八月に入って、私は来たる玲王くんのお誕生日について頭を悩ませている。
 当日の約束自体は取り付けてあるから良いとして、じゃあどこで会えば良いのかな、とか、その日の玲王くんの空いている時間って、そういえば午前なのかな、午後なのかな、それとも夕方なのかな、とか。でも、そういうのは多分、まだなんとかなる。玲王くんにどうしたらいい? って確かめたり、相談することはできるから。
 問題はプレゼントだ。
 玲王くんって何をもらったら嬉しいんだろう? 全然ピンとこない。だって、玲王くんって何でも持っていそうだし、そのどれもが、私なんかじゃ手が届かない一級品ばかりだと思う。私の勧めたチーズおかきを美味しいって言ってくれたりするから、何でもかんでも高ければ良いっていう考えは持ってない、っていうのも分かるけれど、だからってプレゼントにお勧めのおかきセットをあげるわけにもいかない。親戚の手土産じゃないんだから。
 夏帆ちゃんたちに相談しようにも、玲王くんが一般の高校生っていう枠から大きく逸脱している以上、私たちが付き合っているっていうことを伏せたままではどうしようもないし、お母さんに聞いたって「うーん、そうねえ。じゃあ今度玲王くんのママに聞いてみよっか」って斜め上のことを言うに決まっている。そんなの、もう絶対絶対、一番格好悪いよ。
 スマホで色々調べてみたりもしたけれど、有益な情報は得られなかった。だってお財布も鞄もペンケースも、玲王くん、ちゃんとしたのを使っているもん。マフラーは時期じゃないし、今から奇跡が起きて、三浦くんくらいの料理のセンスが芽生えたりしなければ、手作りのお菓子もいつかのバレンタインみたいに炭にする。せめてあの頃の私くらい楽観的でいられたら、もうちょっと気楽に構えることはできたんだろうけれど、高校生になった私じゃあそれも難しい。
 本当だったら、サプライズで最高のものをあげられたら、って思う。でも、やっぱり私には難しそうだなあ。相談できる人もいなければ、勘もセンスも良くない。せめてお父さんに似ていたら……って思うけど、私は色んなところがお母さんにそっくりだし、お父さんの芸術家らしいところは全然受け継がれなかった。もし、私にお父さんみたいなセンスがあれば――。
 そうだ、お父さん。
 お父さんの存在に気がついた瞬間、寝転がっていたベッドから飛び起きた。だって、名案じゃないだろうか。お父さんの作品だったら、プレゼントにぴったりだ。お父さんを利用するのはちょっと狡いかな、って思わなくもないけれど、玲王くんも、普段の食事で使ってくれているって言ってたもの。
 お父さんに電話をかけて出ることなんか滅多にないから、メッセージだけを送った。ほとんど家に帰ってこず、郊外に作った工房で寝泊まりしている人だ。スマホなんか携帯していることの方が珍しいから、返事は三日以内に来たら良い方だけど、どうかな、どうかな、ってそわそわしていたら、最速記録なんじゃないか、ってくらいの速さで既読がついた。お父さん相手なのに、ついドキドキしてしまう。



「いいよ。とりあえず、明日にでも工房においで」



 大切な人のお誕生日プレゼントにお父さんの作品をあげたいのですが、一つ譲っていただくことは可能でしょうか。
 「誰に」っていう具体的な情報を意図的に削いだ文言を送ったのに、お父さんは優しい。








 お母さんに言えば車を出してもらえるけれど、何となく気恥ずかしくて、工房には一人で行くことにした。
 お父さんの工房は都会の喧噪から離れた、緑の多い、長閑な街の小さな山の中にある。そこがお父さんの生まれ故郷っていうのもあるけれど、そこの土が陶芸に適しているんだとか、なんとか。土に含まれる養分だとか、水の柔らかさ、湿気の具合、そういうのが全部噛み合っている土地なんだって、いつだったか、お父さんは話していた。そういうとき、お父さんはまるで私から遠い世界に住んでいる人みたいに見えた。
 電車を乗り継ぐこと数十分。途中、お父さんに到着予定時刻を連絡して、移り変わる窓の向こうの景色をぼんやり見ていた。平日の昼間、夏休みとは言っても郊外に向かう電車に人は多くなく、両隣の席は空っぽだ。膝の上に置いたバッグを抱え直す。玲王くん、今何してるのかなあ。御影コーポレーションのビルを遠くに見て、玲王くんのことを考える。
 三日前、玲王くんはまたおうちに来てくれた。「のプラン、考えてきた」って、志望校合格に向けての具体的なアプローチをまとめたノートを広げた玲王くんの目は真剣で、自分の立ち位置を自覚させられてしまった私はちょっと落ち込んでいたのに、「俺もついてるからさ、頑張ろうぜ」って笑ってくれた玲王くんがあんまりにも優しくて、うっかりお礼と一緒に「好き」って言ってしまいそうだった。ぐっと堪えたけど。
 玲王くんは、すごい。頭が良くて、優しくて、かっこいい。欠けているところなんか、全然ない。私のことをちゃんと考えてくれて、でもそれだけじゃなくて、難しい経済の本とかも読んで、分からない問題なんか一個もなくて、バスケも上手で、学級委員の仕事だってきっちりこなして、それで、視野が広い。
 玲王くんに相応しい女の子になりたいな、とぼんやり考える。玲王くんがもし何か困ったことがあったとき、頼ってもらえる人になりたい。胸を張って隣に立てるくらい。恋人、って紹介されても、向けられる視線に怯まずいられるくらい。
 スマホが振動した気がして、びく、って身体が揺れた。玲王くんかな、って思ってしまったのは、私が玲王くんのことばかり考えているせいだ。お父さんからの「了解」っていう短い言葉にそっと息を吐く。最近の玲王くんは、色々予定が詰まっているらしい。「今日も暑いから気をつけてね」って、今朝玲王くんに送ったメッセージには、まだ既読のマークがついていない。








 小さな駅を出て、駅前のロータリーに向かう。私以外にこの駅で電車を降りたのは、数えるくらいしかいなかった。燦々と照りつける太陽にじりじりと頭を焼かれながら、バス停目掛けて歩く私に、のろのろと走って来た自動車が短いクラクションを鳴らした。ぱっと顔を上げると、停車したその車の、助手席側の窓がのんびり開く。顔を出したのは、思った通りお父さんだ。「」って、どことなく間延びした声が私の名前を呼ぶ。



「あー、すれ違わなくて良かった」

「わざわざ迎えに来てくれたの? 忙しいのに、ありがとう、お父さん」

「大丈夫大丈夫、出展も終わったばっかだし、窯焼きも夏はしないから。篠塚さんも、今日は連絡してこないんじゃないかなあ」



 乗って、ってお父さんに促され、縁石を跨ぐ。鄙びた街並みに、お父さんの車はすっかり馴染んで、ちょっと気後れしてしまった。一緒に過ごす時間があんまりないから、こういうとき、私はちょっと緊張する。
 お父さんの仕事のことは、正直良く分からない。篠塚さん、っていうマネージャーさん(御影コーポレーションの関係者だ)が、お父さんが制作にだけ注力できるようその他の業務をこなしてくれているってことくらい。なんでも一人でこなしたいって作家さんもいるらしいけれど、お父さんからしてみたら、御影のおじさまの助力を得て活動に専念できるっていう現状は、肌に合っているみたいだった。
 助手席に乗り込んで、シートベルトをする。お母さんの車と違って、お父さんの軽自動車はこじんまりしていて、整備されていない道だと、がくがく揺れる。「最近どう?」って、右折を終えたお父さんが私に尋ねるから、そっとそちらに視線を向けた。久しぶりに会う年頃の娘に対してするには気負いのない、柔らかな声だった。



「白宝はどんな感じ?」

「うん、楽しいよ。皆優しくて良い人たち。周りはみーんな頭が良いから、私、すごい劣等生なんだけど」

でそうなの? 皆優秀なんだねえ」

「そう、優秀なの。私なんか、ぜーんぜんだよ!」

「玲王くんは? 同じクラスって聞いたけど」

「玲王くんはとびきり優秀! 何でもできちゃうの。すごいんだよ。私にも勉強を教えてくれるしね、すごく優しいし、細かいところとか、全部気付いちゃうの。うちのクラス、だからいつも、すっごく雰囲気がいいんだよ」



 すごいよねえ、って、思わずなんの逡巡もなく玲王くんを褒めてしまった私に、お父さんは、小さく笑った。「蛙の子は蛙だねえ」って。その時のお父さんの目尻に寄った皺は、遠い昔を懐かしむみたいに優しい。



「じゃあ、今日は尚更良い物を選ばなくちゃね」



 そんなときに、何かに紛れるみたいにそう続けられたものだから、私はお父さんが、私が誰のために工房を訪ねたのかについて、全部お見通しだったってことに気がつくのに、五秒はかかってしまう。思わず「へぇ!?」と叫んだ私に、お父さんは、わは、って声をあげて笑った。その時にはもう、お父さんに抱いていた緊張なんて、欠片もなくなっていた。


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