私と玲王くんが幼馴染みっていう話は、週明けにはもう他のクラスにまで伝わっていたらしい。
 クラスメイトの子の言によると、玲王くんがその話を彼女らにしたのは文化祭の前日準備のさなかだったらしいし、その後私の知らないところで話題にあがって、それが人の口から口へと渡っていてもおかしくない。それでもこんな風にあっという間に広まるだなんて、想定の範囲を超えていたけれど。
 結果、学校の駐輪場から昇降口へ向かうまでの道中も、靴を履き替えているときも、教室までの道すがらも、私はずっと第三者からの視線に晒されている。



「あ、ほら、あの子だよ」

「あーなんか一緒に歩いてるの見た事あるかも。学級委員も一緒にやってる子だよね?」

「え〜、良いなあ〜。実は付き合ってたりするのかな?」



 自意識過剰かな、って思ったけれど、多分、私のことで間違いないんだろう。クラスも学年も違う、話もしたことのない女の子たちに視線を送って、聞こえてますよってアピールができるほど私の心臓は鋼鉄ではないから、リュックの肩紐を両手で握って、進行方向の一点のみを見つめたまま、早歩きで階段を上ってしまう。心臓がばくばく音を立てているのは、こういうのに慣れていないからだ。こんな風に知らない人からじろじろ視線を送られるなんて、堪えられない、だって私、小心者だから。
 そう、実は私、白宝高校の有名人御影玲王の幼馴染みです。でもそれだけなんです。学級委員は、二人ともとりわけくじ運が悪かったからで、示し合わせたわけではなく偶然です。付き合ってたりはしないです。婚約者ってことになっているけど、形だけだし、玲王くんの方は「それ」をあまり重要なことのようには思っていないみたいなので、そこにあんまり価値はないみたい。
 だから私、自分の感情の置き所がわからないんです。
 心の中で、どこにも吐き出せない呪詛じみた言葉を並べ立てているうちに、教室のある四階に到達していた。白宝高校は一年生が四階、二年生が三階、三年生が二階、っていう作りになっていて、必然と上の階に行けば行くほど行き交う生徒の数が減る。向けられる視線も自ずと半分以下に減っていることに気がついて、ほっとしたときだ。教室方向の廊下に曲がる私と、教室側から歩いてきた玲王くんがばったりと顔を合わせたのは。



「わ……ッ!」

「お、じゃん。はよ」

「お……っはよう……!」



 びっくりしすぎて言葉に詰まってしまう私に、玲王くんは微かに首を傾げて、その眉を八の字にして笑った。そうするだけで、玲王くんの周囲には光の粒がぱちぱち弾けたみたいになる。窓から差し込む朝日と合わさって、拝みたくなるほど、眩しい。
 玲王くんの方は、だけど、どうだったんだろう。ばぁやさんの車から降りて教室に着くまで、私みたいに何か囁かれたりしたんだろうか。同じクラスに幼馴染みがいるんだって、美人でもお金持ちでも頭が良いわけでもない、平凡な子なんだって、とか? 通りすがりの子が「あ、ほら」って呟いたのを、視界の端で見る。そうすると、お腹の端がぎゅうって痛む。



「今日の数学の課題できたか? わかんないとことかあったら――」

「やっ、大丈夫!」



 食い気味に首を振ってしまったから、玲王くんはもしかしたら、指の先くらいは不審に思ったのかもしれない。だけど彼は、追求しなかった。細められた目は、幼馴染みに向けるのに相応しい親愛が滲んでいるようだった。そうでしか、なかった。



「嘘くせーな、本当かよ」



 いつもみたいに上手く笑えない私は、昨日の動揺から一晩明けても、玲王くんにどんな顔をしたら良いのかわからないでいる。








 ちなみに数学の課題は大丈夫じゃない。
 文化祭の前くらいから入った新しい単元が、もう最初から理解できないのだ。問題文の言っていることが分からない。解法の糸口を掴んだかと思えば、途中で儚く切れてしまう。大体記号に馴染みがなさすぎる。証明問題は途中で手が止まり、こっそり答えを見ても手順が一個か二個飛ばされているんじゃないかって思ってしまう。どうしてこういう式になるのか、隅っこの方にほんの小さくでいいから、書いておいてほしい。
 こんな風に詰まってしまうのは、他に悩みがあるせいっていうのもあるのかもしれない。集中力が続かないから。雑念が入り込んでしまうから。玲王くんのことが次々と頭に浮かんで、わあってなるから。――この調子で、来月のテストを乗り越えられるわけがないのに、どうして私は「大丈夫」なんて嘯いてしまったんだろう。
 このままだとまずい。昨日の電話の後、玲王くんは「数学、これだけはやっとけよー」って問題集の番号をメッセージで送ってくれたけれど、それだって手がつけられなかった。問題は頭に入ってこなくて、表面を撫でていくみたいに目が滑って、覚えたはずの記号の意味がぽろぽろ落ちて行く。頭の中を玲王くんの声とか表情が巡って、あと、めちゃくちゃオシャレだった玲王くんの私服が思い出されて、ついでに「可愛い」って言ってくれたこととかも脳裏を過ぎって、ぐう、ってなって、苦しい。私、もういっそ滝行とかしたほうがいいかもしれない。精神統一。お寺とかで、すぱんって肩を叩かれるあれみたいなの、探してみようかな。だって、勉強、頑張らなくちゃいけないのだ、私は。椿山から、わざわざ白宝高校を受験したのは、一体何のためなの、って、ぎゅうと目を閉じる。



「じゃあ前に出て答えを書いて貰おうかな。一問目、笹口。二問目が三浦で、次の問題は………………あ、目が合ったね。

「わ、わぁ……はい……」

「解けたらでいいよ」



 今日は日にち的にも絶対当たらないと思っていたのに(数学の先生は、兎に角日付と出席番号を関連付けて生徒を当てるのだ)、閉じていた目を力強く見開いた瞬間に先生と目が合ってしまったせいで、名前を呼ばれてしまった。
 解けたらでいいよ、って先生は言うけれど、解けなかった場合どうしたらいいんだろう。いくらか考えたけれど、笹口さんも三浦くんも、私が唸っている間に立ち上がって黒板の方に行ってしまう。めちゃくちゃ焦って、慌てて、どうしようどうしよう、って思っていたら、隣の席の子が憐れんで、解答の記入済みのノートを貸してくれた。小声で全身全霊のお礼を言って、ノートを手に黒板に向かう。三浦くんの隣に立って、へろへろの文字で答えを書いた。ドキドキしたけど、ちゃんと合っていたし、人からノートを借りて丸写ししたこともバレなかった。「お、正解。ここ引っかからなかったな」って先生が黒板に大きく書いてくれた丸に、めちゃくちゃ罪悪感を抱いてしまっただけだ。
 授業の後、隣の子には、今日のおやつに持って来たチョコを一個あげた。「いいのにー。ごちそうさま」と笑ってくれたその口で、「私が他の教科で困ったらよろしくね」と言われてしまったけど、私が彼女よりもできる教科なんて、多分一個もないと思う。








 私と彼女のそういうやりとりを先生が気がつかなかったからと言って、他の誰にもバレていない、なんてことは、全然なかった。



「よ」



 文化祭の後に居残って書いていた報告書を、生徒会室に提出した放課後だった。
 もうすっかり人気のなくなった教室には、私のリュックサックと、玲王くんだけが残っていた。


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