それだけでもう、何もかも充分すぎるくらいだった。
 胸を押さえながら、さっきの玲王くんの質問に答えるよう、ぽつりぽつりと言葉を重ねていく。バレーボールっていうか、そもそも運動がそんなに得意じゃないこととか、バレーは授業とか椿山の球技大会でしか触ったことがないってこと。顔面レシーブもしたことがあるし、サーブで失敗してチームの子の後頭部に当てちゃったこともある。でも、夏帆ちゃんたちが教えてくれるって言うから、今度お昼休みに練習するんだ、とか。そういう話。
 玲王くんは、私の話す言葉を、うん、うん、って、相槌を挟みながら聞いてくれた。時々笑ってくれるのが、嬉しかった。そうしていると、ちょっとずつ、自分が元々のに戻っていくように思えた。夏休みが終わってしまってから芽生えた焦燥は、何度ひっこ抜いても自然発生していたのに、それがまた、玲王くんによって、手ずから消し去られていくみたいだった。



「玲王くんはバスケだよね。私、もみくちゃにされても、絶対応援に行くね……!」



 玲王くんは白宝高校の王子様みたいな人だから、もしかしたら体育館にすら入れないかもしれないけれど。
 「ん」って、玲王くんは言う。その声に滲んだ感情の色は、明るかった。



「俺もの応援行くわ」



 九月が終わったら、学校で玲王くんと話せること、なくなっちゃうのかな。
 どうしても私の背後にくっついてしまうそれを、ちゃんと言語化して、玲王くんの前で口にできていたら良かったんだけど、できなかった。私はいろんなことを後回しにしてしまう、そういう、あんまり良くない癖があったのだ。


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