白宝高校の学級委員は一年を半分にした二期生で、つまり私と玲王くんは、今月末にその任から解放されることになっていた。



「しっかし今月で終わりって、ちょっと収まりが悪いよな。時期的に」



 九月に入って早々に開かれた学級委員の集まりの後、教室へと戻る道すがら、玲王くんはぼやくように言う。
 放課後の廊下は、他のクラスの学級委員の背中が遠くに見えるくらいで、日中と比べればずっと人気がなかった。校内で玲王くんと並んで歩いていても不自然ではない、唯一の時間だ。何だか嬉しくて、むず痒くて、そわそわしてしまう。玲王くんにバレたくないから、顔には出さないよう気を付けてはいるけれど。



「ね、最後に大仕事だねえ」



 そう答えた私の声は、第二体育館のある方角から聞こえてくる、甲高いホイッスルの音に重なった。重たいボールの跳ねる音も漏れ聞こえているから、きっと、バスケ部だろう。
 そうしたら、さっきの会議の残滓を辿るみたいに、バスケ、男女各1チーム、っていう言葉が脳裏を掠めた。バレー、卓球、ソフトテニス。いずれかの競技に必ず参加すること。――連なるように浮かびあがるそれらを一旦横に置いて、「色々決めたら、次の学級委員の子たちに引き継がなくちゃいけないもんねえ」って、続ける。「な」って短く、それでも眉を八の字にして答える玲王くんの表情を、私はいちいち噛みしめてしまう。
 白宝高校の年間行事として、私たち生徒が主体となって活動ができるよう準備されているものは、年に二つ。それが六月にある文化祭と、十月にある球技大会だった(ちなみに、この球技大会っていうのは隔年で体育祭と入れ替わる。だから私たちの学年は、一年と三年で球技大会、二年で体育祭、ってことになっているものの、イメージの問題なのか体育祭の方が人気があるみたいで、「え〜、体育祭、一回しかできないんだ」って残念がる声は結構耳にした。私も体育祭の方が楽しそうって思ってしまうんだけど、それってやっぱり、漫画とかドラマの影響もあるのかもしれない)。
 そういうわけだから、九月に学級委員の任期が切れる、って言うのは、玲王くんの言う通りちょっと収まりが悪い。前期の学級委員が中心となって進めた準備を、途中で後期の学級委員に託さなければならなくなるのだ。
 かと言って九月だと準備期間が足りないし、十一月になっちゃうと今度はだいぶ寒くなってくる。模試とか部活の大会の兼ね合いとか、色々事情もあるだろう。だから、球技大会ないし体育祭が十月の頭に開催、っていうのは、仕方がないことなのだ、きっと。
 従って、私たちは近く先生に時間をもらって、皆の出場種目を決定し、取り纏め、提出する必要があった。それから後期の学級委員に、それらを引き継ぐ。逆に言えば、それが終わってしまえば、もう学級委員としての仕事は終わってしまうことになる。
 そうしたら、こうして玲王くんと放課後に、この廊下を並んで歩く、ってことも、もうなくなっちゃうんだなあ。
 何だかしんみりしてしまって、自然と目線が落ちた。
 やっと解放される、とか、肩の荷が下りる、とか、そういう風に思えないのは、やっぱり玲王くんと学級委員として過ごした日々が、想像以上に楽しかったからだ。
 良い経験だったなあ、って、まだ終わってもないのに思う。へろへろの、薄くなったの隣に、玲王くんが自分の名前を書いたのは、もうずっと、遥か遠い昔のことみたいだった。「よろしく」って笑った玲王くんの細めた目は、今も瞼の裏に焼き付いているけれど。
 日に日に、少しずつ短くなっていく日が作る、オレンジ混じりの陽だまりを、春よりも草臥れた内履きで踏み潰す。隣を歩く玲王くんが、窓の向こう、遥か遠くにあるサッカーコートの芝生に視線を向けているのを盗み見ながら、いろんなものが、少しずつ前に進み始めていることを思い知らされてしまう。
 腕に抱えた、先の会議で配られたプリントに目を落とした。球技大会について。いくつかあるその種目の中に、サッカーや、それに類する単語はない。








 玲王くんは、おじさまとおばさまに、サッカー選手になるっていう夢を一蹴されてしまったらしい。それは、玲王くんが私にそれを打ち明けてくれるよりも一月ほど前、玲王くんがワールドカップに、サッカーに魅了された日の、直後のことだったと言う。
 御影コーポレーションの後継者として育てられてきたことを思えば、おじさまたちの気持ちも、分からないとは言えない。想像することしかできないけれど、玲王くんが進もうとしているのは、小さい頃から全てを投げ打って練習を重ねた中の、さらに一握りの人しか進むことの出来ない、過酷な世界だ。そこに向かおうとする背を引き止めて、正しい道に戻そうという親心は、私が否定していいものではないだろう。おじさまたちの気持ちも分かる、と言う言葉は、まだ子供の私が軽々に口にしていいものではなかったけれど。
 そんな中でも一人計画書を練り、有名なトレーナーさんをつけて邁進する玲王くんが、どれだけサッカー選手になるっていう夢に対して真摯に向き合っているかも、だけど、私には分かるのだ。
 とは言え、私は変化に鈍感だった。休み明け、玲王くんは周囲の子たちがびっくりするくらいに体つきが変わっていたっていうのを、私は「玲王、なんか夏休みの間にすごいがっしりしたね〜!」って周りに集まる女の子たちが言うまで、気がつかなかったのだ。それもこれも、なんだかんだ、一週間に一回はきちんと玲王くんと会っていたからなんだろう。でも、彼女としては、真っ先に気付いて言及したかった。
 私もそれ、言いたかった!



「ね、ね、腕、触っていい?」



 冗談半分ではあったんだと思う。それでもそんな言葉が聞こえて、びっくりしてめちゃくちゃ見てしまったけれど、玲王くんは「はは、ダメ」って、ちゃんと断ってた。危なかった。流石に触るのを良しとしてたら、怒ったスタンプ、連打するところだった。
 玲王くんは、どうして鍛えているのかを聞かれても、誰にもちゃんとは答えることなく、ただ、「なんとなく?」って薄く笑うだけだった。それはもしかしたら、おじさまとおばさまに夢を否定されたことに起因しているのかもしれなかった。実際の所は、どうだか分からないけれど。
 玲王くんは、おじさまとおばさまを納得させるため、まずはこの白宝高校のサッカー部を全国大会で優勝させたいんだって。でも、それってすっごく、すっごく大変だ。だってうちの高校、部活動に関して言えば、どこも強豪とは言い難いから。サッカー部だって、地方大会で勝ち上がったとか、聞いた事がない。



「でも、そんくらいやんねーと、認めさせらんねーだろ?」



 笑いながらそう言う玲王くんは、私には眩しかった。
 今、玲王くんはサッカー選手になるために、一生懸命自分を鍛えている。私だけがそれを知っている、っていう事実は、でも、別に私に特別な――優越感を与えるものではなかった。ただ、どうしても、きっと玲王くんからしてみたら不要な心配をしてしまう。大丈夫かな、無理をしていないかな、って。話くらいなら何でも聞くからね、って言う私に、玲王くんは小さく笑うだけだ。
 頑張ってほしいな、って思う。何でも器用にやってのける玲王くんは、サッカーも、勉強も、学級委員の仕事だって、上手くこなしてしまうんだろうけど。
 これからジムに行く、っていう玲王くんと正門付近で別れた私は、一人で帰路に就いた(送ろうか、って言われたけれど、元々今日は約束はしていなかったし、断ったのだ。サッカーに集中してほしくて)。上手く言えないけれど、なんだか謎にモヤモヤしていた気持ちは、一生懸命自転車を漕いでいるうち、少しずつ頭の後ろに流れていくみたいだった。やっぱり身体を動かすのって、大事みたいだ。
 玲王くんが頑張ってるんだから、私も頑張らなくちゃ。
 ハンドルを握っていた片手を離して、ぺち、と頬を叩いたら、タイヤの側面が段差に引っかかって、お腹がひゅってなった。慌ててついた足が、植木の低木の葉に擦れる。あぶなかった、転ぶところだった。どきどきする心臓を押さえながら、深く息を吸って、再びペダルに足を乗せて、力を込める。初秋のはずの空気はまだ、夏の匂いを強く残している。


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