ばぁやの運転する車がの家の近くの遊歩道付近に着いたときは、もう夕方だった。俺がばぁやに、の家の前でなくそこで車を停めてもらうように頼んだのだ。ウインカーを点滅させながら速度を落とす車内で、身体を捩る。はまだ、すやすや眠りこけたままだ。
 俺の半身に身体を預けたままぐっすり眠っているを起こすのは忍びなかったものの、「おーい」とその頬をつく。俺の位置からじゃその寝顔はほとんど見えないが、「むぐぅ……」っていう、くぐもった声のような音がその口から発せられて、思わず笑ってしまった。人の隣で、しっかり寝過ぎだろ。
 はしゃぎすぎてよっぽど疲れたのか、朝早くから起きていたせいか、或いはその両方か。まさか帰りの車内で一度も目を覚まさないとは思わなかったが、寄り掛かられて眠られるのはそう悪いもんでもなかった。の身体はぬくくて柔らかかったし、寝息を聞くのも、普通に考えたらレアだしな。多少肩は痺れたけど大したことじゃない。まあ、道中会話ができなかったのは残念だったけど。



、着いたぞー」



 もう一度、今度は大きめの声で言うも、しかしが起きる気配はなかった。そうなると、悪戯心が芽生えてしまうのが男ってもんだろう。
 髪が緩くまとめられたおかげで露わになった耳に唇を近づける。耳朶にほとんど触れるかどうかの距離でわざと声を低め、「」と呼ぶ。それでも反応がないから、「起きろ」と少し大きめの声で口にすれば、息がもろに耳に入ってくすぐったかったのか、は「うぎゃっ」と叫んで飛び起きた。
 俺に囁かれた右耳を押さえ、声を殺して笑う俺を前にしながら「な、なな、え、なに?」と困惑していたは、間違いなく、半分くらいは寝ぼけていた。








 夕方と言っても、夏は日が長いし暑さもしつこく残っている。
 それでも緑の多い遊歩道は木陰が多く、時折吹く風も心地よかった。俺の隣を歩くは、葉擦れの音すらも耳に入らないというような面持ちで、「もう、ほんとにほんとにごめんなさい……!!」と謝罪を繰り返していたけれど。



「ね、寝るつもりはなかったの……! でも気がついたら……寝ちゃってた……」

「怒ってねぇよ別に。眠かったんだろ? 寝られたなら良かったじゃん」

「良くない〜! だって折角のデートだったのに……」

「俺は楽しかったけど?」



 寝顔見てたし。と口にすれば、「寝顔ッ!?」との顔色はさあっと青くなる。「目とか口とか開いてなかった? 涎垂れてなかった? いびきかいてなかった!?」って必死で言葉を重ねるのは面白くもあったけど、段々可哀想になってきてしまって、最終的には「嘘だっつの」って笑った。身長差を考えれば、上を向いて寝ない限りは寝顔なんか見られようがないのは分かるだろうに。まあ、寝息はちょいちょい聞こえたけど、それは黙っておいた。



「…………本当に?」



 はそれでもじっと俺を見上げて、そこに嘘がないかどうかを探るように眉根を緩く寄せる。疑りぶかいやつ。笑えてきて、「ほんとほんと」と言いながら、ほとんど無意識に手を差し出した。は俺の顔と手の平を交互に見比べて、ややあってから、おずおずと自分の手を俺のそれに重ねる。
 の手は、俺のよりわかりやすく小さい。棒みたいな指で、爪はきちんと切り揃えられていて、この手ではタマを撫でる。赤くなった顔を隠す。ペンを持ち、髪を梳く。ナマコだって持つ。確かめるように指を絡めれば、その指先がびくりと反応した。緊張すると、は極端に言葉少なになる。思わず笑った俺を、は恨めしそうに見つめている。
 遊歩道は、相変わらず人気がなかった。緩やかにうねる道の両側に、手入れのなされた木々や低木が植えられている。の家の先まで歩けば、途中、小さな小川とそれを渡る石橋もあるらしい。ベンチや東屋まで置かれたこの遊歩道は、散歩するにはうってつけの場所に思えるが、まあ、夕方とは言え昼の熱が未だに残る頃だ。外を歩くにしたって、あと一時間か二時間経ってからの方がよっぽど心地良いだろう。
 今日は一日中、どこにいても他に第三者の気配があったから、ここに来てようやく人心地ついた気分だった(勿論、運転してくれたばぁやには感謝しているけどな)。人が多いところには慣れているし、騒がしいのも苦手ではない。だけど、こうしてと二人並んで歩く時間が、今の俺には好ましく、必要なものであるように思えるのだ。
 明日からはまたそうも言っていられなくなるけれど。
 話すべきか、今ここで。与えられるだけだった人生の中、初めて自分が欲しいと思った物ができたこと。諦めろと両親には諭されたのに、それに聞く耳なんか一切持たないまま夢を叶えるための計画を企て、それを実行しようとしていること。なんか、こうしてこの一月のことを並べると、子供みたいだな、俺。その上で、には俺の隣で応援していてほしいと思っているのだ。――益々子供だ。
 伸びた影に目線を落とす。バッグを抱え直したが、小さく咳払いをして、「玲王くん」と俺の名を呼ぶから、目を合わせた。眠っていたせいか、朝よりも少し乱れた髪型を気にするように、はその髪に手をやる。迷うように落とされた視線が、何度か地面を行ったり来たりして、それからもう一度、は「んん」と、喉の調子を整えるような咳払いをした。



「なに、どした?」



 その声が思っていた以上に優しく響いて、自分自身に驚いてしまう。けれどは俺の逡巡に気付く気配のないまま、「あの、ええと実は」と立ち止まり、繋いだ手をそっと離した。



「玲王くんに、わたしたいものが」



 はそのまま、ごそごそと肩にかけていた鞄の中を探る。いくら遠出とは言え、半日出かけるだけにしては少し大きいショルダーバッグだ。日中、「それ、持つぞ?」と何度か声をかけても、「重いからいいよ!」って頑なに譲ってくれなかったそのバッグから彼女が取り出したのは、何か四角いものが入っているらしい、ちょっと草臥れた、まあまあ大きな袋だった。ぱっと見でも結構な質量があるが、まさかはこれを一日鞄に入れた状態で動いていたんだろうか。……入れていたんだろうな。車に荷物を分けて置いたりもしていなかったし。
 けれど「それ」を見たは、はっと分かりやすく息を飲む。



「ご、ごめんなさい、持ち歩いてたせいでちょっとぐちゃぐちゃになっちゃったみたい……でも、外側だけだから、中は大丈夫だから……!」



 最後の足掻きでもするように袋を整えたの手の影に、ちょっと形の崩れたリボンが見える。



「これ、お誕生日のプレゼントです……!」



 の背後にある木々の隙間から、傾き始めたオレンジの光が差し込んでいた。の髪の輪郭が発光しているように煌めいて、顔を上げたの頬が、微かに赤らんでいる。きゅ、と引き結んでいた唇の力を緩めるは、ほとんど、一世一代の告白でもするかのような面持ちで、小さく首を傾げて、その袋を俺に差し出した。



「よかったら、もらってください」



 受け取ったそれは、思ったよりも重い。
 お礼を言おうとして開きかけた声は、だけどすんなり出てこなかった。その空白が俺には物凄くダサいもののように思えて、勝手に顔の下半分が熱くなる。のことだから何かしら準備はしてくれているんだろうとは思っていたけれど、今日一日を一緒に過ごしているうちに、すっかり失念してしまっていたのだ。
 心臓の音が耳に届く。こんな風に高揚して、ガキみたいだ。顔に出てるんだろうな。でも、今更ポーカーフェイスなんかできそうもない。



「…………開けてい?」



 俺の言葉に、はぱっと笑って、「うん」って頷いた。それでもどこか緊張の孕んだ目をするを見ていると、妙に胸がむず痒かった。


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