うちのクラスは、皆の頑張りの甲斐もあって、一年生ながらに模擬店部門での売上一位という快挙を達成した。閉会式の行われていた体育館で発表されたそれにクラスが湧いたのは言うまでもない。皆構わずに立ち上がって喜ぶものだから、レモンイエローのTシャツが視界いっぱいにふわって広がった。遅れつつも立ち上がると、座ったままの他のクラスから、たくさんの拍手が送られる。その目のほとんどは、だけど、前方にいる彼に向けられているのだ。
玲王くん。
列の先頭に立っていた玲王くんの笑顔が、皆の腕とか、頭の隙間から一瞬だけ見える。その中で目を合わせようなんて、どう考えたって困難なのに、私は念じるみたいに玲王くんの顔を見ている。
「一位なんてすごいねー!」
隣にいたリサちゃんの腕が私に絡んだ瞬間、バランスが崩れた。一日中教室と家庭科室とを往復した私の足はもうくたくたで、もうちょっとぼんやりしていたら転んだっておかしくないくらいだったんだけど、丁度反対側の手首を夏帆ちゃんが取ってくれたから、どうにか堪えられた。夏帆ちゃんは、私を救ったなんてこと、だけど全然気がついてないんだろう。リサちゃんよりかは幾分落ち着いた様子で、その唇を開く。
「玲王くんパワーも勿論あるけどさ、皆頑張ったもんね」
メニュー決めから小道具の作成、教室の飾り付け。それから当日の忙しなさを思うと、皆で手にした部門賞だって思う。
表彰状は、玲王くんが受け取った。残念ながら大賞には選ばれなかったけれど、ステージの上でこちらを振り向いた玲王くんが、私たちに向けてその表彰状を軽く掲げたとき、わって皆が声をあげるのを聞いて、このクラスで良かったなって思った。
玲王くんに告白したっていう「すごい綺麗な先輩」も、この体育館の中、どこかで玲王くんの背を見ているんだって思ったら、ちょっとお腹が痛かったけれど。
準備にどれだけ時間がかかっても、片付けとなるとあっという間だ。
テーブルクロスは貸してくれた子に返却して、教室のあちこちを飾り付けていたリボンや造花は、欲しい人がいなければゴミ袋へ(手芸部の子が大半を引き取ってくれたので、ゴミになったものはほとんどなかった)。メニュー表は一部の子が写真に残していたけれど、そのまま捨てられてしまっていた。そこに一つの世界ができているみたいに可愛かったから、勿体ないなって思ったけど、気がついたときには折り曲げてゴミ袋に入っていたので、写真のデータだけをもらった。
掲示物も全て元に戻して、机や椅子も並べ替える。家庭科室の片付けに関しては、閉会式の始まる前から三浦くんが中心になってやってくれていたおかげで、もう鍵まで返却済みだ。廊下側の装飾を外す手伝いに行ったとき、ついさっきまで天井からぶら下がっていたガーランドもバルーンもなくなってしまっていた。熱で膨らんでいた空気が抜けて、急速に日常に馴染んでいくみたいだった。いつもの教室に戻っていくのは、仕方ないけれど、ちょっと寂しい。
いっぱいになったゴミ袋の口を縛っていたら、背後から「さん」って声をかけられた。玲王くんほどとは言わないけれど、行事ともなれば私も学級委員の一人として、それなりに声をかけられる。これはどうしたらいいのとか、どこまで分別したらいいの、とか。だから今もそういう話かなって思った。ゴミ、これも入れて、とかかな。無意識に結んでいた口を緩めながら振り向いたけれど、振り向いたときに目に入ったのは、ラップに包まれたカップケーキだった。
「へっ」
思わず声をあげて、それを持っていた人の顔を確かめる。
さっきまでエプロンをつけて、戦場でいくつものカップケーキを焼いていた三浦くんだ。三浦くんは私の顔をじっと見下ろしている。ほんのり甘い香りがするのは、彼からか、それともその手にあるカップケーキからか。
「お疲れ」
「えっ、お疲れ様……!」
目の前に差し出されたカップケーキと三浦くんとを見比べる。「自分用に取っといたやつで悪いけど、あげるよ」相変わらず感情の読み取りにくい目で、彼はそう言った。その背後で男子のグループが大きな声で笑ったせいで、あげるよ、以外はちゃんとは聞き取れなかったけれど。
「えっ、もらっていいの? 買おうって思ってたんだけど、結局買えなかったんだ」
「さん、結局一日動いてたし、そうだろうなって思って。――弾いたやつだから、ちょっと形悪いけど」
「これで形が悪いの? すごく美味しそうなのに」
「良くはないでしょ。まあまあ歪だよ」
「や、良くないっていうのはもっとこう……炭みたいになることで」
「いや、まず炭になることがないから」
「ないかあ……」
眉根を寄せて首を傾げる私に、「炭って」って言った三浦くんはそうとわからないくらい、微かに笑った。それから「まあ、とりあえずお疲れ」って踵を返そうとしたから、私は慌てて「ありがとう、大事に食べる」って、その背に言う。
「ん」って、三浦くんは言ったんだと思う。私はその肩に、彼に話しかけた男の子の腕が回るのを見届けて、それから改めて、ラップで包まれたカップケーキに目を落とした。チョコチップの散らばった、今日一番人気があったやつ。買うならこれ、って思ってた。
可愛らしい見た目のカップケーキを眺めていたら、ぱんぱんになったふくらはぎの痛みなんか、全くもって些細なことのように思えた。
文化祭での売上はそのまま学校に寄付することになる。
封筒に入れたお金を生徒会室に届けに行くと玲王くんが教室を出て暫く経つと、教室は私以外、まったくの無人になっていた。それもそうだ。後片付けが終わった教室から順次解散。白宝祭当日の今日は勿論部活もないから、いつまでも教室に残っている必要はない(この後打ち上げをするクラスもあるみたいだけど、うちのクラスは明日のお昼に、ってことになっている)。
昼の喧噪が嘘みたいに静まりかえった教室で、一人、今日の売上額の書かれたメモをそのまま報告書に書き写す。学級委員は、後々この報告書を提出しないといけないのだ。期日はまだ先だったけれど、なるべく早く出してしまいたかった。
学校から各々の学級に支給されていた予算を売上が上回っているのは、やっぱり玲王くんの手腕によるものが大きいんだろう。どうしたら売れるとか、利益が出るとか、対する原価がどうとか、玲王くんはきちんと考えている。私では到底及びもつかない思考の底に、玲王くんはいつもいる。
玲王くんの、時折どこか遠くを見る目が好きだ。
ほんの数秒、自分と外とを遮断して、思考するときの凪いだ目。そういうとき、私は玲王くんが自分と離れた、別の世界を生きていることを思い知る。邪魔をしてはいけない。ううん、傍にいてすらいけないと思う。色んな才能を削ぎ落として生まれた平凡な私は、玲王くんの隣に立つだけの価値がない。
ものすごく美人の先輩に告白されたんなら、やっぱり私はお払い箱かもな。
一度リュックサックにしまっておいたカップケーキを取り出す。三浦くんは形が悪いって言っていたけれど、私には全然、そうは見えなかった。おうちに帰ったら食べようって思っていたものの、ちょっとお腹が空いてしまった。報告書はまだ途中だし、玲王くんはまだ戻ってこないみたいだ。
食べちゃおうかなあ、って、薄ら考える。ぴったり包まれたラップの上から、爪で境目を探す。三浦くんって、ちょっと神経質なのかもしれない。きっちり包まれすぎて、どこから剥がせば良いのか分からない。「んー?」って思わず声に出しながらカップケーキを持ち上げる。窓から差し込む夕日を受けて、カップケーキは橙に染まる。
そうやって、集中していたせいだ。私が足音にも、背後に玲王くんが立っていたのにも気がつかなかったのは。不意に首筋に、固い、冷たいものが押し当てられる。「うひゃッ!」裏返った声で悲鳴をあげた瞬間、手からカップケーキが落ちた。ラップが全然剥がせてなくて良かった。落ちたのが机の上で良かった。転がってしまったカップケーキもそのままに、心臓をドキドキさせながら振り返ると、そこには玲王くんが、どうやら私の首に押し当てたらしい紅茶のペットボトルを持って、笑いを堪えて立っていた。
「れ、玲王くん……!」
「わりーわりー。……そんなびっくりされるとは思わなくてさ」
笑いの滲んだその声が、微かに震える。「の分」って、玲王くんは私にその紅茶を差し出している。
言葉もないまま首筋を押さえたら、結露でちょっと濡れていた。