お父さんの工房は、駅から車で十分程度の、山の麓にある。
 小さな川に架かる錆びた鉄橋を越えた先、こんもりとした木々の奥にひっそり建っている、民家にしてはこぢんまりとした小屋がそれだ。交通量は少なくて、隣家は屋根らしきものがなんとか見えるくらいずっと先。御影の関係者以外は、熱心なファンの方がたまに訪れる程度の、静かな場所だった。砂利の敷き詰められた、三台も停まればいっぱいになってしまう駐車場に車を停めると、お父さんは「よし、着いた」って、エンジンを切りながら口にする。
 茹だるくらい暑い夏の日差しは、厚い木々の葉で遮られていた。川の流れる音を耳が拾う。空気は電車を降りたときより、ずっとひんやりしている気がした。車のドアを閉めながら、そっと視線を彷徨わせる。外に設置されている乾燥棚は、すっからかんだった。工房とは別に作られた薪小屋も、長らく開けられていないみたいに、きっちり出入り口が閉められている。
 工房には久しぶりに来たけれど、あまり変わっているところはないらしい。安堵しながらもきょろきょろしていたら、お父さんの姿が工房の、制作スペースのある扉の向こうに消えて、慌てて追いかけた。サンダルで来てしまったものだから、砂利にひっかかって、あわや転びそうになってしまった。



「こっちだよ」



 「おじゃまします……」と呟きながら足を踏み入れたとき、何だか懐かしくなってしまった。昔は良く遊びに来ていたのだ。それで、何度かろくろも触らせて貰った。全然向いてなくて、変に歪んだ器しか作れなかったけれど。
 制作スペースは二間に別れていて、そのうちの奥にお父さんは向かう。室内に広がる土の匂いに、思わず手前側のスペースに目線をやる。



「秋に窯入れする予定でね。来週あたりから成形を始めようかと思っていたんだ」



 空気中の塵が窓からの光に煌めいて、静謐な空気を醸し出していた。
 作業用の椅子は、うちで使っているダイニングチェアと同じものだった。その近くには長机があって、そこにはへらとか、弓みたいな形の、名前もわからない道具がごちゃごちゃと並んでいる。混沌としているというよりも、お父さんにしか分からない整然さがあるような気がした。どの道具も使い込まれて、その空間に馴染んでいるようだった。私なんかよりも、ずっと。
 奥の灯りをつけると、外光の届かない室内が明るくなった。こちら側が、完成した作品の一時保存置き場なのだ。乾燥の済んだ作品が所狭しと並べられた棚は圧巻で、なんていうか、海みたいだった。雄大な海の前に、いきなり放り込まれたみたいだった。
 小皿にお椀、湯飲みやマグカップ、素朴な色味のものから、目の覚めるような鮮やかな青をした器。普段からお父さんの作る器は家にたくさんあって、見慣れているはずなのに、飲まれてしまう。「すごーい……」って、漏れた言葉に、お父さんが小さく笑う。



「ここに残っているものは今月中には御影に預けることになっていてね。丁度良かった。好きなものを選ぶといいよ」

「ほ、本当にいいの? お金とか……」

「いやいや、なんで娘からお金をもらわなくちゃいけないの。しかも玲王くんへのプレゼントでしょう? ……こんなこと言うとを気負わせてしまうかもしれないけれど、僕にとっても彼は自分の子供みたいなものだから、むしろ嬉しいよ」



 それで、は、と顔をあげる。
 元々、もし他に好きな人ができたなら婚約解消もできるのだと、お父さんは私に話していた。正式にお付き合いをすることになった、ってこと、だったら私は今お父さんに話すべきなのかもしれない。「あ、あの」言いかけた言葉は、だけどお父さんの声にかき消された。



「彼、誕生日、今月だったっけ」

「えっ!? あ、うん、そう、今月……」

「もうちょっと時間があれば、が作ったら、って言ったんだけど……今月じゃ厳しいね」



 それはじゃあ、来年かな。
 独りごちるように言うお父さんに、「や、や、私、でも不器用だし、玲王くんに……っていうか、人にあげられるようなもの、作れないから……」って慌てて首を振る。でも、お父さんは色んな物を見透かすみたいに、やわく微笑むだけだった。お付き合いすることになったんだよ、と、言うタイミングを逸してしまって、何だか申し訳ないような気がした。








 選ぶのに時間がかかってしまったけれど、なるべく普段から使ってほしくて、たくさんある器の中から、マグカップを譲ってもらうことにした。少し重かったけれど、表面が粗く削られていて、その模様が綺麗だったのだ。
 お父さんは「うん、それは僕も好き。気に入ってもらえてよかった」って、割れないように梱包までしてそれを手渡してくれた。お金なんかいい、ってお父さんは言ってくれたけれど、やっぱり何か、別の形でお礼をしなくちゃ、って考える。なんだろう、どういうのが良いんだろう、普段使っているエプロンとかかな。でも、ほっそりして見えて案外大食いだから、お菓子とかでもいいかも。それこそおかきとか。
 そんなことを考えていたら、お父さんは私が玲王くんに選んだものと同じ、だけどほんのり桃色がかったマグカップを包み始めた。不思議に思ってその手元を眺めていたら、「これは用」って言うから、「えっ」とつい声をあげてしまう。



「そんな、悪いよ!」

「いいのいいの。これは僕からへのプレゼントだから」

「え、え〜……!」

「二人で大事に使ってくれれば、それで充分」



 二つのマグカップが入った紙袋は、ずっしりと重い。もらってばかりで申し訳ない。こんなことなら、せめて手土産の一つでも包んでくるべきだった――。血を分けた実の父親に思うには他人行儀すぎるかもしれないけれど、ほとんど顔を合わせない分、変な気も回してしまう。



「ありがとう、お父さん。このお礼は、いつか必ず……!」

「うん、しなくてもいいよ」



 そう笑うお父さんに、もうなんてお礼を言ったら良いのか分からない。
 紙袋の持ち手をぎゅうと握った。お父さんが作った、お揃いのマグカップ。そう思うと胸がほこほこして、わーって、抱きしめたいくらいだった。へへ、と笑い返すと、お父さんは「この辺でお昼ご飯でも食べていく?」って、車のキーを傾ける。
 私たちはちょっと変わった親子関係で、普段からそんなに会わないせいで、本当は、顔を合わせるのにちょっとだけ勇気が必要だった。今日だって緊張していたし、ちゃんと娘っぽく振る舞えていたのか、今でもわからない。でも、お父さんの提案に「行く!」って即答できたのは、私なりの進歩だと思うのだ。



「ラーメンたべたい!」



 紙袋を大事に抱えて、お父さんと工房を後にする。室内のきらきらは、扉を閉める瞬間も、まだ作業台の傍に残っていた。







 今日ラーメン食べた!
 朝からずっとスマホを見ていなかったが、トレーニングを終えた夕方、から届いていたメッセージと写真を見て、思わず、ふ、と息が漏れる。
 太めのストレート麺に、チャーシューと、野菜がどっさり乗った味噌ラーメンだ。黒いお盆に赤字で店名らしき名前が入っているが、のピースで隠れてしまって、どこの店なのかは良くわからない。
 いーじゃん、うまそー。この後の予定が詰まっていることを念頭に置きながら、手早く返事をする途中で、ふと、「画面端に映りこんでる向かいのラーメン、誰のだよ」という疑問が頭を掠めた。のと器の色が違うそれは、多分大盛りだ。てことは、男か? 余計な詮索までしてしまいそうになるが、それ誰、とは聞かない。代わりに、「今度俺とも行こ」とだけ打ち込んで、返事を待たずにポケットにねじ込んだ。ラーメンなんか食ったらあの栄養士にどやされそうだが、その分別のところで節制すりゃいいだろ。
 信号が変わって車が動き出す。足を組み替えたとき、ふくらはぎが疲労で震えていることに気がついて、奥歯を噛んだ。こんなんで音をあげるわけがない。俺はやっぱり、あの金杯が欲しい。


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